100年前の写真
先日、故郷の霧島へ帰ったとき、兄が倉庫で珍しい古い写真を見せてくれた。橋の上で3人の男女が浴衣を着てたたずんでいる。カメラを意識して、さりげなくポーズをとっているようにも見えるが、それがなかなか決まっていて、まるで黒田清輝の「湖畔」のようではないか。なぜこんな写真があるのだろうか。
「このいちばん左の女性は、うちのばあちゃんだよ」兄がそういった。
え? これがうちのおばあちゃん? 若いときの写真なんか初めて見たが、それがこんな美しい写真になっていようとは!
私の父方の祖母は私が高校一年のとき74歳で亡くなった。40年前のことだ。だから祖母が生まれたのは114年も前ということになる。生家は鹿児島県の薩摩半島にある川辺で、付近にお茶と特攻基地で有名な知覧があるところだ。祖父もそこで生まれ、当時としては珍しく祖父は祖母と恋愛結婚をして、川辺から霧島へ移り住んだらしい。
この写真は、霧島へ移り住む前の、おそらくはまだ祖父と結婚する前の祖母の姿だろうと兄はいう。とすると100年近く前のものだ。黒田清輝が「湖畔」を描いたのは1897年で115年前。この頃の女性の風情とは、まさに「湖畔」に描かれたような祖母の姿のようなものだったのかもしれない。
祖母の戸籍上の名前はイチガメという。しかし、墓石にはキクと刻まれている。私も子どもの頃、祖母の名前はキクだと思っていたが、本当は祖父がイチガメという名前をいやがって、キクに変えて呼んでいたのだと兄が教えてくれた。当時の女性の名前としてイチガメは特に奇妙な名前ではなかったはずだが、祖父の祖母に対する気持ちがそのようにさせたのだろう。キクの方が美しい。
100年も前の写真に、自分の肉親の姿があることは、ずいぶん不思議な感覚がする。まるでジャック・フィニィの小説のようだなと思った。