アフリカの賄賂『グッドマン・イン・アフリカ』

 事務所の整理をしていて、昔書いた原稿がいろいろと出てきた。雑誌やPR誌に書きっぱなしで単行本に再録していないものが多いので、前回に引き続きブログに掲載することにした。
 この原稿は、1995年に上映された『グッドマン・イン・アフリカ』という映画のパンフレットに掲載したエッセイだ。もちろん映画を観て書いたものだが、映画のほうはすっかり忘れてしまった。「Movie Walker」という映画紹介サイトには次のようにある。
ーー西アフリカの大地を舞台に、若きイギリス人外交官と人格者たる白人医師の交流を、洗練されたユーモア感覚と人間を見つめる暖かな眼差しで描いたヒューマン・ドラマ。
http://movie.walkerplus.com/mv10787/
 ショーン・コネリー主演の映画だと思うが、下のエッセイでは映画の内容とはほとんど無関係に、アフリカの賄賂のことを書いている。僕が実際にアフリカで会った旅人の話だ。この時代、およそ30年前からアフリカの国々はどれほど変わっただろうか。


アフリカの賄賂


 この映画を見はじめて、のっけからにやりとささせられる場面に出くわした。それは、イギリスの大使が着任のためキンジャザ(※映画の中の架空の街)に到着したとき、空港の係官から陏胳を要求されるシーンである。
 いったいイギリスの大使に向かって賄胳を要求するなどということが現実にありうるのかどうかは別にして、係官が旅行者に賄胳を要求することは結構あることなのである。
 例えば、こういう話があった。場所はこの映画と同じ西アフリカ。ナイジェリアの空港でのことである。子ども二人を引き連れたある日本人の家族が、ナイジェリアを離れるために空港に向かった。もちろん飛行機のチケットは持っているし、予約も入れてある。だが、空港の係官は彼らを通してくれないのである。なぜなら、その日本人が係官の要求した賄胳を払わなかったからだ。
 結局、その家族は予定した飛行機に乗れなかった。一週間に一便しかない飛行機なので、次の便まで一週間待たなければならない。
 ところが! なんと、彼らは空港でその一週間を過ごしたというのである。さすがにその有様を見ていた係官たちは、彼らが賄胳を払う金もないことを悟ったため、次の便で無事にナイジェリアを飛び立つことができたという話である。いやはや、空港の係員も係員だが、その日本人もあっぱれであった。
 このようなことがアフリカのどの国でも行われているわけではない。だが、アフリカの一部の国の官憲たちは、賄胳を要求することを当然の権利として考えているのもまた事実である。
 アフリカ諸国は独立以来、西欧的な近代化に失敗した国が多い。自国に基幹産業を持たず、きびしい自然条件の中でほそぼそと農業や牧畜を営んでいる地域では、現金収入のもっとも期待できる職業といえば、それはホワイトカラーである。つまり、国の役人、国営企業の社員などがそれにあたる。これらの職業には、政府の人間に有力なコネのある人間しか就くことはできないが、いったんこの 職を手にしてしまうと、あらゆる手段を通じて役得を得ようとする者が多いのである。
 われわれの目から見ると、それは官憲の腐敗でしかない。「グッドマン」のスコットランド人医師が憤るように、そういうことをやっているからアフリカの人々にいつまでたっても幸福はやってこないのだ、と。
 そういった土壤をつくりだしているのは、アフリカの人々それ自身である。持てる者から援助を受けることはいわば当然のことだという風潮がないわけではないのだ。
 貧しい庶民は、出世して役職に就いた身内に頼ろうとする。しかし国家公務員になっても、われわれが考えるような高給をもらえるわけではない役人にとっては、家族ばかりか親戚一同すベての面倒をみなければならないのは、かなりの負担になる。給料だけではとても養えない。それでも出世した役人だからということでみんながやってくる。
 僕がアフリカで会った会社員は、こうこぼしていた。
「自分の田舍に帰るとみんながやってくる。だから赴任地は知らない場所のほうがいいんだ。そうでないと家族を養えなくなる」
 こういう事情から役人たちは、あるところから取る、陏胳でも何でも、ということになってしまうのである。おそらく、イギリス大使からせしめたあの50ポンドも、口を開けて待っている多くの家族・親戚一同の中に消えていったことだろう。
 われわれは表に現れた現象を、自分たちの分脈の中で解釈する。賄胳とは悪いものであるという解釈は間違ってはいないが、一面的なものでもある。あるところから、ないところへ物を分配し、共生をはかる生き方がアフリ力では普通のことなのだ。
 同じナイジェリアでの話をもう少し書こう。オートバイでナイジェリアの国境に着いたある日本人旅行者は、例によって賄胳を要求された。払わなければナイジェリアに入国できないので、しぶしぶ払ったという。
 その彼、旅行コースの関係で、再び同じ国境に行くことになった。また賄胳を要求されるのかとうんざりしながらも、そこへ行かざるをえなかったが、そのとき彼は銀行に行く暇がなくてナイジェリアの金をほとんど持っていなかった。国境で前回と同じ役人に賄胳を要求され、頭にきた彼はこういった。
「俺は金なんか全然持ってない! 金がなくてめしも食ってないんだ」
 すると、役人は、それはかわいそうにといって、彼に食事をご馳走してくれたそうだ。
 ないものの切実さをわれわれはこの映画からどれほどくみとることができるだろうか。

