「本の雑誌」目黒考二さん追悼号が届く

 目黒考二さんが亡くなって半年が過ぎ、今頃になって近所の本屋から注文していた「本の雑誌」の目黒さんの追悼号(2023年5月号)が届いた。紙不足でこの号は増刷できないと「本の雑誌」の方に聞いていたのですっかりあきらめていたのだが、ずいぶんひさしぶりに「本の雑誌」のページをめくった。
 巻頭のカラーページ(こんなカラーページが「本の雑誌」にあるとは思わなかったが、これはこの号だけなのか)は目黒さんの本棚で埋め尽くされている。本を収納するためにマンションを2部屋も借りて、そこにはおおよそ4万冊の本が並べられていたそうだ。
 僕も昔はこういう本で埋め尽くされた部屋に憧れていたが、歳をとるにつれて、人生に残された時間と、本棚にある本の量を比較するようになり、再び読む可能性のない本を取り除いていった。4万冊もあったら、僕だったらどこに何があるのか絶対にわからない。読書家の目黒さんならわかるのだろうかと思ったが、浜本茂さんの文章に、目黒さんから「見つからないから買っといて」とたびたび電話があったとあるので、やはりわからなくなっていたのだろう。当然だ。
 本文には追悼の書評家座談会が収録されている。その中で池上冬樹さんが次のようにいっている。
北上次郎に褒められたいって、作家もみんな言いますからね。(中略)自分は読んでもらえる作家なんだなって思いたいんですよ。それはもう作家にとっては、北上次郎というのは本当に高いブランドで、みんな注目している。で、いずれは褒められたい、そういう作家になりたいと」
 これは実によくわかる。僕も目黒さんや椎名さんに褒めてもらったおかげで、物書きとしてやっていけるかもしれないと自信がついた。座談会のあとには目黒さんの文庫解説リストが掲載されていて、そこに僕の『あの日、僕は旅に出た』が並んでいた。巻末に掲載されたこの書評を何度読み返したことだろう。もしかしたら自分で書いた本文より多く読み返したかもしれない。それぐらいうれしかったし、励みになった。
 僕はいわゆる賞をとったことは一度もないが、目黒さんと椎名さんに認めてもらえたことが、立派な賞を取ったのと同じような価値があった。実際、書評で褒めてもらったおかげで本の売り上げが伸びたし、物書きの僕としては、そのうえ読者に喜んでもらって、それでこれまでやってこれたようなものだと思っている。どれほど感謝してもしきれない。
 今年は1月に目黒さんが亡くなり、そのすぐあとに友人の前原利行さんが亡くなって、つらい半年だった。あらためてご冥福をお祈りします。ありがとうございました。