小島剛一さんの新刊『再構築した日本語文法』は日本語文法の本だった

 うちから『漂流するトルコ』という本を出した小島剛一さんが、今度『再構築した日本語文法』(ひつじ書房)という本を出した。なんと日本語文法の話だ。これまで学校で習った日本語の文法を、すべて新しく構築し直すという途方もない試みだ。
 まだ最初のほうしか読んでいないが、最初から驚かされることがばんばん出てくる。日本語の名詞には単数形と複数形の区別はないという。「山田さんたち」という場合「たち」が複数標識だと考えている人がいるがこれは誤りで、集合標識だという。
「山田さんたち」とは、複数の山田さんを指すとは限らない。山田さんや鈴木さんであるかもしれないから、山田さんやその他の人をまとめて指す集合標識だということだ。だから、よく使われる「本たち」「お菓子たち」というように、複数のつもりで「たち」を用いるのは誤用であるという。

 さらに、日本語の動詞には時制もないという。例えば「電話した」は過去形だと学校で習ってきた。しかし、実は時制をあらわしてはいないという。下が例文。
・昨日、取引先に電話した後で確認のメールを送った。
・明日、取引先に電話した後で確認のメールを送ろう。
 上が過去、下が未来だが、どちらも「電話した」で問題ない。実は「電話した」の「た」は、動作の完了をあらわしているという。だから、空腹を感じたときに「腹が減った」というのは、過去のことではなく現在の状態をいうわけだ。
 駅のホームで電車を待つ人が、線路の先に電車の姿を見つけたとき、「(電車が)来た、来た」というのは、まだ電車はホームには来てないものの、少し未来のことをいっているわけで、ますます過去とは関係ないことになる。
 うーん、いわれてみれば、確かにそうですね。

 こういうような日本語の常識をひっくりかえす話が満載されている。日本語文法の本なので、やさしい読み物ではないが、日本語に興味がある方は興味深い話ばかりだろうし、特に翻訳家の方々は一度目を通しておくべき本かもしれない。

 日本語の文法とは直接関係ないが、さすが小島さんだなと思うのが、日本語以外の例文の豊かさだ。英語、フランス語、ドイツ語などの例文なら他でもあるだろうが、ラズ語まで引っ張り出して例文にしているのは、小島さん以外にはいないだろう。
 例えばラズ語で「elapsi」という言葉があり、この単語は日本語でいうと「私は放尿中に標的を誤って自分のズボンの裾をぬらしてしまった」ということになるらしい。たった一語でこれだけ多くのことをいっているというのだから驚く。

 私は、学校で習った文法さえ満足に習得しているわけではないので、どの文法が正しいのかという判定はまったくできない。だが、ここに書かれている日本語に対する別の見方は、日本語をもっと豊かにしてくれることだろう。

http://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-601-3.htm