旅先での「選択」の先にある運命

 12年も前に、新潮社の『波』という雑誌に書いた書評をブログに掲載する。『「バンコクヒルトン」という地獄 ― 女囚サンドラの告白』(サンドラ・グレゴリー著/川島めぐみ訳/新潮社)という本だ。
 なんでいまさらと思うが、大掃除していてこの『波』が出てきたのだが、いつまでも取っておくわけにもいかないし、捨ててしまったらこの書評も消滅するので(それはそれでいいんだけど)、ブログに掲載しておこうと思ったのだ。
 というのも、この著者サンドラさんは、僕とまったく同じ時期にタイにいた旅行者で、すぐ隣りで笑っていたイギリス人旅行者だったことが読んでみてわかったのだ。古い本なので古本しかないかもしれないが、よかったらまずこの書評をお読み下さい。


旅先での「選択」の先にある運命
サンドラ・グレコリー『「バンコクヒルトン」という地獄』


 もしあなたが外国に旅に出て、所持金をすべて失ったうえに病気にかかったとしたら、どうするだろう。日本の肉親に電話をして送金してもらうか、あるいは大使館に駆け込んで金を借りるかのどちらかだろう(貸してくれる保証はないが)。麻薬を密輸して金を稼いで帰国すると答える人はまずいないと思うが、この第三の選択をしたイギリス人女性がいた。
 彼女サンドラ・グレゴリーは単なる旅行者に過ぎなかった。夕イがあまりにも気に入ったために、予定より長く滞在してしまい、所持金を使い果たしてしまう。そのうえデング熱にかかって弱気になり、帰国の費用をまかなうためにヘロインの密輸を引き受けてしまうのだ。しかし、タイの空港でヘロインを発見されて逮捕され、その結果25年の実刑判決を受ける。本書はその逮捕から釈放までの一部始終を描いた物語である。
 これだけ聞くと、彼女に対して同情する人はあまりいないだろう。バカなことをやったバカな旅行者の話だ。しょうがない。僕も同情はしないし、彼女自身、当然の報いだったと書いている。1キロにも満たないヘロインを持ち出そうとしたぐらいで25年はないだろうと思う方もいるかもしれない。僕もそう思うし、彼女もそう思うと書いている。しかし、タイの法律ではそうなっているのだからしょうがない。死刑にならなかったのが幸運だったぐらいだ。
 タイの刑務所で4年過ごしたあと、彼女はイギリスの刑務所に移されて、さらに4年を過ごすのだが、両親の懸命な減刑運動によって釈放される。この8年の刑務所生活を描くことに本書の大半は費やされているが、彼女に同情するかどうかは別にして、この刑務所生活の様子はすさまじい。映画『ミッドナイト・エクスプレス』そのものだ。
