小さな紙のメディア


 東京の神田神保町にアジア文庫という書店がある。アジア好きの人にはよく知られている書店だが、中国(と日本)以外のアジアについての本を専門に販売しているところである。うちも長い間お世話になって、これまでたくさんの本を売っていただいた。このアジア文庫は、入荷した本の目録を兼ねたニュースペーパー「アジア文庫から」を発行し続けているが、このたびめでたく100号に達した。創刊が1986年で、38号まで隔月刊、以降が季刊発行で22年間のロングランである。


 1986年といえば、今ほどインターネットも発達しておらず、もちろんグーグルが日本に登場するはるか前。ネットで気軽に本を検索できるという状態ではなかった。そういう時代に、「アジア文庫から」(当時は「新刊案内」)を見ると、アジアに関する本を一覧できるというのは実にありがたかった。
「アジア文庫」http://www.asiabunko.com/


 ところで先日、うちの掲示板で、旅行人の初期の、遊星通信の古いバックナンバーが1000円で売っているという話を書き込んでくださった方がいた。信じられないような高値が付いたのは1989年発行の分で、19年前のものだ。16ページぐらいのモノクロ印刷なので、1000円で買う人がいるか疑問だが、知らないで買った人は怒るかもしれない、と思ったが、知らない人は買わないか。この頃の遊星通信はパソコンで文字を打ち出して、それを台紙に貼って版下を作り、印刷に回していた。


 「Web本の雑誌」の目黒考二さんのコラム「何もない日々」でも、目黒さんが「本の雑誌」を創刊する前につくった個人誌に、とんでもない高値が付いているという話を書いている。こっちは遊星通信の30倍すごい話だ。
「Web本の雑誌http://www.webdokusho.com/


 その個人誌は、「星盗人」というA5版、タイプ印刷64ページのもので150部制作されたものだそうだ。椎名誠さんの小説「アド・バード」の原型となる短編小説が掲載されたらしいので、確かにマニアは欲しくなるかもしれないとは思うが、31500円! というのは確かにすごい。


 DTP時代になって、タイプ印刷といってもわからない人も多いことだろう。タイプ印刷のタイプはタイプライターのことで、和文タイプライターで文章を打ったものを印刷した雑誌ということだ。僕も大学時代は、この和文タイプでセリフ文字を打って、吹き出しに貼り付けて、漫画同人誌を何冊も作ったことがある。金があれば写真植字(写植)が使えたのだが、同人誌だとそこまではいかない。


 「星盗人」が出たのが40年近く前だと目黒さんは書いている。こうやってみると、そのときの印刷事情が浮かび上がってくる。この3誌で最も古い「星盗人」がタイプ印刷、22年前の「アジア文庫から」がワープロ制作、20年前の遊星通信はパソコンだ。タイプ印刷の時代はかなりの歴史があった。そして、そこからワープロ・パソコンへの変換は、いかにも時代が変わったという感じがする。ワープロで作られたアジア文庫と、パソコンで作られた遊星通信は2年しか違わないが、今から見るとワープロは時代の徒花だった。もちろんアジア文庫も1999年からパソコンへ変わっている。


 ワープロやパソコンといった機械の発達で、アジア文庫や遊星通信といった小さなメディアは誕生することができた。今度は、インターネットがどんどん進歩するにつれ、どこまで紙の媒体であり続けられるのかを真剣に考えなければならなくなってしまった。これもまた時代の変遷というやつだ。


 紙媒体のほうが味があるとか、好きだとか、そういう好悪の問題は別にして、紙の媒体がなくても社会は困らないとなれば、それはそれで仕方のないことではある。紙の媒体を制作している僕だって、コンピューターによるDTP制作が可能になり、写植が不要になったからこそ出版業が営めたのだ。あまりセンチメンタルにはなっていられないが、紙媒体のほうがネットより優れた点はいくつもあるので、すべての紙媒体がいらなくなる時代が来るとも思っていない。もしかしたら、世界が、紙が手に入らなくなる「ブレードランナー」的な時代になって、紙媒体が消滅してしまうかもとは思ったりするけれど。