ブータンと国民総幸福感

 先頃ブータン国王夫妻が来日し、美男美女ぶりに日本中がすっかりめろめろになり、国王夫妻はブータンのイメージアップに大いに貢献した。どのテレビ報道でもブータンは経済的には貧しくても、国民はとても幸せな国だという。まるで20年前のアジアを語るときのセリフ「人々は貧しくても、生き生きと眼が輝いている」というのと同じだ。私が知る限り、唯一こういう話は眉唾だと述べたのは竹田圭吾さん(「ニューズウィーク日本版」編集長)だけだった。

 いったいブータンの国民総幸福感とは何なのか? ウィキによれば、「金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたもの」だという。その尺度は次の9つのものであるらしい。
 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方

 ブータン国民にアンケートすると、「2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した」そうだ。つまり国民の96.7%の人間が自分は幸福だと答えたわけだ。本当にこんなことがあり得るのだろうか?

 心の卑しい私のような人間の感覚では、国民のほぼすべての人間が幸福だと答える社会が存在するとすれば、クェートのような超金持ち国であるか、独裁政権下で幸福であるとしか答えられないかのいずれかだ。ブータンがそのどちらでもないならば、そもそもの幸福の尺度がぜんぜん違うのだとしか考えられないのだが、理解できない私は心が貧しいのだろうか。

 ネットで検索してみると、ブータンの公務員として働いている日本人、御手洗瑞子(みたらい・たまこ)という方の記事が出てきた。
 「ブータン公務員だより」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110610/220675/)注※この記事を読むには無料の会員登録が必要です。

 御手洗さんによれば、ブータンは、まるで「みんなが幸せな、夢の国」のように語られることがあるが、ブータンは決して「夢の国」ではなく、貧困や所得格差や他国への経済依存などの問題を抱えているという。彼女の記事を読むと、ブータンは「貧しくても幸福な国」なのではなく、国民の幸福を政治の指針に掲げてはいるが、経済的に貧しい国である、ということになる。

 国民の幸福を政治の指針に掲げているのは、ブータンに限らず「生活が第一」を公約に掲げて政権をとったわが国の民主党だって同じだが、日本人はちっとも幸福になった気がしないのに、ブータン人はそれを誇りにして幸福さえ感じるようになっているといっている。自主財源は国家財政の7割しかなく、残り3割を他国の援助に頼っているにもかかわらず。

 ブータン政府はそういう経済状況で国民が幸福でいられるとは思っていない。自国内の産業を育成し、経済的にも独立することを目指しているという。しかし、そのためには官僚も、民間企業も今の幸福状態のままでのんびりと仕事をしていたら経済的な自立は不可能だという。ジレンマだ。計画通りに進まなくても「まあ、いいんじゃない、仕方ないよね」ですまなくなり、仕事優先でバリバリ仕事をする必要がある。そうすると逆に不幸になっちゃうってことになるんじゃないのか。

 ブータンの公務員でさえこう書くのだから、ブータンが決して「夢のように幸福な国」でないことは明らかだ。この人によれば、ブータンの人々が自分を幸福だと感じるのは、そういう気質だからではないかという。ブータン人は明日のことは深く考えない、楽観的で刹那的で快楽主義であるそうな。先のことをくよくよ考えてもしょうがないからってことらしい。だから計画性はあまりない(給料が2万ぐらいしかなくても、ローンを組んで数万円のコンピューターを買っちゃうらしい)。

 こういう幸福感が是か非かは別にして、なかなか日本では現実味がないことは確かだ。先のことを考えないと年金さえもらえずに路頭に迷ってる人がいるご時世だし、ブータン人は誰かが助けてくれるからと考えるらしいが、日本ではそれも難しい。しょせん比べることなど不可能で、幸福のありようも違う。御手洗さんもブータン社会の特徴を挙げて日本のそれと比較するのは無理があると書いている。「ブータンと日本は、サイズにおいても成熟度においても、ベンチャーと大企業ぐらいに違いがあります」

 御手洗さんは、それでもブータンの公務員という立場だから、国民の幸福を守るために政治家は必死に働き、とても優秀な人ばかりで驚くと書いている。さて、それはどこまで事実だろうか?

