僕の高校時代──1971〜1975(6)漫画

 あまり居眠りばかりしていると教師から殴られるので、授業中に居眠りしないために僕はこっそり漫画を描いていた。教師たちをモデルに数ページの他愛もない漫画を描いたところ、これが生徒のあいだでバカ受けした。初めはクラスの中で受けただけだったが、あっという間に学校中にコピーがまわり始め、コピー代と称して売り出す者が現れるに及んで、ついに教師にばれて叱責された。当時はコピー代が高価だったから、タダで配るわけにはいかなかったのだろうが、金を払ってまで読んでもらえたことがうれしくもあり、そしてそれ以上に驚きでもあった。
 教師はいった。成績が悪いのはしょうがないが、教師の実名を出して個人的な中傷をするのはよくない。どうやら成績のほうは教師もすっかりあきらめていたらしい。確かに教師の言い分は正しいが、実名の漫画だからこそ受けたのだ。
 しかし、成績の悪い僕が、意外な才能を発揮したことに担任の教師は感心したらしく、おまえは将来こっちのほうで身を立てるつもりなのかと尋ねた。僕には、わかりませんと答えるしかなかった。
 先日、当時描いた漫画が、高校の卒業アルバムの中から出てきた。それを妻に見せたところ、今より絵が上手だったのねといわれ、当時から才能豊かであったいうか、その頃からまったく進歩のないことが判明した。

 クラスの生徒が僕に期待したことはふたつあり、ひとつはこの漫画で、もうひとつは現代国語のテスト範囲を縮小することであった。どういうことかというと、中間テストや期末テストのような定期テストは、テストが行われる前までに学習した範囲の中から出題される。したがって、授業が進まなければ、出題される範囲も狭くなるわけである。
 どうやったら授業の進展を遅らせることができるかというと、質問すればよいのだ。それもなるべくどうでもいいような質問をすれば、その分時間が消費され、授業は滞る。これが数学だと答えはシンプルであるからあまり効果がない。現代国語はいろいろな解釈が可能であり、正しい答えを示すのが大変であるというところがミソなのである。にもかかわらず、採点する教師は正解を一つ示す必要がある。苦しい立場だ。そこにつけこむのである。
 ある日の授業中、ひとつの項目が終了したところで、付近の生徒から目配せされた。これは「質問して時を稼ぎ、このまま時間切れに持ち込め」という指令である。成績のいい生徒は他にいくらでもいるのに、何故劣等生の僕に指令がとぶのかといえば、僕が「素朴な疑問」を現代国語の授業で質問したことから発している。
 国語の試験では、よく「それ」という代名詞は、どの語句にかかるのか、という問題が出る。あるとき、この手の問題を教師が説明していたのだが、解釈の仕方で上の語句にかかるのか下にかかるのか判然としないケースだった。たいした問題ではないのだが、たまたま僕は「それ」がかかるのは上ではなく、下ではないのかと質問したのである。
 その質問に何故か教師がうろたえ、猛然と上の語句であることを説明し始めたのだ。結局、そのためだけに授業の半分以上が費やされるという事態に陥ってしまったのである。
 生徒たちは喜ぶと同時に、この国語教師の弱点を発見した。「それ」が上にかかろうが下にかかろうが、そんなことはどうでもよいのである。文章の意図に大きな違いがあるわけではないし、テストに出題されるような重要箇所でもない。それよりも、いざとなったらこれでテストの出題範囲を調整できるという点に着目し、その大役を僕がおおせつかうことになったというわけである。
 どっちみち劣等生だから、教師の評判も内申書もあまり関係のない僕は、教師がうろたえるということがおもしろくてこの役を引き受けた。現代国語に限れば、質問なんて無数にできる。教科書に引用された小説の作者が、ある部分でどのように感じたか、などといった解釈の定まりようのないことに、ひとつの「正解」を求めるのはもともと無理がある。先生、そこは作者が悲しくてそういったんじゃなくて、本当はうれしかったんじゃないですか、などとこじつければいいだけの話だ。それを教師がムキになって反論するからこっちの思うつぼだった。
 やがて教師もその愚に気がつき、こういう質問を僕がすると、クラスで成績トップの亀山君を指名し、「亀山、おまえはどう思う?」と彼の意見を述べさせるようになった。こっちは亀山君と議論するつもりなどないので、質問はすぐに幕が引かれてしまうのであった。卑怯であると僕は思い、その後、漫画の主人公はこの国語教師一本槍となって、ますます生徒からの人気を博した。
 同じことは他の課目でも行われた。大学を出たばかりの新米教師がやってくると、担当の生徒が徹底的に意地の悪い、言い掛かり的質問をして教師を困らせたのだ。わが高校には校内暴力こそ存在しなかったものの、それはそれで陰湿だったわけだが、攻撃されるのは、おもに実力がないと生徒に認定された教師に限られた。
 大学受験とは無関係だが、自分が研究テーマとしている「源氏物語」に徹底的にこだわり、膨大なプリントを配布する「源氏の鬼」と呼ばれる古典の教師がいた。プリントに書かれているのは問題ではなく、源氏物語にどういう形容詞がいくつ登場してくるかとか、どういう動詞が頻繁に使われているかといった、まるで大学の研究論文のようなプリントなのである。もちろん受験勉強にはほとんど役に立たないのだが、その教師は生徒のあいだでは心から尊敬されていた。
 授業は難解きわまるもので、一度聴いただけではとても理解できないので、教壇にテープレコーダーを仕込んで、授業を録音して聴き直したこともあった。それでも理解するのは容易ではなかったが、それはそれでわからないなりにおもしろかった。
 もっとも、こんなことをやっても、自分の成績は一向に上がらない。そして、父親からは毎日のように電話があり、成績が上がらないことを叱責された。成績が上がらないのは、下宿の仲間が悪いのではないかというので、下宿を変えさせられたこともあった。もちろん僕はそうでないことを訴えたが、開き入られずに新しい下宿へ移された。
 3年生になると、順位を上げるどころか点数も取れなくなった。ついには生まれて初めての「0点」を獲得した。赤い丸印の数字を見て、僕はまるで漫画みたいだなと思った。温厚な化学の教師から答案用紙をもらったとき、その教師は感心したような顔をして、こういった。
「君ね、もしかしたらわざとこんな答案を書いたんじゃないかと私は疑ったんだけど、そうじゃないだろうね?」
 僕は、わざとじやありませんと答えた。
「そうか。やっぱりな。この○×式の回答欄があるだろう? ここを君は見事に全部逆にしてるんだよ。全部○にすれば最低でも10点は取れるわけだよ。全部×でもそうだ。それが全部きれいに逆なんだもんなあ。感心したよ」
 そういって、次はがんばりなさいと答案を返してくれた。

追記】前回、深夜放送のことを書いたが、前川健一さんから、鹿児島では電波が入りにくかったのではないかという指摘を受けた。たしかに安定した電波状態ではなく、よく音声が聞こえなくなったりした。ニッポン放送が最も安定していて、文化放送やTBSはたまにちょっと聞こえるという程度。なので、おもに聴いていたのは「オールナイトニッポン」。「セイヤング」や「パックインミュージック」は聞こえたときに聴く感じだったかな。
 僕が聴いていた「オールナイトニッポン」は、パーソナリティがアナウンサー中心の時代で、中学生のころからよく聴いていた。その頃も受験勉強をしていたんだよなあ。そう考えると、高校になると全国放送の深夜放送はだんだん聴かなくなってきたころかもしれない。プログレやロックなどをカセットに録音していたのはほとんどNHK-FMでしたね。