一流カー・デザイナーの本

 「ガラパゴス化」した日本の携帯電話は奇怪きわまるもので、「携帯電話は通話ができれば十分。それが欧州の常識でもある」と書いた記事を、以前の当欄で批判したが(2010-12-25)、結局、「通話ができれば十分」の携帯電話で世界シェアを占めていたノキアは、業績が悪化して数千人の社員を解雇した。つまり、あの記事は完全に間違いだったわけで、書いた本人はともかく、あの記事を掲載した朝日新聞は、記事の事実確認をちゃんと行っているのか、そっちのほうが不安になってくる。

ノキア、業績不振」で検索すると、この記事がひっかかった。
http://www.icr.co.jp/newsletter/report_tands/2004/s2004TS182_3.html
──世界最大の携帯電話機メーカーのノキアは、去る4月6日に2004年第1四半期の売上予想を大幅に下方修正した。その結果、同社の株価(ニューヨーク証券取引所)は20%近く下落した。
──これはノキアの販売した携帯電話機が、ロー・エンド端末のウエイトが高く低価格だったことの影響が大きい。

 ロー・エンド端末って「通話ができれば十分」ってことでしょうが、なんとこの記事は2004年の記事だった。つまり6年も前から、安い携帯電話だけじゃやっていけないことは明らかだったってわけだ。なのに2010年になってもあんな記事を書くとはねえ。しかも、掲載する新聞社はそれを確かめもしないのだ(検索すれば3分でわかることだぜ)。

 日本を批判するのに、欧米の基準を持ち出してみっともないことを書く例として、前のブログを書いたのだが、さて今回は、日本の一流カー・デザイナーの日本礼賛を見てみよう。

 私は車が好きなので、たまに車の本を読む。残念ながらおもしろい本にあたったことはほとんどない。この本は珍しく現役の有名なデザイナーが書いた本なので、期待して読んだのだ。『ニホンのクルマのカタチの話』(毎日新聞社、1800円)、著者は日産のデザイナーである中村史郎。最近ではキューブやGT-Rのデザイナーとしても知られているが、クルマ好きの人なら誰でも知っている超有名デザイナーである。いったいこのような方は、どういうふうに車をデザインしているのか、それを知りたくて読み始めた。

ニホンのクルマのカタチの話

ニホンのクルマのカタチの話

 しかし、読み始めてすぐに、この本が期待はずれだったことに気がついた。私が読みたかったのは具体的なデザイン作業だったのだが、この本は「もともと英語でデザインとは「設計する」という意味です」なんていう文章から始まっちゃうんである。まどろっこしいったらありゃしない。こんなところから始まったら、具体的な作業にに入るまでに何ページかかることか。

 それはともかく、中村さんはこの本で、日本的なデザインを世界にいかに発信するかが重要だと力説する。それで「平面的なデザインは日本のDNA」だという。彼によれば、「日本のデザイン・美には立体感は求められていなかった」し、「日本人の平面デザインへの美意識は特別に繊細」なのだそうだ。その根拠として日本人が「ひらがな」を使うことにあるという。以下ちょっと長い引用。
──その「凜とした優雅さ」は、世界でも類を見ません。その美しさは格別です。ひらがなは平安時代に貴族の女性を中心に使われたといいますが、非常に情感がゆたかな文字で、エレガントそのものです。
 例えば、この文章の文字をよく見てください。「漢字」や「カタカナ」と比べてみると。「ひらがな」には、直線がほとんどなく、微妙な曲線で構成されています。しかも、曲率も線の太さも一定ではありません。単純な「Alphabet」と比べると違いがもっとよく分かります。
──文字はその国の文化の核ですから、ひらがなには、日本人の感性、美意識があふれていると思います。
──「か」「た」「ち」というような文字を我々は何気なく書いていますが、どの文字もその構成は極めて微妙です。バランスをとるのが難しい。こんな文字は、他国にはないのではないかと思います。
 (引用終わり)
 こんな美しい文字は他国にはないから、この美意識を日本の車のデザインに活かしたいというわけである。どの文化の文字を美しく思うかは人によって違うので、この人が、日本のひらがなを美しいと思うのは勝手だが、「その「凜とした優雅さ」は、世界でも類を見ません。その美しさは格別です」てのはすごいね。(「Alphabet」はたぶんローマ字のことだろうが、ローマ字はアルファベットではない)

 こんなに微妙な曲線で構成されていて、バランスをとるのが難しい文字は他国にはないらしいが、それではこういう文字はいかがだろうか。当欄の読者にはご存知の方も多いだろう。

 テルグ文字だが、これも直線はほとんどない。
 マラーヤム文字も曲線が多い。バランスが難しいという点ではオリヤー文字なんかもすごいよ。

マラーヤム文字

オリヤー文字

 これらの文字をどう感じるかは人によって異なるだろう。個人的にはケララに初めていったとき、マラーヤム文字を見て、こんなにデザイン的な美しい文字があるのかと感動したものだ。

 そもそも美意識とは時代によって変化してしまうものであり、平安時代の女性が作り出した美意識が、今でもDNAとして日本人の美意識になっているだろうか。それでは、平安時代の下ぶくれの美女は、なぜ今はもてはやされないのだ。

 こんな根拠の曖昧な、どうとでもいえるような文化論がこの本には満載されている。それが、日本の一流カー・デザイナーの御著書なのだ。日本の文化を取り入れて車をデザインした結果、産み出されたものが、現在売られている日産の車なんだよねえ。ぜんぜん関係ないんじゃないの、本当は。ちょっと偉そうなことを書いてみたかっただけって感じがするけどね、私には。