『あの日、僕は旅に出た』の装幀

 今度出した私の新刊『あの日、僕は旅に出た』の装幀は鈴木成一さんがやってくださった。装幀に興味がある方なら鈴木成一さんをご存じない方はいないだろうが、人気、実力ともトップクラスの装幀家だ。もちろん私も大ファンで、これまで何冊かの本をデザインしていただいた。

 僕の友人に元グラフィックデザイナーだったSさんという人がいる。彼は早々と仕事を引退してしまったのだが、そのSさんが『あの日、僕は旅に出た』の装幀を見て、うなった。Sさんはいう。
「この装幀、すごいですね。僕には絶対できないな。タイトルも著者名も細い明朝一種類、大きさまで同じですもんね」
 そうなのだ。かなりさりげないデザインなのだが、タイトル、著者名を同じ細い明朝、同じ級数にするのはかなり勇気がいる。これが太いゴシックというのなら普通だが、細い明朝を使ってデザインを決めるのは難しいし、そもそもこれでOKといって編集者や著者に示すのも勇気がいる。普通は、タイトルと著者名は書体や級数を変えるものだ。
 Sさんはさらにいう。
「こういうデザインは、自分が絶対これでいいんだという信念がないとできませんよね。僕だったら、これだと編集者に通らないだろうなとかつい考えちゃう。それじゃこういうデザインにはならない」
 僕もよくそれがわかる。こういうデザインはどうかなと、周囲のスタッフに感想を求め、もっと明るい方がいいんじゃないですか? とか、もっとタイトルを目立たせた方がいいんじゃないですか? とかいわれると、やっぱりそうかなあと修正してしまう。タイトルはこの大きさでいいんだ、これだから美しいのだという強い意志がない。

 もっとも、普通のデザイナーは、編集者からタイトルをもっと目立つようにしてくれといわれたら、断れないのではないかと思う。これでいくんですといえるのは、鈴木成一さんが、それがいえるだけのデザイナーであるということだ。

 昔、村上春樹さんの『ノルウェイの森』が出たときも、その装幀にびっくりしたことがある。上下二巻の装幀は、中央にタイトルと著者名をを縦に一列に入れただけ。上巻が赤い地に緑の文字、下巻がその逆だった。
 これの何に驚いたかというと、デザインがシンプルすぎることだ。私だったらとてもじゃないが編集者にこれでどうですかとはいえない。しかも、色がハレーションをおこすから絶対にやってはならないといわれているような配色。こんなデザインをよくプロができたものだと思ったら、村上春樹さんご自身がやったものだとあとで聞いた。真偽のほどはわからないが、そうでなかったらあんな装幀は通らないだろう。
 もちろん、この場合はそれが成功だった。シンプルだから悪い装幀だということではなく、生半可なプロではなかなかできないという意味である。

 シンプルであればあるほど、実はデザインは難しい。なかなか様にならないのだ。今回の本は、写真もイラストもなしだったので、どういう装幀になるのか楽しみだったが、あがってきたものを見て、さすがに鈴木成一さんだなと思った。見返しにパスポートのビザをアレンジしたのも鈴木さんのアイディアで、これもかなり好評だった。僕はビザなど見慣れているので、とくにデザインに使おうなどとは考えない。だが、そういう目線から離れたところにいる人の方が、旅心を誘うデザインになるのかもしれない。

あの日、僕は旅に出た

あの日、僕は旅に出た