小さな出版社の可能性3

 以前に矢萩多聞さんがいっていた、「小商い」出版とは、簡単に言えば売れる数しか部数をつくらないというやり方だ。きわめて単純なこの方法がこれまで不可能だったのは、印刷コストのせいだ。前々回に書いたことなので詳しくは繰り返さないが、部数が少ないと1冊当たりの単価が高くなって非現実的な売価になるのが常識だった。そこにネット印刷が出現して、劇的に印刷コストが下がったのだ。従来なら3000部以上でないと一般的に売れる売価にならなかったのが、利潤は多少減るけれど、300〜500部でもなんとかいけるようになった。

 300〜500部なんて同人誌のスケールだが、それは初版の数であって、売れさえすれば増刷できるので、可能性としては数万部だって可能だ。それがほぼ在庫なしで達成できる可能性があるというところが従来とは全く異なるのである。

 とはいえ、数万部を目指して本をつくるのはもはや現実的ではない。この方法が魅力なのは、自分の好きな本が100部からでもつくれるということだ。前にも書いたように、矢萩さんは10部からスタートした。たった10部からだったら印刷コストも在庫も何の問題もない。100部でもほぼ問題ない。

 では、何の問題もないかというと、問題はある。かなり大きな問題だ。まず、部数が少なすぎるので、制作コスト(印刷コストではない)が捻出できないということと、多くの書店に配本できないということだ。制作コストとは、著者の印税のほか、校正・編集費、デザインといった本の制作には欠かせない仕事にかかるコストだ。これらはもちろんただではない。100部全部売れても、このコストはまったく捻出できない。著者印税も例えば1500円の本で10%だったとして、100部では1万5000円にしかならない。これで1冊本を書けといっても無理だろう(だが現実には1500円の本を3000部つくっても著者印税は45万円にしかならず、それで生活するのは不可能なのは同じだが)。

 それに、100部しかつくらない本を全国の書店にばらまくことはもちろんできない。1000部だってむずかしい。だから、基本的にリアル書店で幅広く販売することは現実的に不可能なのだ。販売は基本的にネット書店、ネット販売ということになるが、矢萩さんのambooksがやっているような、書店との直取引なら書店販売も可能になる。委託にするか買い取りにするかは交渉次第というところだろう。

 一般的にいえばこの方法で制作できる本はかなり限定的になる。書き下ろしではなく、すでにネットで発表されたものとか、眠っていた原稿だ。本にできるチャンスがなかった作品なら、印税は少なくても本にしたいという作者はいるかもしれない。この場合も、校正・編集費は増刷を重ねないと出てこない。

 あるいは、イラストや写真であれば、校正・編集費はいくぶん軽減される。あとはこういう本の種類を増やしていき、売れた分だけ少しずつ増刷すれば、多くの在庫を持つ必要もないし、1冊の利潤は少なくても積み重なっていく(もちろん大儲けは絶対に無理ですけど)。

 一般的にはそういうことだが、僕自身はこのやりかたで本がつくれる。自分で原稿を書き、写真を撮り、デザインするので、その分の経費は無視できる。校正費用が捻出できればなんとかなるのだ。ここでようやく最初の話に戻るのだが、それでつくったのが、今回の「旅行人」であり、『旅日記』であり、『The Art of Meena』(ミーナーの写真集)だったというわけだ。

 「旅行人」は原稿料も校正費用もかかるが、今でも書店で直取り引きで売っていただけるし、ネットでも売れる。部数を減らしても印刷コストの軽減で元が取れるメドが立った。『旅日記』は400部、『The Art of Meena』は30部しかつくっていないが、これはどちらも(校正は少しやってもらったが)作り方としてはほぼ写真集なので、ほとんど僕一人で制作可能だった。

 『旅日記』は、たんに印刷しただけではなく、僕がインドで収集したラベルを別刷りして、それを本の中に貼り付けるというセルフ加工を施している。少部数の本は、こういうふうに自分たちの手で加工ができるということなのだ。それがおもしろい。これはカバーもなく、定価表示もバーコードもないので、基本的に書店販売はできない。なぜ書店販売を考えなかったかというと、自分たちで加工を施しているので、追加注文には簡単に応じられないのと、傷んだ本を返本されると廃棄するしかないからだ。