 と書くと、やっぱりタイの刑務所はつらいだろうなと想像する人もいるかもしれないが、これがそうともいえない。タイの刑務所もつらいが、イギリスのほうがもっとつらかったと彼女は書いているのである。イギリスで最も恐れられている刑務所はダラム重警備刑務所というところだそうだが、終身刑や死刑といった重罪の囚人ばかり収監されているこの刑務所にサンドラは入れられてしまう。たった1キロ未満のヘロイン密輸でなんでこんな目に遭わなくちゃいけないの? とサンドラは嘆くのだが、なんでも イギリスでは犯した罪の内容にかかわらず刑の重さで収容する場所も決められてしまうらしい。本書を読む限りタイの刑務所だって十分にひどいが、イギリスの刑務所もちょっとどうかと思う。まるで映画みたいだなと感じるのは、その描写がかなりスリリングであることと、まさか自分はそんなところに入る可能性はないと信じているからだ。いやいや、一歩間違えればその可能性だってなくはないでしょうと新潮社の編集者は原稿を依頼するときにアドバイスしてくれたが、あのね、冗談じやありませんよ(とはいえ、バンコクの刑務所には何人かの日本人が麻薬の密輸で捕まって収監されているそうである)。
 しかし、偶然とは恐ろしいもので、じつはサンドラがタイの島でデング熱にかかってうなっていたのと同じ頃、ほぼ同じ場所で、僕も同じ病気にかかってうなっていた。当時その島(※コパンガン)デング熱が流行していたので、そういった旅行者は多かったのである。そして、彼女が病床からなんとか起きあがってバンコクまでたどりつき、チェックインした同じ安宿に、じつは僕も泊まっていた。僕も彼女もお互いに知り合うことはなかったのに、まさかこんな物語で再会することになろうとは。
 しかし、当然のことながらその後の運命は僕とは全然違う。彼女は病気で帰国したかったのに金がなかった。僕は帰国したくもなく、金も持っていた。その結果、彼女は逮捕されてタイとイギリスの刑務所で苛酷な8年を過ごす。そして本書を書いて日本語訳される。僕のほうは数冊の平凡な旅行記を書き、こいつはタイを旅行したことがあるようだから、この本の書評をやらせてみるかと新潮社の編集者の目に留まってこの原稿を書いている。その後の人生ははっきりとわかれてしまったが、行き着くところはたいして変わらないといえば変わらないのかもしれない。もちろん僕は、いささかのためらいもなく、こんな本を書けない自分の人生を選択するけれど。

「バンコク・ヒルトン」という地獄―女囚サンドラの告白

「バンコク・ヒルトン」という地獄―女囚サンドラの告白

  • 作者: サンドラグレゴリー,マイケルターネイ,Sandra Gregory,Michael Tierney,川島めぐみ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る

インド旅行のインターネット事情(2)モバイル機器

 今のスマホタブレットは、Wi-Fiがないオフライン状態でも、機器に内蔵されたGPSによって地図上に自分の位置が示されることを前の旅行で教わった。それを試してみたくて、今回のインド旅行では中古のスマホ(中古のアンドロイド端末で9000円ぐらい)を購入し、インドに持参した。電話としても使えるので、あらかじめ日本でSIMロックを解除し、インドでSIMを入れるつもりだった。

