インドのカレーは辛いのか?

FACEBOOKやツイッターで「インドを旅した方で、インドのカレーは辛かったですか?」という質問をしました。ご協力くださった方が、ありがとうございました。 なぜ唐突にこんな質問をしたかというと、今、来年出す予定のエッセイを書いているところで、インド…

ゴーゴー・インド30年のイベントを終えて(2)物販部門

会場費+運営費のメドは立ったが、利益が出るのは物販にかかっている。そういうわけで、半年間、僕は一心不乱にグッズおよび本をつくりつづけた。一応グラフィックデザイナーである僕は、本や雑誌のデザインはいつもやっているが、トートバッグやTシャツのデ…

ゴーゴー・インド30年のイベントを終えて(1)会場の問題

今年の3月頃だったか、「『ゴーゴー・インド』が出てからちょうど30年になるから、なにか記念イベントを開きましょうよ」と前原利行さんに提案された。いまどき前原と聞けば民進党の党首だが、利行さんのほうは「旅行人ノート」や「地球の歩き方」などを手が…

小さな出版社の可能性3

以前に矢萩多聞さんがいっていた、「小商い」出版とは、簡単に言えば売れる数しか部数をつくらないというやり方だ。きわめて単純なこの方法がこれまで不可能だったのは、印刷コストのせいだ。前々回に書いたことなので詳しくは繰り返さないが、部数が少ない…

小さな出版社の可能性2

「ゴーゴー・インド30年」イベントの準備もようやく峠を越え、チラシやポスターを作って配り、さまざまなグッズをつくり、イラストを額に入れてそれぞれのタイトルをつくり、といったもろもろのことをようやく完了した。それに「旅行人」を1号だけ復刊させ、…

小さな出版社の可能性

5月20日に日本橋で行なわれた「本との土曜日」に参加した。これはインド関係の本やグッズを売る小さな市のような企画だった。僕は版元として出店したが、著者、書店として参加した方々もいた。 そこで、『持ち帰りたいインド: KAILASとめぐる雑貨と暮らしの…

最悪の宿

今日も机周りや本棚を整理している。 引き出しに入っていた写真の束から、はらりとこの写真が出てきた。思い出すのもおぞましい宿の写真だ。たしか1990年ごろだったのではないかと思う。ネパールからスナウリ国境を越えてインドへ入ったときだ。国境に到着し…

アフリカの賄賂『グッドマン・イン・アフリカ』

事務所の整理をしていて、昔書いた原稿がいろいろと出てきた。雑誌やPR誌に書きっぱなしで単行本に再録していないものが多いので、前回に引き続きブログに掲載することにした。 この原稿は、1995年に上映された『グッドマン・イン・アフリカ』という映画のパ…

旅先での「選択」の先にある運命

12年も前に、新潮社の『波』という雑誌に書いた書評をブログに掲載する。『「バンコク・ヒルトン」という地獄 ― 女囚サンドラの告白』(サンドラ・グレゴリー著/川島めぐみ訳/新潮社)という本だ。 なんでいまさらと思うが、大掃除していてこの『波』が出…

インド旅行のインターネット事情(2)モバイル機器

今のスマホやタブレットは、Wi-Fiがないオフライン状態でも、機器に内蔵されたGPSによって地図上に自分の位置が示されることを前の旅行で教わった。それを試してみたくて、今回のインド旅行では中古のスマホ(中古のアンドロイド端末で9000円ぐらい)を購入…

インド旅行のインターネット事情(1)Wi-Fi

最近は(というかここ10年ぐらいで)世界各地の安宿で、フリーWi-Fiがホテルの必須設備となっているのは皆さんもよくご存知のことだろう。 そのせいで、安宿でさえネット予約しないと泊まれないことがある。僕が数年前に旅した旧ユーゴスラビア諸国やコーカ…

NHK FM「音楽遊覧飛行 エキゾチッククルーズ」を聴く

高校生のころは勉強をさぼってラジオばかり聴いていた。ちょうどプログレッシブロックに目覚めたころでもあったので、NHK FMで流れるロックを録音して繰り返し聴いていた。プログレの長い曲をきちんとかけてくれるのはNHKぐらいのものだったが、それでもいつ…

写真集『ディア・インディア』(3)旅の本のデザイン

松田さんのオフィスに行くと、これまで松田さんが制作なさった本をお見せいただき、ひとつひとつの作り方を説明いただいた。 その中で箱に入った小さな本があった。それは僕もとても気に入っている本で、外側の箱にコンクリートの表面が印刷され、中は海の水…

写真集『ディア・インディア』(2)苦心惨憺の編集作業

写真家の写真集を出すのは初めてのことなので、どのように作ればいいのかとまどった。 最初、写真集なのだから、写真を並べるだけでいいのだろうと考えていた。それなら簡単だ。面倒な校正も必要ない。そう思って、掘井さんから送られてきた写真をページにぺ…

写真集『ディア・インディア』(1)掘井太朗さんのこと

今度、旅行人から写真集を出すことになった。『ディア・インディア』という写真集だ。 FACEBOOKでたまたま見た掘井太朗さんという写真家の、インドの写真に心をひかれ、写真集を作ってみようと考えたのだ。 掘井さんは石垣島に住んでいる。職業は写真家では…