 実はこういう手づくり本のアイデアを僕は以前からあたためていた。他にもまだつくりたいアイデアがあるのだが、どうやったら実現できるかわからなかったのだ。それがようやくその糸口が見えてきた。

 前に出した掘井太朗さんの写真集『ディア・インディア』にもそういう加工が施してある。インドの列車の切符を印刷して貼り付け、出国スタンプを模したスタンプが巻末に押してある。結果的にコストがかかりすぎて成功とはいえなかったが、出来上がりには満足している。

 これからは少部数で、自分が好きな本を、1冊1冊手を加えながら制作していければと考えている。手間ひまはかかるが、というより、手間ひまをかけた本づくりをして、1冊1冊を大事に売るやりかたにしたい。あとは、それをどうやって読者に知ってもらえるかだ。もちろんこれがいちばん難しい。インターネットでツイッターFACEBOOKといったSNSなどで告知する以外に手はない(なにしろ宣言広告費はまったく出ないから)。だから、読者にツイッターFACEBOOKなどで見にきていただく以外にない。というわけなので、どうぞよろしくお願いします。




※『旅日記』、『The Art of Meena』などは、10月中旬から旅行人ウェブサイトで通販を開始します。詳細が決まり次第お知らせいたします。

FACEBOOKは登録しないと見ることはできません。登録後、旅行人か蔵前仁一で検索し、フォローするか、蔵前仁一に「友だちリクエストした」とメッセージしてください。メッセージがないと、詐欺リクエストとみなされてリクエストが承諾されません。かならずメッセージをお願いします。

ツイッターは登録しなくても見られます。ツイッターで旅行人か蔵前仁一を検索してください。登録してフォローすれば自動的にお知らせやツイートが流れてきます。お手数ですが、よろしくお願いします。

小さな出版社の可能性2

 「ゴーゴー・インド30年」イベントの準備もようやく峠を越え、チラシやポスターを作って配り、さまざまなグッズをつくり、イラストを額に入れてそれぞれのタイトルをつくり、といったもろもろのことをようやく完了した。それに「旅行人」を1号だけ復刊させ、僕が旅の最中に書いた『旅日記』を本にし、今度の「旅行人」に掲載できなかったミーナー画の小さな写真集も制作した。こんなに忙しかったことは「旅行人」を休刊にして以来ないことだった。今はちょっと気が抜けた状態だ。

 実はイベントをやる前から、「旅行人」を1号復刊させることは考えていた。イベントの企画が立ち上がったので、結果的にそれに間に合うように制作したが、去年ラージャスターンを旅して、ミーナー画を見てまわったので、その旅行記を発表するつもりでいた。それを単行本にするか、雑誌にするかで迷っていたが、結局「旅行人」にすることにした。

 それには3つの理由がある。まず第1は、ラージャスターンにミーナー画を見にいきましたという旅行記の単行本では、ほとんど売れる見込みがないということだ。1冊の単行本としては内容としても薄い。カラーページを多用して200ページ以上の単行本を制作し、高くても2000円程度で売るには、最低でも4000〜5000部は作らなくてはならない。それはかなり非現実的な数字なのだ。

 2番目の理由は、「旅行人」を復刊する方が読者が喜んでくれるし、僕以外の執筆者にも書いてもらえるということだ。単行本の執筆はけっこう孤独な作業だが、雑誌作りはいろいろな人に書いてもらえて作業としても楽しい。もちろん雑誌のほうがめんどくさい作業も増えるのだが、それでも自分も書き、他の人の原稿もいただき、レイアウトし、校正し、印刷所に入れて作り上げるという独特の充実感がある。自分には書けないインドやそれ以外の地域の話を読み、発表できるのは編集者としてはやはり楽しい作業だ。