(docomo)AQUOS PAD SH-08E

(docomo)AQUOS PAD SH-08E

 だが、残念ながらインドで入れたSIMがつながらなかった。SIM屋にいわせれば、僕のスマホに問題があるそうだが、インドで入れたSIMはなかなかつながらないらしい。
 そういうわけで、電話はできず、Wi-Fiが飛んでいるところしかネットにアクセスできないスマホになったが、冒頭に書いた地図とGPS機能は使えるので、それを試した感想を書いてみたい。
 おそらく、とっくに経験なさっている方も多いと思うが、列車やバスに乗っていて、地図上に現在位置が示され、目的地まであと何キロあるかが即座にわかるのは本当に便利である。例えば長距離列車に乗っていて、早朝や深夜に目的の駅に着く予定になっている場合、自分がどこにいるのか、あるいはあと何分で目的地なのかわからずに緊張することが多かった。終着駅なら問題ないが、予定通りに発着しないことが多いインドの列車では、窓から目を凝らして駅名をチェックし、時刻表で目的の駅までの距離を確認しなければならなかった。それが、スマホがあると一発でわかるので安心して列車に乗っていられるのだ。
 あるいはバスに乗っていて、車窓から珍しい風景や建築物が見えたときも、今まではどこそこに行く途中にこういうものが見えたなあという程度で終わりだったが、スマホがあれば、それがどこなのか正確に特定できる。もしSIMが機能していれば、それが何なのかもネットで探し出せるかもしれない。
 僕は今回、ラージャスターンの村を巡って壁画を探しまわった。そういう村は地図にも出てこないような場所だったりする。以前は、リキシャに乗って村を巡る際に、磁石で方向を見て、出発地からだいたいこの方向にどれぐらい行ったからと見当を付けて地図で探したが、正確な位置が特定できないこともあった。だが、今回はGPSで地図を追っているので、どんなところだろうが正確に位置をつかめるのだ。
 ガイドブックに載っているような街でも、必ずしも地図が載っているとは限らない。地図のない街を訪れるとき、駅やバススタンドから目的のホテルまで順路がはっきりわかるのは心強い。2キロしかないのに、リキシャが5キロだ10キロだというウソにごまかされることがない。リキシャに道案内までできる(今回実際にやりました)。
 地図が載っているようなメジャーな街でも、やはりスマホの地図で自分の位置が示されるのはいい。僕は地図を見るのが上手ではないので、地図を見ながら反対方向に行くという間違いをよくやらかす。だからこれまで磁石で何度も方向を確かめつつ、地図を広げて方向を確認したものだったが、もうそんな必要はなくなった。おかげで、これまで絶対に必要だった方向磁石付きの時計が不要になった。

これが画面に現れるブーンディのMaps.meの地図

 モバイル機器の便利さはもちろんこれだけではない。ガイドブックや関連資料の電子書籍、PDFをいくらでも持っていけるのがなんといってもすばらしいし、ネットにつながれば、列車の時刻表もすぐに検索できる。日本でよく使う路線検索がインドでも可能なのだ。これです。他にもいろいろあると思いますが。
http://indiarailinfo.com/search/ndls-new-delhi-to-jp-jaipur-junction/664/0/272
 これを見れば、目的地までの列車が何本あり、何時に出て何時に着き、料金はいくらということがすぐにわかる。もう「トレイン・アット・ア・グランス」を購入する必要はない。
 今回の旅では、インド政府が突如として高額紙幣を廃止するというアクシデントに見舞われたが、「たびレジ」に登録したおかげで、日本大使館からの情報メールで逐一変わる情勢もけっこう正確に把握することができた。
https://www.ezairyu.mofa.go.jp/tabireg/
 それからついでに書くと、以前はホテルで音楽を聴くのに、カセットテープを持ち歩いてウォークマンに小型のスピーカーを接続して、などといったことをやっていたが、もちろん今はそんなことは不要だ。Wi-Fiさえつながればあらゆる音楽を自由に聴くことができる。これが実にいい。
 スマホ旅行初体験の僕が経験したことなので、これまで書いたことは皆様には「当たり前でしょ、今頃何をいってるの?」てなものだろうが、とにかくこれほど旅は便利になったのだ。
 旅は便利であればいいのか? 失うこともあるのではないか? とおっしゃる方もいることだろう。今回僕は何かを失った気はまったくしないのだが、しいていえばついWi-Fiを接続してFACEBOOKやらTWITTERを見てしまうのが悪い癖になってしまったとはいえるだろう。日本の新聞さえダウンロードして普通に読めるので、以前のように現地の英字新聞を買って苦労しながら読むというようなこともせず、つねに日本とのつながりが切れないという意味では旅の気分が少し変わったかもしれない。それが旅にとってどれほどの意味を持つのかは、人によっても違うし、自分にとっても経験を重ねないとよくわからないことではある。
 ネットで予約しなければ安宿でさえ宿泊を断られるというようなことが世界各地で起きている。それははっきりいって困る。予約した通りに動かなくてはならないのではまったく自由ではない。だが、今回のインドでは一度もそのようなことはなかった。ふらっとホテルに行くと、どこでも宿泊できた。ずっとそうであってほしいと思う。
 インドに限らないが、ホテルでよくいわれるのが、「トリップアドバイザー」に高評価を付けて欲しいというお願いだ。いまや「トリップアドバイザー」はガイドブックより権威があるようだ。地図もホテルもネットでOK。そうなるとガイドブックはこれからいったいどうなっていくのか考えざるを得ない世の中になってしまったようだ。

