美しいって何?

 このまえNHKで「爆笑問題のニッポンの教養」を見ていたら、グラフィックデザイナーの原研哉氏が「シンプルという美しさ」について話をしていた。私たちはごく普通に「シンプルで美しい」という表現をするが、いったいシンプルさが美しいことになったのは何故なのかという話だ。

 原研哉氏によれば、もともと人類はシンプルさ、単純さを美しいなどとは考えてこなかったという。デザインや意匠は単純なものから複雑なものへ移っていくと考えられがちだが、そうではなく、いきなり複雑なものから出発したというのだ。例えば中国の鼎などは、極めて複雑な文様が施されているが、あのような複雑精緻なデザインであることが権力の誇示であり、ロココ調の豪華絢爛さも同様であるという。

 それが変化したのは、貴族社会から市民社会へ移行したからだ。権力の象徴である複雑で絢爛豪華なデザインから、誰でも入手できる工業製品を含む単純な美しさへと、美の領域が広がっていった。そこで初めてシンプルという概念が誕生した。ただし日本の場合は市民社会への移行によるものではなく、足利将軍の隠居で「わび、さび」が流行したらしいが、ひとまずそれは置いておく。

 美しさ、美の基準というのは時代によって移り変わる。美が人間の感性、あるいは概念である以上、それは当然のことだが、平安時代の美女であるおたふく顔が、現代の美女の条件ではないことを考えれば簡単に納得がいく。だが、シンプルさという概念さえも、実は近代に生まれ出たものだというのは少し驚いた。ということは、このシンプルという概念が生まれる前は、複雑なデザインという概念もなかったのかもしれない。複雑なのが当たり前だったのだろう。

 そうやって考えると、昔の人間が見ていた世界は、今とはずいぶん異なったものだったのだろうと思う。いったい昔の人間には世界がどのように映っていたのだろう。それを解き明かしてくれるのが、田中真知さんの『美しいをさがす旅にでよう』(白水社)だ。この本を読むと、美しさをめぐって、驚かされることが数多く出てくる。例えば最初に出てくるのが「風景は発明されたもの」であるということだ。

 私たちは旅に出て美しい自然の風景に感動する。ところが昔のヨーロッパ人は、山を見て美しいなどとは感じなかったのだそうだ。初めて「山がきれいだ」と書いた最初の記述が確認されたのが1336年のことで、イタリア人の詩人だったという。彼がそう書くまで、山は単なる醜い天地のイボだと人々は感じていた。自然の美が一般的に広く受容されるのは18世紀になってからだというから驚く。300年前といえば日本では江戸時代。中国や日本にはもっと古くから山水画があり、自然を愛でてきたが、それでは日本人が、あるがままの自然を美しいと感じていたのか、といえば、そうではなかったと真知さんは書く。

 ヨーロッパでは18世紀から自然の風景が受け入れられるようになっていったが、その受け入れ方は「絵のように美しい」ことが重要なポイントだった。つまり、美しいとされる風景画のように美しい風景なら人々はようやく受け入れることができるようになったのだ。これは今でもそういう人がいますね。有名な写真で見たのと同じ風景だけを見たがる観光客と同じです。これをピクチャレスクというそうだが、今でもこの言葉はよく聞く。

 これと似た受け止め方を、日本人も風景を受け入れるときにやっていた。山水画のように美しい風景を日本人は愛でてきたという。つまり、人間は美しいという概念を定型化することなしに受け入れることはなかなか難しいのだ。誰かが、これは美しいと言い出す。それに賛同する人が増える。そうするとその美しさが初めて一般化して、市民権を得るということだ。こういうことは現代でもよく行われているという。例えば、ひところ流行った「工場萌え」もそのひとつ。無機質な金属の工場を美しいと誰かが言い出すまで、工場はただの工場にしかすぎなかった。これが広く市民権を得ているかは今のところ不明だが、現代美術なんてのは、結局美しいのかどうかわからないままの作品も多いのだから、そうやって「新しい美」は、現代でも続々と生み出されているといっていい。

 美しさは普遍的であるかのようにいわれるが、実は時代によって、文化によって異なるものであり、しかも変化するものであることを、この本は様々な実例を示しながら教えてくれる。美しさに対する感覚が変わってくる本である。