 3番目の理由は、コストと流通の問題だ。これは前回のブログに書いたことと重なることだが、今は本当に本が売れない時代で、現実的にいって数千部を刷って取次経由で全国の書店に配本するのは、コストがかかるし、リスクが高すぎる。例えば4000部刷って半分しか売れないと、とうぜん2000部は返本される。読者はおそらく2000部の返本などご覧になったことはないと思うが、それが倉庫に積み上げてあるのを見ると茫然となる。1冊の厚みが15mmだとすると2000冊で30メートルだ。畳2畳1坪分(3.3平方m)に積み上げると1.6mの高さになる。重さは約800kg。普通の家だったらこれだけでいっぱいいっぱいだろう。

 とはいえ、実際のところ2000部の返本などたいしたことはない。だが、1冊につき2000部なので、それが50種類あると10万部の返本の山になるのだ。これは文字通り山ですよ。こうなると一目で見渡すことさえ不可能になるが、小さな出版社でもその程度の在庫を抱えていることは珍しくはない。うちだって最近まで13万冊の在庫があった。その維持費たるや毎月ん十万円となる。ただ在庫しておくだけで。

 そういうわけで、売れるかもしれないという幻想のような期待を込めて印刷しても、ただただ返本の山が大きくなっていき、やがて断裁せざるをえなくなり、ただ紙くずになるだけなのだ。その徒労感というか、空しさは売れない版元でないと理解できないだろう。いったい何のために本を作っているのかという根源的な疑問におちいる。

 というわけで、返本があるかぎり、何千部も刷る単行本は現実的にいって制作できない。つまり、本を制作する→取次にまわす→全国の書店に委託配本する、という従来のパターンは、数千部刷ってたくさん売れるという前提がないと機能しない仕組みなのだ。読者の中にはご存じない方もいらっしゃるかもしれないので念のために書いておくと、書店は出版社から本を買ってくれるわけではなく、書店の棚を貸してくれるだけなのだ。これを委託販売という。だから一定期間売れない本は出版社に返本されてしまう。

 旅行人ではもうほとんど従来のような新刊を出していないが、それはそのような理由による。出しても返本の山が大きくなるような出版活動は不可能なのだ。そこに一筋の光のように差した方法が前回のブログで書いた「小商い」出版だった。長くなったので、続きは次回に。

小さな出版社の可能性

 5月20日日本橋で行なわれた「本との土曜日」に参加した。これはインド関係の本やグッズを売る小さな市のような企画だった。僕は版元として出店したが、著者、書店として参加した方々もいた。
 そこで、『持ち帰りたいインド: KAILASとめぐる雑貨と暮らしの旅』(誠文堂新光社)の著者、松岡宏大さんが、3日でつくって持ってきましたといって文庫本サイズの本を見せてくれた。『ひとりみんぱく123』という本で、松岡さんのコレクションを自分で撮影して(彼はカメラマンでもある)まとめた小さな写真集だ。美しい装幀は矢萩多聞さんによるデザインで、シンプルな作りだが、144ページ、オールカラー、価格は1500円。
 これだけだと表面上はごく普通の本でしかないが、驚くべきは、この本はたった10部しか作られていないということだ。1000部でも100部でもない。たった10部!