 さて、本年もいよいよ終わる。今年もまたこのブログをたいして更新できなかったが、来年もあまり期待せず見守って下さい(笑) どうぞよい年をお迎え下さいますように。

インド旅行のインターネット事情(1)Wi-Fi

 最近は(というかここ10年ぐらいで)世界各地の安宿で、フリーWi-Fiがホテルの必須設備となっているのは皆さんもよくご存知のことだろう。
 そのせいで、安宿でさえネット予約しないと泊まれないことがある。僕が数年前に旅した旧ユーゴスラビア諸国やコーカサス諸国でも、ネット予約しないで行くと満室だと断られることがあった。明日の目的地も定かではない旅をしていると、このネット予約は苦痛である。予約した通りに旅をしなくてはならないのではぜんぜん自由ではない。はたしてインドはどうなのか。それが少し心配だった。
 インド到着初日のニューデリーのホテルは友人の定宿で、おすすめだというので予約してもらった。だが、これ以降、僕は予約などしなかったが、泊まれなかったホテルは一軒もなかった。インドでは予約しなくても、ふらっと行って泊まることができるのに大いに安心した(ただ3泊したところで予約客があって出たことはあった)
 もちろんインドの安宿でもWi-Fiがある。Wi-Fiはあるか? と聞くと、当然だという顔をされるぐらいどこでもあるのだが、電波は極めて弱い。今回僕が泊まったホテルで早いと感じたところはなく、当然だが仕事には使えない。仕事の場合は自分でSIMを契約するしかないだろう。旅行でたまにSNSやニュースを見てメールを受信するぐらいならまあまあ使えるという程度だ。
 驚いたのは、2等寝台列車Wi-Fiがあることだ。インドの2等寝台列車を利用したことがある方は多いと思うが、僕が初めてインドを旅した33年前からその姿は何も変わっていない。日本の列車だと30年以上前の車輌と現代のそれでは、かなり変わっていると思うが、ことインドの2等寝台に関しては何一つ変わっていない。窓も寝台もトイレもなにもかも同じだ。僕が変化に気がついた唯一の点は、車輌の端にある扉付近にコンセントが設置されたことだ。たぶん携帯電話の充電用だろう。

 ショートした跡がある列車のコンセント

 なので、僕はまさか走っている列車の中でWi-Fiが飛んでいるなど想像すらできず、気づいたのが遅れた。たまたま夜明け前に寝台から起きだし、暗いので懐中電灯がわりにスマートフォンの電灯アプリを使おうと手に持ったとき、電話がぷるぷると震えだしたのだ。
 僕の電話にはSIMが入っていない。電話が振動するのはメールを受信した合図だが、Wi-Fiがないと受信できないのだ。信じられない思いで画面を操作すると、確かにメールを受信している。
 これが夢ではない証拠を残すべきであると判断した僕は、急いで写真を撮り、それをツイッターに投稿した。ちゃんと投稿できたので夢ではなかった。

 最初に投稿したツイッター

 しかし、それでも僕はまだ信じることができなかった。いったいこのおんぼろ車輌のどこにWi-Fiの設備があるのだろう。この列車がたまたま実験的にやっているだけではないのか? ネットで検索しても、インドの走行中の列車でWi-Fiがつながるなんて話は見つからないのだ(駅でつながるようになったという話はある)
 そこで、旅の終わりにもういちど列車に乗ってニューデリーへ向かうときに試してみた。
 やはりつながった。幻でも夢でもなかったのだ。見かけは昔のままのおんぼろでも、進歩していることが判明した。
 そういうわけなので、今やインドの列車から世界中にネット発信できる時代になったのだ。すごいことだよなあ。


