さらに小島剛一『再構築された日本語文法』
ツイッターにずらずら書いているうちに長くなってしまったので、以下にそれをまとめ、書き足しました。右側のツイッターですでに読んでしまった方は最後の数行だけ異なります。
小島剛一さんと話をするまで、私は人名を冠した日本語の文法があるなんて全然知らなかった。山田文法、松下文法、橋本文法、時枝文法というのが四大文法と呼ばれているんだそうだ。私たちが学校で習う「学校文法」は、4つのうちの橋下文法がもとになっているという。
ところが、この学校文法は体系的に統一されておらず、教科書や辞書においても違いがあるらしい。不完全なまま(修正などを施しつつ)教えられてきたのだという。いちいち驚くことばかりだが、まあ、私なんぞは文法などほとんど覚えてないから関係ないといえば関係ないんだが。
ところが、それ故なのか、外国人(日本語を母語としない人)への日本語教育で、橋本文法で指導している教師はいないらしい。日本語が母語でない人に日本語を教えるには、文法がきちんと整っていないと教えられないだろうから、やはり橋下文法には欠陥があったのかもしれない。
橋下文法では、品詞を名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・感動詞・接続詞・助詞・助動詞の10種(名詞・代名詞を区別すると11種)に分類しているが、小島さんは、助詞や助動詞を排除するなど、この品詞概念を大幅に刷新している。新しい日本語文法なのだ。
文法にいろいろあることも知らなかった私には、新しい日本語文法を作り出す人がいるなんて考えもつかないことだった。文法ってのは長年の知識と経験で、自然と法則性が浮かび出てくるものぐらいにしか思っていなかったが、考えてみれば、そんなわけないよな。誰かが分類、整理するから生まれるのだ。
小島剛一さんの『再構築された日本語文法』(ひつじ書房)は、私のような無知な輩にはある意味ハイブローすぎる本だが、中を拾い読みするだけで日本語に対する見方が変わってしまう。日本語の動詞に過去形も未来形もないといわれると驚くばかりだ。それだけで日本語に対する意識が変わっちゃうでしょ?
私は編集者なので、執筆者の原稿の語句を訂正することがある。それでずっと「○○たち」という言い方に違和感を持っていた。このような表現をする人はけっこう多いのだ。私は中学生の時、英語の試験で「dogs」を「犬たち」と訳したら×をもらったことがあり、これだけはずっと忘れられないでいた。
私は、英語教師になぜ「犬たち」ではいけないのか聞いたが、日本語ではそういう言い方はないという説明しかなかった。教師もそれ以上の説明はできなかったのだろうが、結果的にそれは正しかったのだ。それ以来、私も「○○たち」という使い方には注意を払うようにしてきた。
しかし、「○○たち」が何故ダメなのか、私もずっと説明できなかった。「たち」が複数標識であると信じている限り、論理的には「○○たち」で問題ないからだ。これが集合標識であることがわかって、ようやく長年の溜飲がさがった。
そうはいっても、編集者として、執筆者が書いた「○○たち」に、これは複数標識ではなく集合標識だ(○○が複数あるという表現にはならない)と説明しても、感覚的に受け付けてもらえないことがある。私は違和感を覚えるけれど、そうでなければ訂正する気にはならないだろう。よほどの間違いでない限り、執筆者がそれでいいといえば、それで通るのだ。
というわけで、執筆者の皆さん、「美しいお茶碗たち」とか「かわいい猫たち」という表現を、複数のつもりで使わないでくださいね。