『スーパルマドゥライ』(武田尋善)は72p初版20部で増刷決定したそうです。
 たった10部しか印刷しないで、カラー144ページを1500円で販売して利潤が出るのかといえば、少し出るのだという。オンデマンド印刷なので、10部でも100部でも1部あたりの単価は変わらないそうで、だから10部作ってみて売れたらまた刷ればいいという考え方なのだ。
 なるほど。それなら売れない在庫を抱えるリスクはほぼない。イベントのトークで矢萩さんがおっしゃっていたが「出版の小商い」という考え方なのだ。
 ある意味で、同人誌とやり方は変わらないが、矢萩さんはこの文庫サイズの本を「Ambooks」というシリーズにしているようだ。そこらへんの詳しい話はまだよくわからないのだが、矢萩さんはこのシリーズを「たくさんつくってたくさん売るのではなく、ちいさくささやかであっても、欲しい人に届く本にしたい」と書いている。最初のわずか10部のために、プロのデザイナーである矢萩さんは手抜きのない実に美しいデザインを施している。普通の装幀家はこんなことを仕事としてはやらない(やれない)だろう。
 同人誌の場合は、友人でもない限りプロのデザイナーがデザインしてくれることはないし、編集や校正・校閲もない。だから、やっぱり同人誌(あるいは出版社を通さない自費出版)は見た目もそうなるし、内容もそれなりのものにしかならない(自分で金を出して作って売るのだからそれでいいのだが)。
 Ambooksのようなやり方と、同人誌・自費出版の大きな違いは、このようにプロのデザイナーがデザインするということと、誰のものでも金さえ出せば作るというわけではないということだろう。矢萩さんがそこで選別しているはずだ。そこで大きな違いが出る。Ambooksと銘打たれた本のクオリティが担保される。このやり方で重要なのは、デザイナー、カメラマン、イラストレーターなどといったプロが参加しているということだ。彼らの強いこだわりがこのようなことを実現させる。
 このイベントで僕がいちばんショックを受けたのは、このAmbooksだった。実を言うと、僕もこれまでのように数千部作って取次に持ち込み、全国の書店にばらまくというやり方にうんざりしていた。金もかかるし、在庫も抱え込む。たいして儲かるわけでもないのにリスクだけがやたらに大きい。こういったやり方だと、数千部売れるような本しか作れないということになる。本当に自分の好きな本を好きなように作って、それを数千部売ろうなどというのは非現実的な話だ。インドの奥地のほとんどの日本人が知らないような壁画の写真集なんていったい何人の人が欲しがる? ま、50人ぐらいかな(笑) だから本にするのは無理だなあと思っていたのだけど、このやり方ならできるのだ。まさに矢萩さんがいうように、本当に読みたい人に、見て欲しい人に届けばじゅうぶんだ。旅行人も、これからそういった小さな、ますます小さな出版社になっていきたいなあ。

Ambooksのサイトはただいま準備中とのことです。→ http://am.tamon.in

最悪の宿

 今日も机周りや本棚を整理している。
 引き出しに入っていた写真の束から、はらりとこの写真が出てきた。思い出すのもおぞましい宿の写真だ。たしか1990年ごろだったのではないかと思う。ネパールからスナウリ国境を越えてインドへ入ったときだ。国境に到着したのが遅くなり、国境から少し行ったナウタンワという街で一泊することになった。なかなかホテルが見つからず、ようやく見つけたのがここだった。
 そこは薄汚れた連れ込み宿で、それまでさんざん汚いホテルには泊まってきたが、ここほど汚いホテルはない。インドだけでなくアフリカでもここほどひどいホテルは覚えがない。つまり、僕の旅行史上最低の宿ということになる。
 夜、妻がトイレに行き、悲鳴を上げて帰ってきた。灯りもないトイレの戸を開け、懐中電灯で照らすと、壁一面に黒いものがざわざわと動いたというのだ。ぜったいゴキブリだという。無数のゴキブリが壁一面にはりついていたようだが、わざわざ確認しに行く気にはなれなかった。妻はついにトイレに行けず、一晩がまんした。
 シーツも汚く、室内は湿ってかび臭く、さすがにここで眠ることはできなかった。これまで数えきれないほど安宿に泊まり歩いてきたが、その多くはすでに忘れてさっている。だが、ここだけはこうやって書けるぐらい今でも覚えているのだから、最悪でも心に残るホテルだということか。心に残らなくていいんだけど。

アフリカの賄賂『グッドマン・イン・アフリカ』

 事務所の整理をしていて、昔書いた原稿がいろいろと出てきた。雑誌やPR誌に書きっぱなしで単行本に再録していないものが多いので、前回に引き続きブログに掲載することにした。
 この原稿は、1995年に上映された『グッドマン・イン・アフリカ』という映画のパンフレットに掲載したエッセイだ。もちろん映画を観て書いたものだが、映画のほうはすっかり忘れてしまった。「Movie Walker」という映画紹介サイトには次のようにある。
ーー西アフリカの大地を舞台に、若きイギリス人外交官と人格者たる白人医師の交流を、洗練されたユーモア感覚と人間を見つめる暖かな眼差しで描いたヒューマン・ドラマ。
http://movie.walkerplus.com/mv10787/
 ショーン・コネリー主演の映画だと思うが、下のエッセイでは映画の内容とはほとんど無関係に、アフリカの賄賂のことを書いている。僕が実際にアフリカで会った旅人の話だ。この時代、およそ30年前からアフリカの国々はどれほど変わっただろうか。