空き家探し

先日、友人の貸家を探しに、山梨の山の村を訪ねた。 そのひとつ、10件ほどの集落は今は無人になっていて、墓だけが真新しかった。最後の住民が引っ越してまだ間もないのだろう。数軒の家はまだ状態がよく、すぐにでも住めそうな雰囲気だったが、周辺の方の話…

『親の介護、はじまりました』(堀田あきお&かよ)を読む

老いた親の介護はほとんどの人が一度は通る大問題。老齢化社会になった日本で、多くの人々が直面することだ。そうはいっても、実際にそのような局面にあたらないと具体的な問題も見えず、どういうことになるのか想像さえ付きにくい。 この本は、突然母の介護…

地図のこと

長い間しまいっぱなしだった古い資料や地図などを処分している。旅行人でガイドブックなどを制作するための地図ではなく、僕の、取材や個人的な旅に使った地図なのだが、それでも長年のあいだに箱いっぱいどころか、書棚やファイルのあちこちにさまざまな地…

僕の高校時代──1971〜1975(13/完)サクラ咲く

神に祈りは通じた。 待ちに待った合格通知が郵便で届いたのである。 父や兄からは、補欠に入ったのなら、まず間違いなく合格だろうといわれていたが、世の中何が起きるかわからない。不安におののきながら合格通知を待っていたのだが、本当に届いたときは、…

僕の高校時代──1971〜1975(12)2度目の入試開始

いよいよ入試がスタートした。てはじめに受けたのが四谷にある上智大学である。ここの試験問題はまったく研究していない。試験場の雰囲気に慣れるのが第一の目的だったから、とにかく試験を受けてみることが大切だった。 しかし、出てきた英語の問題用紙を見…

僕の高校時代──1971〜1975(11)花の浪人生活

東京である。 ついに上京した。 もう高校に行かなくてもいい。親から遠く離れられたとたん幸福感が僕の全身を包んだ。あまりにも幸福だったせいで、肝心の予備校に行くのさえ忘れてしまったほどだ。入学手続きだけはしたものの、最初の1カ月だけ通って、あと…

僕の高校時代──1971〜1975(10)大学受験に失敗

直前に受けたテストの偏差値をみれば、僕が慶応大学に合格できないことは(父以外の)誰の目にも明らかだった。それでも僕は東京に出ることを心から望んでいたので、無理なこととは知りつつも、できれば合格を願っていた。慶応一本に絞って3学部を受験し、む…

僕の高校時代──1971〜1975(9)志望校決定す

僕は実力通りの定位置を得て、そこから上がることもなかったかわりに下がることもほとんどなかった。下がる余地がほとんどなかったともいえる。勉強をほとんどしなくなり、夜は深夜放送やロックを聴くか、下宿仲間と深夜喫茶に入り浸ってタバコを吸ったり酒…

僕の高校時代──1971〜1975(8)異色の生徒

クラスには、僕よりももっと徹底した劣等生がいた。 その男、山元は、何のためにこの高校に入学したのか理解に苦しむほど勉強を拒否し続けた異色の生徒であった。僕のように勉強するのに疲れて勉強をしなくなったというのではなく、初めからまったく勉強する…

僕の高校時代──1971〜1975(7)高校野球

今回はちょっと横道にそれて、高校生活で数少ない楽しい思い出を書こうと思う。とはいえ、実はこれから書く話は、すでに当ブログで10年前に発表してしまったものだ。だが、あえて加筆して再録する。 僕の高校は、進学校にありがちなスポーツ弱小校だった。例…

僕の高校時代──1971〜1975(6)漫画

あまり居眠りばかりしていると教師から殴られるので、授業中に居眠りしないために僕はこっそり漫画を描いていた。教師たちをモデルに数ページの他愛もない漫画を描いたところ、これが生徒のあいだでバカ受けした。初めはクラスの中で受けただけだったが、あ…

僕の高校時代──1971〜1975(5)深夜放送とフォークとプログレ

じょじょに、僕は勉強に倦んでいった。成績が上がらないからというより、こんな生活にうんざりしてきたのだ。 僕は高校に入るのにもざんざん受験勉強をやらされた。もともとこの高校は自分の学力からすればレベルの高すぎる学校だった。中学の進路指導では、…

僕の高校時代──1971〜1975(4)下宿

僕の田舎は鹿児島市から車でおよそ1時間半の山間部にある(現在の霧島市)。中学3年の1学期までは地元の学校に通っていたが、そのままだと鹿児島市にある高校へ進学することはできないので、2学期になってから鹿児島市内の中学校へ転校した。いわゆる越境入…

僕の高校時代──1971〜1975(3)教師たち

それだけ勉強に励んだにもかかわらず、テストの席次はいっこうに上がらなかった。 何故席次が上がらないのかはすぐに理解できた。つまり全員が同じように勉強したからである。正確に書くと、僕のように勉強しなくても、僕より頭のいい生徒が大勢いたし、そう…

僕の高校時代──1971〜1975(2)テスト、テスト、テスト

劣等生という刻印を押しつけられることから始まった高校生活は、その後も惨憺たるものであった。進学校というのは成績がすべてである。成績がよければ教師から優遇してもらえるし、悪ければ存在意義を認められない。例えば、どんなに部活動で活躍しても、ク…