『親の介護、はじまりました』(堀田あきお&かよ)を読む

 老いた親の介護はほとんどの人が一度は通る大問題。老齢化社会になった日本で、多くの人々が直面することだ。そうはいっても、実際にそのような局面にあたらないと具体的な問題も見えず、どういうことになるのか想像さえ付きにくい。
 この本は、突然母の介護問題に直面した著者の堀田さんたちが、自分たちの介護体験をユーモラスに描いた作品だ。ほぼ実話であろうと想像するが、仕事を抱えながら母の介護のために足しげく実家と病院に通う彼らの介護体験は、やはり苦労の連続だ。
 実際にやったものでないとわからない具体的な介護体験が描かれているので、今後このような状況に置かれるかもしれない読者(僕もその一人)には参考になることがいろいろ描かれているし、なにより介護ということが具体的にイメージできることが助けになると思う。
 さて、以上のことは、いわばこの本の骨格のようなものだ。たぶんそれだけだったら、僕はこの本を読み進むことはなかっただろう。この本のおもしろさ―――介護に無関心な方が読んでもおもしろく読める(かもしれない)ところは、ひとえにこの作品の強烈な登場人物にある。
 それは介護されるご本人である堀田さんの母と、同居する父のお二方だ。小さくて気が弱く、認知症が進みつつある母と、わがままで気が利かない乱暴な父。この二人の生活を読むだけではらはらどきどきの連続だ。
 僕はずいぶん前に両親を亡くしているが、生前の姿を見ていて、仲むつまじい老夫婦などという幻想は抱かなくなった。義父も数年前に亡くなり、義母の面倒を妻が行っているが、年々老いていく義母の様子を見ていると、老いは性格を丸くしたり、穏やかにするとは必ずしもいえないということも薄々はわかっている。
 だが、それでも堀田さんちのご両親には驚きの連続だ。母親はともかく、父親の方は言語道断である。僕も晩年の父親にはずいぶん泣かされたが、このお方に比べればうちの父はいくぶんまともだったとさえ思える(死んでから時間がたったせいもあるだろうが)。
 介護の必要な母親のことはいっさいおかまいなしで、自分の好きなように暮らし、世話はまったくしない。母親はもう硬いものは食べられないのだが、父親は自分の好きなものしか買ってこないので、食事も満足にできない。そこで介護ヘルパーに柔らかい食べ物を持ってきてもらうと、なんとそれを父親が食べてしまうのだ!
 他にもこれに類するエピソードが次々に出てきて、こんなやつがいていいのか。てめえ何考えてるんだ! と思わず漫画に向かって叫んでしまうほどである(いや作品の中でも著者のかよさんが叫んでますけどね)。この強烈な父親と、これまた個性豊かな母親が織りなす老夫婦のドラマは、人生の終末期が決して穏やかなものにならないことを示してくれる。悲しいかな、それが人間なのか。
 そういったなか、認知症が進む母親が見せる人としてのプライド、人生の喜び、怒り、悲しみを受け止める娘のかよさんはこう思う。
「お母さんの人生って何だったのだろう。お母さんは今まで幸せを感じたことがあったのかな」
 でもお母さんはかよさんにこう答える。
「私の人生はこれでよかったんだよ、あんたが生まれてきてくれたからね」
 母の人生とはいったいなんだったのか。
 僕の母が死んでから17年たつが、今もときどき考えることがある。
 僕の母は幸せだったのだろうか。
 不幸だったとは思わないが、つらいことも多かっただろう。
 僕は母とこんな親密な言葉を交わしたことはないが、もし尋ねたらこう答えてくれただろうか。
 そして気がつくと、母が亡くなった年齢まであと10年。ひたひたと人生の終末が迫っている。