アフリカの賄賂


 この映画を見はじめて、のっけからにやりとささせられる場面に出くわした。それは、イギリスの大使が着任のためキンジャザ(※映画の中の架空の街)に到着したとき、空港の係官から陏胳を要求されるシーンである。
 いったいイギリスの大使に向かって賄胳を要求するなどということが現実にありうるのかどうかは別にして、係官が旅行者に賄胳を要求することは結構あることなのである。
 例えば、こういう話があった。場所はこの映画と同じ西アフリカ。ナイジェリアの空港でのことである。子ども二人を引き連れたある日本人の家族が、ナイジェリアを離れるために空港に向かった。もちろん飛行機のチケットは持っているし、予約も入れてある。だが、空港の係官は彼らを通してくれないのである。なぜなら、その日本人が係官の要求した賄胳を払わなかったからだ。
 結局、その家族は予定した飛行機に乗れなかった。一週間に一便しかない飛行機なので、次の便まで一週間待たなければならない。
 ところが! なんと、彼らは空港でその一週間を過ごしたというのである。さすがにその有様を見ていた係官たちは、彼らが賄胳を払う金もないことを悟ったため、次の便で無事にナイジェリアを飛び立つことができたという話である。いやはや、空港の係員も係員だが、その日本人もあっぱれであった。
 このようなことがアフリカのどの国でも行われているわけではない。だが、アフリカの一部の国の官憲たちは、賄胳を要求することを当然の権利として考えているのもまた事実である。
 アフリカ諸国は独立以来、西欧的な近代化に失敗した国が多い。自国に基幹産業を持たず、きびしい自然条件の中でほそぼそと農業や牧畜を営んでいる地域では、現金収入のもっとも期待できる職業といえば、それはホワイトカラーである。つまり、国の役人、国営企業の社員などがそれにあたる。これらの職業には、政府の人間に有力なコネのある人間しか就くことはできないが、いったんこの 職を手にしてしまうと、あらゆる手段を通じて役得を得ようとする者が多いのである。
 われわれの目から見ると、それは官憲の腐敗でしかない。「グッドマン」のスコットランド人医師が憤るように、そういうことをやっているからアフリカの人々にいつまでたっても幸福はやってこないのだ、と。
 そういった土壤をつくりだしているのは、アフリカの人々それ自身である。持てる者から援助を受けることはいわば当然のことだという風潮がないわけではないのだ。
 貧しい庶民は、出世して役職に就いた身内に頼ろうとする。しかし国家公務員になっても、われわれが考えるような高給をもらえるわけではない役人にとっては、家族ばかりか親戚一同すベての面倒をみなければならないのは、かなりの負担になる。給料だけではとても養えない。それでも出世した役人だからということでみんながやってくる。
 僕がアフリカで会った会社員は、こうこぼしていた。
「自分の田舍に帰るとみんながやってくる。だから赴任地は知らない場所のほうがいいんだ。そうでないと家族を養えなくなる」
 こういう事情から役人たちは、あるところから取る、陏胳でも何でも、ということになってしまうのである。おそらく、イギリス大使からせしめたあの50ポンドも、口を開けて待っている多くの家族・親戚一同の中に消えていったことだろう。
 われわれは表に現れた現象を、自分たちの分脈の中で解釈する。賄胳とは悪いものであるという解釈は間違ってはいないが、一面的なものでもある。あるところから、ないところへ物を分配し、共生をはかる生き方がアフリ力では普通のことなのだ。
 同じナイジェリアでの話をもう少し書こう。オートバイでナイジェリアの国境に着いたある日本人旅行者は、例によって賄胳を要求された。払わなければナイジェリアに入国できないので、しぶしぶ払ったという。
 その彼、旅行コースの関係で、再び同じ国境に行くことになった。また賄胳を要求されるのかとうんざりしながらも、そこへ行かざるをえなかったが、そのとき彼は銀行に行く暇がなくてナイジェリアの金をほとんど持っていなかった。国境で前回と同じ役人に賄胳を要求され、頭にきた彼はこういった。
「俺は金なんか全然持ってない! 金がなくてめしも食ってないんだ」
 すると、役人は、それはかわいそうにといって、彼に食事をご馳走してくれたそうだ。
 ないものの切実さをわれわれはこの映画からどれほどくみとることができるだろうか。