夜のブーンディ駅は昔と変わらない風景で、Wi-Fiが飛ぶような雰囲気はまるでない。

NHK FM「音楽遊覧飛行 エキゾチッククルーズ」を聴く

 高校生のころは勉強をさぼってラジオばかり聴いていた。ちょうどプログレッシブロックに目覚めたころでもあったので、NHK FMで流れるロックを録音して繰り返し聴いていた。プログレの長い曲をきちんとかけてくれるのはNHKぐらいのものだったが、それでもいつもかけてくれるわけではない。
 あるとき地元のAM放送局で公開録音があり、僕の好きなDJの番組だったので、応募して見にいった。そのとき、聴取者の皆さんもDJをやりませんかという企画の誘いがあった。僕はよく考えもせず手を挙げた。
 局の人に、「どういう番組をやりたいのですか?」と質問され、迷わず「プログレをフルでかける番組です」と答えた。局の人は困った顔をして、それでは番組にならないという。どういう企画でなんの話ができるのかが重要なのだそうだ。
 僕はプログレを聴きたいだけであって、そういう場合むしろDJの話など邪魔なだけだと思っていたし、そのように答えた。曲とグループの名前以外は不要です!(それ以外のことはよく知らないし)もちろんそういう希望が通るわけもなく、「また今度ね」で終了してしまった。
 時は移り、20年近く前、事務所ではいつもFMが流れていた。仕事をしながらBGMとして聴いていたのだが、これがだんだん苦痛になり、いつしかネットラジオになり、それもめんどくさくなってiTunesになり、それも飽きて今は何も流さないでいる。
 勝手なことをいうと、好みの音楽を、最低限の解説だけでどんどん流し、30分に1回ぐらい天気予報とニュースが入るのが理想のFM放送だが、もちろんそんな放送局があるわけがない。
 かつてJ-WAVE開局当時に音楽を流しっぱなしにすると謳って実験放送したことがある。それは曲の好みをのぞけばなかなかよかった。しかし、本放送になるとそのスタイルはすぐに放棄され、小じゃれた(つもりの)内容のない話が延々と続く、どの局でも同じスタイルになってしまった。こういう放送はとてもじゃないが聴くにたえない。今はネットがあるだけ救われているのだ。
 だが、数か月前ラジオを聴いていて、偶然その理想にほぼ近い番組があることを(ようやく)発見した。朝9時からNHK-FMで放送されている「音楽遊覧飛行」という番組だ。
 この番組はちょっとややこしい構成になっていて、4人のDJが週ごとに交代する。僕が聴いたのはサラーム海上さんが担当する「エキゾチッククルーズ」という番組だ(他のDJの曲はほとんど興味ありません)。この番組でかかる曲がすごい。例えば、10月6日のラインナップは次の通り。

「オイメズ・ソング」ディープ・フォレスト、オイメ
「モールチャンシンフォニー」チュゲ・カーン
「ザ・ダフォディル&ジ・イーグル(ラッパスイセンと鷲)」シャクティ
「ヌドゥン・スイム」バミレケ・バンジュン族
「ビロンゴ」リチャード・ボナ
「サン・ビセンテミルトン・ナシメントハービー・ハンコック