 例えばブータンから難民が出ているのをご存知だろうか? ブータンは人口わずか60万人の小国だが、そんな国から12万人もの難民が国を追われてインドやネパールに逃れ出ているのだ。国民幸福度世界一を謳う国から7人に1人もの難民が出ているなんて信じられない話である。

 いったい何故「世界一幸せな国」から難民が出ているのだろうか。
 ブータン南部には、16〜20世紀ごろ主にネパールからやってきたローツァンパと呼ばれるネパール系住民が暮らしていた。先代の王ワンチュクは中央集権化を進め、1989年、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などが実施された。これに反発したネパール系住民がデモを起こし、これを取り締まるために拷問などが行われたため、多くの難民が発生した。

 以下の記事は『日刊ベリタ』「帰国求めるネパール系難民 ブータンの「民族浄化桃源郷のもうひとつの顔」の抜粋である。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200607091819510

 (先代の)国王シンゲ・ワンチュクは、1972年に王位についた。間もなく、退位制度を廃止し、国会議員を直接任命し、権力集中のプロセスを始めた。ブータンの歴史で初めて、支配者が複雑な王族をつくり、叙任権と縁故主義の制度をつくることができた。
 国王は1989年、「一国家、一民族」を推進する文化布告を発し、人種差別主義的な動機はより一層明らかになった。この特異な布告は、民族や文化にかかわらず、全員に有力なドゥルクパ(訳注:ガロンを含む北部山岳部に住む仏教徒の総称)がするような食事の仕方、座り方、話し方、衣装の着方をするように強制した。チベット方言のひとつであるゾンカを国語とし、ネパール語を含むその他の言語を学校で教えることを禁じた。
 ロシャンパ(ローツァンパ、ネパール系住民)がゴやキラ(ローブのような服装)を着るのを拒否し、差別的な動きに抗議すると、数百人が拷問され、投獄された。その中には、王室顧問で現在はブータン民主化の最先端に立つ指導者、テク・ナス・リザルもいた。1990年、ブータンの人口約50万人(異論もある)の3分の1近い10万人以上のネパール語を話すブータン人が不法移民、反国民として国外追放された。
  (引用はここまで)

 もちろんブータンにはブータンの事情があるだろう。大国に挟まれた小さな山国を分裂させないための政策がすべて悪いとはいえないが、わずか60万の国が10万人以上の難民を出すことは明らかに異常である。一種の民族浄化だと主張する人もいるほどだ。

 ブータンの難民問題は、一般的にはあまり知られていないとはいえ、南アジアに興味を持つ者ならまず知らない人はいないだろう。ネットで検索すればぞくぞくと記事は出てくる。ただ、実はブータンなどまったく無関心なマスコミが「幸福な国」という売り文句を垂れ流すだけだから、ますますわかりにくくなるのだ。

 民族衣装を強制的に着用させるなど、私はぜんぜん幸福になるとは思わないし、日本だったら大問題になると私は思う。なのにブータンでそういうことがあっても「幸福な国」であることを疑いもせず(あるいは故意に無視して)マスコミは報道する。ネットもiPadも使いこなすブータン人が、みんな本当に喜んでゴを着ているわけないだろう。ジーンズのほうがかっこいいと思っている若者がいるに決まっている。

 御手洗さんによれば、首都ティンプーではピカピカの高級車が走りまわり、都市部へ人口が集中し、バブルの真っ最中だという。どこの国でも起こっていることが、ブータンでも進行しているのだ。ブータンだけが特別な国というわけではない。ブータン政府から給料をもらっている日本人でさえこれだけのことを書いているのに、ブータンに対して自由にものがいえる日本のマスコミが、「世界で一番幸福な国」としか報道しないのは、本音ではまったく興味がないからだろう。

 上の記事に出てくる「ブータン民主化の最先端に立つ指導者」テク・ナス・リザルは、その後どうなったのか。実は、石井光太さんがこのテク・ナス・リザルにインタビューしている。その記事は来年1月下旬にうちから出る石井光太さんの新刊『アジアにこぼれた涙』に書き下ろしで収録されているので、ぜひお読みいただきたいと思う。リザル氏の応答にはちょっとがっかりしますけどね。