旅先での「選択」の先にある運命

 12年も前に、新潮社の『波』という雑誌に書いた書評をブログに掲載する。『「バンコクヒルトン」という地獄 ― 女囚サンドラの告白』(サンドラ・グレゴリー著/川島めぐみ訳/新潮社)という本だ。
 なんでいまさらと思うが、大掃除していてこの『波』が出てきたのだが、いつまでも取っておくわけにもいかないし、捨ててしまったらこの書評も消滅するので(それはそれでいいんだけど)、ブログに掲載しておこうと思ったのだ。
 というのも、この著者サンドラさんは、僕とまったく同じ時期にタイにいた旅行者で、すぐ隣りで笑っていたイギリス人旅行者だったことが読んでみてわかったのだ。古い本なので古本しかないかもしれないが、よかったらまずこの書評をお読み下さい。


旅先での「選択」の先にある運命
サンドラ・グレコリー『「バンコクヒルトン」という地獄』


 もしあなたが外国に旅に出て、所持金をすべて失ったうえに病気にかかったとしたら、どうするだろう。日本の肉親に電話をして送金してもらうか、あるいは大使館に駆け込んで金を借りるかのどちらかだろう(貸してくれる保証はないが)。麻薬を密輸して金を稼いで帰国すると答える人はまずいないと思うが、この第三の選択をしたイギリス人女性がいた。
 彼女サンドラ・グレゴリーは単なる旅行者に過ぎなかった。夕イがあまりにも気に入ったために、予定より長く滞在してしまい、所持金を使い果たしてしまう。そのうえデング熱にかかって弱気になり、帰国の費用をまかなうためにヘロインの密輸を引き受けてしまうのだ。しかし、タイの空港でヘロインを発見されて逮捕され、その結果25年の実刑判決を受ける。本書はその逮捕から釈放までの一部始終を描いた物語である。
 これだけ聞くと、彼女に対して同情する人はあまりいないだろう。バカなことをやったバカな旅行者の話だ。しょうがない。僕も同情はしないし、彼女自身、当然の報いだったと書いている。1キロにも満たないヘロインを持ち出そうとしたぐらいで25年はないだろうと思う方もいるかもしれない。僕もそう思うし、彼女もそう思うと書いている。しかし、タイの法律ではそうなっているのだからしょうがない。死刑にならなかったのが幸運だったぐらいだ。
 タイの刑務所で4年過ごしたあと、彼女はイギリスの刑務所に移されて、さらに4年を過ごすのだが、両親の懸命な減刑運動によって釈放される。この8年の刑務所生活を描くことに本書の大半は費やされているが、彼女に同情するかどうかは別にして、この刑務所生活の様子はすさまじい。映画『ミッドナイト・エクスプレス』そのものだ。
 と書くと、やっぱりタイの刑務所はつらいだろうなと想像する人もいるかもしれないが、これがそうともいえない。タイの刑務所もつらいが、イギリスのほうがもっとつらかったと彼女は書いているのである。イギリスで最も恐れられている刑務所はダラム重警備刑務所というところだそうだが、終身刑や死刑といった重罪の囚人ばかり収監されているこの刑務所にサンドラは入れられてしまう。たった1キロ未満のヘロイン密輸でなんでこんな目に遭わなくちゃいけないの? とサンドラは嘆くのだが、なんでも イギリスでは犯した罪の内容にかかわらず刑の重さで収容する場所も決められてしまうらしい。本書を読む限りタイの刑務所だって十分にひどいが、イギリスの刑務所もちょっとどうかと思う。まるで映画みたいだなと感じるのは、その描写がかなりスリリングであることと、まさか自分はそんなところに入る可能性はないと信じているからだ。いやいや、一歩間違えればその可能性だってなくはないでしょうと新潮社の編集者は原稿を依頼するときにアドバイスしてくれたが、あのね、冗談じやありませんよ(とはいえ、バンコクの刑務所には何人かの日本人が麻薬の密輸で捕まって収監されているそうである)。
 しかし、偶然とは恐ろしいもので、じつはサンドラがタイの島でデング熱にかかってうなっていたのと同じ頃、ほぼ同じ場所で、僕も同じ病気にかかってうなっていた。当時その島(※コパンガン)デング熱が流行していたので、そういった旅行者は多かったのである。そして、彼女が病床からなんとか起きあがってバンコクまでたどりつき、チェックインした同じ安宿に、じつは僕も泊まっていた。僕も彼女もお互いに知り合うことはなかったのに、まさかこんな物語で再会することになろうとは。
 しかし、当然のことながらその後の運命は僕とは全然違う。彼女は病気で帰国したかったのに金がなかった。僕は帰国したくもなく、金も持っていた。その結果、彼女は逮捕されてタイとイギリスの刑務所で苛酷な8年を過ごす。そして本書を書いて日本語訳される。僕のほうは数冊の平凡な旅行記を書き、こいつはタイを旅行したことがあるようだから、この本の書評をやらせてみるかと新潮社の編集者の目に留まってこの原稿を書いている。その後の人生ははっきりとわかれてしまったが、行き着くところはたいして変わらないといえば変わらないのかもしれない。もちろん僕は、いささかのためらいもなく、こんな本を書けない自分の人生を選択するけれど。

