小さな出版社の可能性2

 「ゴーゴー・インド30年」イベントの準備もようやく峠を越え、チラシやポスターを作って配り、さまざまなグッズをつくり、イラストを額に入れてそれぞれのタイトルをつくり、といったもろもろのことをようやく完了した。それに「旅行人」を1号だけ復刊させ、僕が旅の最中に書いた『旅日記』を本にし、今度の「旅行人」に掲載できなかったミーナー画の小さな写真集も制作した。こんなに忙しかったことは「旅行人」を休刊にして以来ないことだった。今はちょっと気が抜けた状態だ。

 実はイベントをやる前から、「旅行人」を1号復刊させることは考えていた。イベントの企画が立ち上がったので、結果的にそれに間に合うように制作したが、去年ラージャスターンを旅して、ミーナー画を見てまわったので、その旅行記を発表するつもりでいた。それを単行本にするか、雑誌にするかで迷っていたが、結局「旅行人」にすることにした。

 それには3つの理由がある。まず第1は、ラージャスターンにミーナー画を見にいきましたという旅行記の単行本では、ほとんど売れる見込みがないということだ。1冊の単行本としては内容としても薄い。カラーページを多用して200ページ以上の単行本を制作し、高くても2000円程度で売るには、最低でも4000〜5000部は作らなくてはならない。それはかなり非現実的な数字なのだ。

 2番目の理由は、「旅行人」を復刊する方が読者が喜んでくれるし、僕以外の執筆者にも書いてもらえるということだ。単行本の執筆はけっこう孤独な作業だが、雑誌作りはいろいろな人に書いてもらえて作業としても楽しい。もちろん雑誌のほうがめんどくさい作業も増えるのだが、それでも自分も書き、他の人の原稿もいただき、レイアウトし、校正し、印刷所に入れて作り上げるという独特の充実感がある。自分には書けないインドやそれ以外の地域の話を読み、発表できるのは編集者としてはやはり楽しい作業だ。

 3番目の理由は、コストと流通の問題だ。これは前回のブログに書いたことと重なることだが、今は本当に本が売れない時代で、現実的にいって数千部を刷って取次経由で全国の書店に配本するのは、コストがかかるし、リスクが高すぎる。例えば4000部刷って半分しか売れないと、とうぜん2000部は返本される。読者はおそらく2000部の返本などご覧になったことはないと思うが、それが倉庫に積み上げてあるのを見ると茫然となる。1冊の厚みが15mmだとすると2000冊で30メートルだ。畳2畳1坪分(3.3平方m)に積み上げると1.6mの高さになる。重さは約800kg。普通の家だったらこれだけでいっぱいいっぱいだろう。

 とはいえ、実際のところ2000部の返本などたいしたことはない。だが、1冊につき2000部なので、それが50種類あると10万部の返本の山になるのだ。これは文字通り山ですよ。こうなると一目で見渡すことさえ不可能になるが、小さな出版社でもその程度の在庫を抱えていることは珍しくはない。うちだって最近まで13万冊の在庫があった。その維持費たるや毎月ん十万円となる。ただ在庫しておくだけで。

 そういうわけで、売れるかもしれないという幻想のような期待を込めて印刷しても、ただただ返本の山が大きくなっていき、やがて断裁せざるをえなくなり、ただ紙くずになるだけなのだ。その徒労感というか、空しさは売れない版元でないと理解できないだろう。いったい何のために本を作っているのかという根源的な疑問におちいる。

 というわけで、返本があるかぎり、何千部も刷る単行本は現実的にいって制作できない。つまり、本を制作する→取次にまわす→全国の書店に委託配本する、という従来のパターンは、数千部刷ってたくさん売れるという前提がないと機能しない仕組みなのだ。読者の中にはご存じない方もいらっしゃるかもしれないので念のために書いておくと、書店は出版社から本を買ってくれるわけではなく、書店の棚を貸してくれるだけなのだ。これを委託販売という。だから一定期間売れない本は出版社に返本されてしまう。

 旅行人ではもうほとんど従来のような新刊を出していないが、それはそのような理由による。出しても返本の山が大きくなるような出版活動は不可能なのだ。そこに一筋の光のように差した方法が前回のブログで書いた「小商い」出版だった。長くなったので、続きは次回に。