アフリカの賄賂『グッドマン・イン・アフリカ』

 事務所の整理をしていて、昔書いた原稿がいろいろと出てきた。雑誌やPR誌に書きっぱなしで単行本に再録していないものが多いので、前回に引き続きブログに掲載することにした。
 この原稿は、1995年に上映された『グッドマン・イン・アフリカ』という映画のパンフレットに掲載したエッセイだ。もちろん映画を観て書いたものだが、映画のほうはすっかり忘れてしまった。「Movie Walker」という映画紹介サイトには次のようにある。
ーー西アフリカの大地を舞台に、若きイギリス人外交官と人格者たる白人医師の交流を、洗練されたユーモア感覚と人間を見つめる暖かな眼差しで描いたヒューマン・ドラマ。
http://movie.walkerplus.com/mv10787/
 ショーン・コネリー主演の映画だと思うが、下のエッセイでは映画の内容とはほとんど無関係に、アフリカの賄賂のことを書いている。僕が実際にアフリカで会った旅人の話だ。この時代、およそ30年前からアフリカの国々はどれほど変わっただろうか。


アフリカの賄賂


 この映画を見はじめて、のっけからにやりとささせられる場面に出くわした。それは、イギリスの大使が着任のためキンジャザ(※映画の中の架空の街)に到着したとき、空港の係官から陏胳を要求されるシーンである。
 いったいイギリスの大使に向かって賄胳を要求するなどということが現実にありうるのかどうかは別にして、係官が旅行者に賄胳を要求することは結構あることなのである。
 例えば、こういう話があった。場所はこの映画と同じ西アフリカ。ナイジェリアの空港でのことである。子ども二人を引き連れたある日本人の家族が、ナイジェリアを離れるために空港に向かった。もちろん飛行機のチケットは持っているし、予約も入れてある。だが、空港の係官は彼らを通してくれないのである。なぜなら、その日本人が係官の要求した賄胳を払わなかったからだ。
 結局、その家族は予定した飛行機に乗れなかった。一週間に一便しかない飛行機なので、次の便まで一週間待たなければならない。
 ところが! なんと、彼らは空港でその一週間を過ごしたというのである。さすがにその有様を見ていた係官たちは、彼らが賄胳を払う金もないことを悟ったため、次の便で無事にナイジェリアを飛び立つことができたという話である。いやはや、空港の係員も係員だが、その日本人もあっぱれであった。
 このようなことがアフリカのどの国でも行われているわけではない。だが、アフリカの一部の国の官憲たちは、賄胳を要求することを当然の権利として考えているのもまた事実である。
 アフリカ諸国は独立以来、西欧的な近代化に失敗した国が多い。自国に基幹産業を持たず、きびしい自然条件の中でほそぼそと農業や牧畜を営んでいる地域では、現金収入のもっとも期待できる職業といえば、それはホワイトカラーである。つまり、国の役人、国営企業の社員などがそれにあたる。これらの職業には、政府の人間に有力なコネのある人間しか就くことはできないが、いったんこの 職を手にしてしまうと、あらゆる手段を通じて役得を得ようとする者が多いのである。
 われわれの目から見ると、それは官憲の腐敗でしかない。「グッドマン」のスコットランド人医師が憤るように、そういうことをやっているからアフリカの人々にいつまでたっても幸福はやってこないのだ、と。
 そういった土壤をつくりだしているのは、アフリカの人々それ自身である。持てる者から援助を受けることはいわば当然のことだという風潮がないわけではないのだ。
 貧しい庶民は、出世して役職に就いた身内に頼ろうとする。しかし国家公務員になっても、われわれが考えるような高給をもらえるわけではない役人にとっては、家族ばかりか親戚一同すベての面倒をみなければならないのは、かなりの負担になる。給料だけではとても養えない。それでも出世した役人だからということでみんながやってくる。
 僕がアフリカで会った会社員は、こうこぼしていた。
「自分の田舍に帰るとみんながやってくる。だから赴任地は知らない場所のほうがいいんだ。そうでないと家族を養えなくなる」
 こういう事情から役人たちは、あるところから取る、陏胳でも何でも、ということになってしまうのである。おそらく、イギリス大使からせしめたあの50ポンドも、口を開けて待っている多くの家族・親戚一同の中に消えていったことだろう。
 われわれは表に現れた現象を、自分たちの分脈の中で解釈する。賄胳とは悪いものであるという解釈は間違ってはいないが、一面的なものでもある。あるところから、ないところへ物を分配し、共生をはかる生き方がアフリ力では普通のことなのだ。
 同じナイジェリアでの話をもう少し書こう。オートバイでナイジェリアの国境に着いたある日本人旅行者は、例によって賄胳を要求された。払わなければナイジェリアに入国できないので、しぶしぶ払ったという。
 その彼、旅行コースの関係で、再び同じ国境に行くことになった。また賄胳を要求されるのかとうんざりしながらも、そこへ行かざるをえなかったが、そのとき彼は銀行に行く暇がなくてナイジェリアの金をほとんど持っていなかった。国境で前回と同じ役人に賄胳を要求され、頭にきた彼はこういった。
「俺は金なんか全然持ってない! 金がなくてめしも食ってないんだ」
 すると、役人は、それはかわいそうにといって、彼に食事をご馳走してくれたそうだ。
 ないものの切実さをわれわれはこの映画からどれほどくみとることができるだろうか。