「バンコク・ヒルトン」という地獄―女囚サンドラの告白

「バンコク・ヒルトン」という地獄―女囚サンドラの告白

  • 作者: サンドラグレゴリー,マイケルターネイ,Sandra Gregory,Michael Tierney,川島めぐみ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る

インド旅行のインターネット事情(2)モバイル機器

 今のスマホタブレットは、Wi-Fiがないオフライン状態でも、機器に内蔵されたGPSによって地図上に自分の位置が示されることを前の旅行で教わった。それを試してみたくて、今回のインド旅行では中古のスマホ(中古のアンドロイド端末で9000円ぐらい)を購入し、インドに持参した。電話としても使えるので、あらかじめ日本でSIMロックを解除し、インドでSIMを入れるつもりだった。

(docomo)AQUOS PAD SH-08E

(docomo)AQUOS PAD SH-08E

 だが、残念ながらインドで入れたSIMがつながらなかった。SIM屋にいわせれば、僕のスマホに問題があるそうだが、インドで入れたSIMはなかなかつながらないらしい。
 そういうわけで、電話はできず、Wi-Fiが飛んでいるところしかネットにアクセスできないスマホになったが、冒頭に書いた地図とGPS機能は使えるので、それを試した感想を書いてみたい。
 おそらく、とっくに経験なさっている方も多いと思うが、列車やバスに乗っていて、地図上に現在位置が示され、目的地まであと何キロあるかが即座にわかるのは本当に便利である。例えば長距離列車に乗っていて、早朝や深夜に目的の駅に着く予定になっている場合、自分がどこにいるのか、あるいはあと何分で目的地なのかわからずに緊張することが多かった。終着駅なら問題ないが、予定通りに発着しないことが多いインドの列車では、窓から目を凝らして駅名をチェックし、時刻表で目的の駅までの距離を確認しなければならなかった。それが、スマホがあると一発でわかるので安心して列車に乗っていられるのだ。
 あるいはバスに乗っていて、車窓から珍しい風景や建築物が見えたときも、今まではどこそこに行く途中にこういうものが見えたなあという程度で終わりだったが、スマホがあれば、それがどこなのか正確に特定できる。もしSIMが機能していれば、それが何なのかもネットで探し出せるかもしれない。
 僕は今回、ラージャスターンの村を巡って壁画を探しまわった。そういう村は地図にも出てこないような場所だったりする。以前は、リキシャに乗って村を巡る際に、磁石で方向を見て、出発地からだいたいこの方向にどれぐらい行ったからと見当を付けて地図で探したが、正確な位置が特定できないこともあった。だが、今回はGPSで地図を追っているので、どんなところだろうが正確に位置をつかめるのだ。
 ガイドブックに載っているような街でも、必ずしも地図が載っているとは限らない。地図のない街を訪れるとき、駅やバススタンドから目的のホテルまで順路がはっきりわかるのは心強い。2キロしかないのに、リキシャが5キロだ10キロだというウソにごまかされることがない。リキシャに道案内までできる(今回実際にやりました)。
 地図が載っているようなメジャーな街でも、やはりスマホの地図で自分の位置が示されるのはいい。僕は地図を見るのが上手ではないので、地図を見ながら反対方向に行くという間違いをよくやらかす。だからこれまで磁石で何度も方向を確かめつつ、地図を広げて方向を確認したものだったが、もうそんな必要はなくなった。おかげで、これまで絶対に必要だった方向磁石付きの時計が不要になった。

