僕の高校時代──1971〜1975(9)志望校決定す

 僕は実力通りの定位置を得て、そこから上がることもなかったかわりに下がることもほとんどなかった。下がる余地がほとんどなかったともいえる。勉強をほとんどしなくなり、夜は深夜放送やロックを聴くか、下宿仲間と深夜喫茶に入り浸ってタバコを吸ったり酒を飲んだりした。完壁な落ちこぼれである。
 土曜の夜になると、名画座3本立ての日活ロマンポルノを朝まで観て、日曜日は一日中眠っていた。日活ロマンポルノの田中真理や片桐夕子が圧倒的な人気を誇っていた頃だ。ロードショーは金がなくてほとんど見られなかったが、キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」が発表されて、異常に興奮したのを憶えている。
 親から仕送りしてもらった金を、そういうことに使うのはうしろめたかったが、他にどうしようもなかった。とにかく一日一日をどうやってやりすごすかしか考えられなかったのだ。
 山元のように異色の問題児になることはできなかった。そんなことをしたら親にばれて何をいわれるかわからないし、僕には山元の行動に現実感がわかなかった。どこでもいいから、大学に入りさえすればあとはこっちのものだと考えていたが、父は有名大学でなければダメだと僕にいい続けるのだった。
 高校時代はすべてが大学受験のためにあるようなものだったが、とりわけ希望する大学の名前が具体的になってくる3年の半ば頃からは、ますます受験対策がきびしさを増していった。ひっきりなしに全国規模の模擬試験が行われ、そのたびに偏差値が生徒の日常に影響を及ぼした。
 学校のテストは、授業が行われた範囲から出題されるので、そこを徹底的に勉強すればよい点数も席次も確保できないことはないが、全国規模の模擬試験は、それに比べるともっと漠然とした範囲から出題されるし、問題そのものも難易度が低い。そうすると、不思議なことに学校のテストではよい点が取れるのに、全国規模の模擬試験では席次を落とす生徒が出てくるのだった。
 何故だかはわからないが、それまでクラスで半分より上位につけていた生徒が、模擬試験になると僕の位置まで下がってくるのだ。もともと勉強をしない僕には、学校のテストも模擬試験も同じテストに過ぎないが、模擬試験になると勝手に席次と偏差値だけが上がってしまうことがあった。
 教師はその辺の事情を理解しているらしく、だからといって僕をほめたりはしないのだが、父のほうは喜んで志望校を勝手にランクアップするのだからたまらない。自分は三流大学しか出ていないのだから、その息子もたいして変わらないのだという真理を決して認めようとしないのにはほとほとまいった。
 かくして、僕の受験する大学は、無謀にも、一流といわれる、偏差値の高い慶応大学と決定した。親が金を出すのだから、僕には四の五のいう権利はない。合格する自信はまったくなかったが、とにもかくにも高校生活から脱出できる喜びのほうがはるかに大きかったし、東京に行けば、毎日のようにかかってくる父からの電話に悩まされることもないだろうと思った。


 高校2年の文化祭。仮装行列マジンガーZを制作(上半身だけ)。僕は「あしゅら男爵」(右側の化粧しているのが私)に扮した。左のちょっと太めのレインボーマンは、大人になってからもたまに連絡を取り合った友人だったが、1年ほど前に亡くなった。