 1曲も知らないし、どこの歌かもわからない。ハービー・ハンコックを知ってるぐらいか。
 これまで聴いた放送では、アフリカのピグミーやアマゾンのヤノマミの歌、あるいはマリの個人宅で録音されてバックにヤギの声が入り込んでいる曲なんてものもあった。トルコや中南米のポップスもかかるし、インドの伝統音楽や日本のエスニック音楽もかかる。他の番組でかかるお馴染みの曲やヒット曲はもちろん絶対にかからない。
 サラーム海上さんは、曲の合間にわかりやすく無駄のない解説を入れてくれる。正直いっていきなりピグミーの太鼓が聞こえてきても戸惑うが、この解説を聞いてから音楽を聴くと、曲が実に面白く響いてくる。ヤノマミの歌はまるで日本の読経とそっくりだが、事情を知ってから聴くと楽しめるのだ。他愛もなく内容のないおしゃべりは一切なし! という態度が実にすばらしい。ついでにいうと、妙に慣れたプロっぽい話し方でないというのもいい。これこそ僕が望んでいた理想の番組だ。
 ただひとつ不可解な点があるとすれば、番組でリクエストを求めている点だ。誰がこのラインナップでリクエストできる? ぜひモンゴルの口琴の名手の歌をお願いします! とか? 僕としては、あくまでサラームさんの選曲でやっていただきたいと思う。
 皆さんもぜひお聴きになり、この番組がずっと続くように応援してください! 下のリンクにメッセージを書き込めるようになっています。
http://www4.nhk.or.jp/yuran/

 とはいえ、僕がラジオの世界をほとんど知らないだけで、他にも優れた番組はあるのだろう。サラームさんの番組の前には、北中正和さんもエスニックミュージックの番組を長い間やっていらっしゃったようだ。それはまったく知らなかったので、聴けなかったのがとても残念だ。
 この番組を聴かなきゃというのがありましたら、ぜひお教え下さい。ちなみに演歌は聴きませんのでよろしく。

写真集『ディア・インディア』(3)旅の本のデザイン

 松田さんのオフィスに行くと、これまで松田さんが制作なさった本をお見せいただき、ひとつひとつの作り方を説明いただいた。
 その中で箱に入った小さな本があった。それは僕もとても気に入っている本で、外側の箱にコンクリートの表面が印刷され、中は海の水平線ばかりの写真が掲載された写真集だった。
 実際にこういう本をつくると、どこにスリップ(書店取引用の札)を入れるのかが疑問で、僕はここに来る前に近所の書店で尋ねてみたのだが、外側にビニールにくるんで貼り付けるしかないという。それには余分なコストがかかる。松田さんにそれを尋ねると、実際にそうしたという。
「それよりも、読者が中の写真集を実際に見られないのがよくなかったね」
 僕はひそかに箱入りもおもしろいと思っていたが、やはりダメなようだ。
 造本は同じでも、カバーの色が異なる本があった。その本はけっこう売れたので、増刷のたびに地の色を変えてみたのだそうだ。なるほど、インクの色を変えるだけでおもしろいバリエーションになるんだなあ。
 さて、うちの本はどうしたものか。僕が持参したラフなアイデアを見て、松田さんはそれに向く紙の提案などを具体的にしてくださった。話をしていると、次々におもしろい本が作れそうな気分になる。僕はこれまでグラフィックデザイナーとデザインの話をしたことはほとんどなく、デザインの話は本当に楽しかった。
 造本の仕方にもよるが、2000円で販売すると通常の本よりも利幅は少ないらしい。赤字にならないようにどう工夫するかは印刷所の知識と経験もかなりの比重を占めるそうで、業界では有名だという印刷会社の方を紹介していただいた。
 それから、とりあえずコストのことは無視して、あれこれアイデアをひねり出してみた。
 それを印刷所の方に見せて意見を聞く。どうやればコストダウンできるかを具体的に聞き、コストの安い方法を取り入れる一方で、あきらめざるを得ないアイデアもあった。
 そういったアイデアを、ここですべてをあかすことはできないが、これまで旅行人が出してきた本とはかなり異なっていることは確かだ。
 カバーの仕掛けも初めてやったアイデアだが、少部数なので、自分たち(つまり僕を含むスタッフ3人)で1冊1冊手を加えて加工する手づくりの本なのだ。だからといって手作り感のあるデザインにしたいわけではなく、つまり・・・、その部分を明かすとネタバレになっちゃうので、実際に見てもらうしかない。この写真集を「旅の本」にする仕掛けがこれなのだ。とはいえ、それほどたいそうなものでもないけど、われわれの手が加わって完成するアイデアなのだ。
 今日はカバー表部分を公開しよう。
 こういう感じになる。