これが画面に現れるブーンディのMaps.meの地図

 モバイル機器の便利さはもちろんこれだけではない。ガイドブックや関連資料の電子書籍、PDFをいくらでも持っていけるのがなんといってもすばらしいし、ネットにつながれば、列車の時刻表もすぐに検索できる。日本でよく使う路線検索がインドでも可能なのだ。これです。他にもいろいろあると思いますが。
http://indiarailinfo.com/search/ndls-new-delhi-to-jp-jaipur-junction/664/0/272
 これを見れば、目的地までの列車が何本あり、何時に出て何時に着き、料金はいくらということがすぐにわかる。もう「トレイン・アット・ア・グランス」を購入する必要はない。
 今回の旅では、インド政府が突如として高額紙幣を廃止するというアクシデントに見舞われたが、「たびレジ」に登録したおかげで、日本大使館からの情報メールで逐一変わる情勢もけっこう正確に把握することができた。
https://www.ezairyu.mofa.go.jp/tabireg/
 それからついでに書くと、以前はホテルで音楽を聴くのに、カセットテープを持ち歩いてウォークマンに小型のスピーカーを接続して、などといったことをやっていたが、もちろん今はそんなことは不要だ。Wi-Fiさえつながればあらゆる音楽を自由に聴くことができる。これが実にいい。
 スマホ旅行初体験の僕が経験したことなので、これまで書いたことは皆様には「当たり前でしょ、今頃何をいってるの?」てなものだろうが、とにかくこれほど旅は便利になったのだ。
 旅は便利であればいいのか? 失うこともあるのではないか? とおっしゃる方もいることだろう。今回僕は何かを失った気はまったくしないのだが、しいていえばついWi-Fiを接続してFACEBOOKやらTWITTERを見てしまうのが悪い癖になってしまったとはいえるだろう。日本の新聞さえダウンロードして普通に読めるので、以前のように現地の英字新聞を買って苦労しながら読むというようなこともせず、つねに日本とのつながりが切れないという意味では旅の気分が少し変わったかもしれない。それが旅にとってどれほどの意味を持つのかは、人によっても違うし、自分にとっても経験を重ねないとよくわからないことではある。
 ネットで予約しなければ安宿でさえ宿泊を断られるというようなことが世界各地で起きている。それははっきりいって困る。予約した通りに動かなくてはならないのではまったく自由ではない。だが、今回のインドでは一度もそのようなことはなかった。ふらっとホテルに行くと、どこでも宿泊できた。ずっとそうであってほしいと思う。
 インドに限らないが、ホテルでよくいわれるのが、「トリップアドバイザー」に高評価を付けて欲しいというお願いだ。いまや「トリップアドバイザー」はガイドブックより権威があるようだ。地図もホテルもネットでOK。そうなるとガイドブックはこれからいったいどうなっていくのか考えざるを得ない世の中になってしまったようだ。

 さて、本年もいよいよ終わる。今年もまたこのブログをたいして更新できなかったが、来年もあまり期待せず見守って下さい(笑) どうぞよい年をお迎え下さいますように。