 真ん中の枠の中だけ色が違うのは、カバー写真が透明のフィルムに印刷されており、真ん中の枠の部分が何も印刷されない透明なままになっているからだ。だから下の、本体表紙に印刷された写真が透けて見えているわけ。実はここにかなりのコストがかかった。
 サイズはA5変型版で、縦170mm、横148mm。小ぶりの写真集だ。
 定価は2200円+消費税。10月末〜11月初めの発売になりますので、どうぞよろしくお願いします。
 少部数なので、普通の書店にはほとんど並べることができない。新宿紀伊國屋本店とか、池袋ジュンク堂とか、そういう大型の本店に限られるが、アマゾンから買えるようにできると思います。確実に入手なさいたい方は、旅行人へお申し込みいただくのがベストです。まだサイトのページは設けていないが、発売日が確定し次第ページを作りますので、よろしくお願いします。

写真集『ディア・インディア』(2)苦心惨憺の編集作業

 写真家の写真集を出すのは初めてのことなので、どのように作ればいいのかとまどった。
 最初、写真集なのだから、写真を並べるだけでいいのだろうと考えていた。それなら簡単だ。面倒な校正も必要ない。そう思って、掘井さんから送られてきた写真をページにぺたぺたと貼り付けていった。それをプリントアウトして初校は簡単にできた。
 ところが、それを見ても、あたりまえだが、ただ写真が並んでいるだけ。これではまったく物語が伝わってこない。もちろん掘井さんの写真は素晴らしい。しかし、ただ並べただけでは、その素晴らしさがぜんぜん発揮されないのだ。
 写真集というのは写真を並べただけではだめなのか。他の写真集だって写真を並べただけだろう。そう思いながら、あらためて本棚にある写真集をめくってみる。もちろん写真を並べただけの写真集もある。例えば写真家として高名な作家の写真集は、ひとつのテーマで、これでもかというぐらい分厚く作品を展開していく。
 その一方で、ドキュメント写真の場合は、写真集でもレポートが付帯されていて、文字によって現場の様子が説明される。写真集といってもいろいろな作り方があるのだ。
 僕は掘井さんの写真を眺めながら、どういう構成にすれば写真がもっと生き生きと立ち上がってくるのかを考え続けた。しかし、まったくアイデアが浮かんでこなかった。毎日そればかり考えていたわけではないが、数カ月間ほとんど何も進展しなかった。判型を幾度か変えてみたり、ページ数を変えてみたり、あるいは章だても何種類か考え、そのたびに写真を組み替えてみたりもした。しかし、どうやってもうまくいかない。
 掘井さんも一度は出版をあきらめていた節がある。僕もダメかもしれないと何度も思った。
 このままではもうダメになるので、僕は掘井さんに文章を書いていただくことにした。当時のことを思い出してもらい、メモや日記から文章を組み立てて送ってもらった。その文章を読み、書き直し、削除し、ようやく一つの形にまとまった、ようにみえた。
 だが、それでも満足する本にはならなかった。
 いったい僕は何の本を出そうとしているのか。インドの写真集というテーマでは、漠然としていてまったく焦点が定まっていない。
 旅行人が出すのだから旅の本であるべきだ。この写真集はインドの旅の本でなければならないのだ。だが、どうしたら旅の本になるのか。
 困り果てていたそのとき、一冊の本を目にした。
 「牛若丸」という小さな出版社が出している小さな本だ。
 それは旅の本というわけではない。そこが出している本は、極めてデザイン的で造本が凝りに凝っていた。松田行正さんというグラフィックデザイナーが、自由に独創的にデザインした本ばかりを刊行しており、例えばページがB文字型に断裁された本とか、表紙に不規則な形の穴が開いていたりするような造本なのだ。

 ここに何か突破口があるのではないか。僕は直感的にそう感じた。
 普通このような本は造本にかなりのコストがかかる。それまで旅行人ではこんな造本をやったことがなかったので、いくらかかるのかまったくわからない。ところが牛若丸の本は安いものになると2000円で販売されている。
 こんな凝った本が2000〜3000円で販売できるようなコストで作れるのか。
 そこで、伝手をたどって、牛若丸出版に出向き、松田さんにお話をうかがいにいくことにした。