濱素紀さんのこと(1)工業デザイナー前夜

 友人が引っ越しするので、使っていた大きなテーブルをいらないかといわれ、友人のアパートへ行った。友人が、来たついでにという口調で、ここのアパートの大家さんは変なものを作っているから見せてもらえば? という。それでその友人が大家さんを遠慮なく呼び出してしまった。

 現れた人は、長身のスマートな体つきをした年配の方だった。濱素紀(はま・もとき)さんという。にこにこしてガレージを開けてくださり、なかにあったものを見て驚愕。そこにあったのは、美しいクラシックカーだった。

 私はクラシックカーについてはまったく無知なので、それが何という車かまったくわからないのだが、それは新品の車だった。つまり新しく作られたクラシックカーなのだ。友人が「変なものを作っている」といったのは、そういう意味だったのだ。

 とにかくあまりにも驚いたのと、美しい車を目にして、車のことなどほとんど知らない私だが、この濱氏に話をお聞きしたいと思った。それで、さっそくインタビューをお願いした。「旅行人」を発行しているときもろくにインタビューなどしたことなどなかったのに、畑違いの車のことで、このブログのためにわざわざインタビューすることになるとは思ってもみなかった。話はまず、濱氏の工業デザイナー前夜から。

 濱素紀氏は昭和2年生まれ。今年で86歳だ。父親が濱徳太郎といい、1901年生まれで、美学者・大学教授・作曲家だが、日本のクラシックカーの歴史を築き上げた人だった。なにしろ小林彰太郎にも影響を与えたというから、日本の自動車界では先駆中の先駆だったのだろう。そのご子息が素紀氏なのだ。

 素紀氏は東京芸大の1期生で、大学では金工を学んだ。自動車を含む工業デザイナーを指向していたが、当時はそのような学科はなかったのだ。大学を卒業し、工業デザインコンペにラジオやカメラのデザインを応募する。しかし、残念ながら惜しくもそれらは入選を逃す。

濱「そのときの作品は本当に手間をかけて作ったんだよ。今でもそれを取ってあるんだけど」
 そういって見せてくださったのが、これらの作品である。

濱「僕は金工の出身でしょう。だからカメラもできるだけ本物そっくりに作ったんですよ。金属を加工して、フィルムの巻き上げ装置も実際に動くようにしてね。ところが入選作を見たら、なんと石膏で作ってあるんだね。それに色が塗ってあるだけ。デザインはすばらしいものでしたよ。さすが入選作でした。でも、こんなのでいいのかとがっかりしましたね(笑)」
──ラジオもすばらしいデザインですね。これだったら今でも通用しそうです。
濱「これも落選(笑) これを出したら、アメリカのゼニスというメーカーが出したラジオと同じじゃないかっていわれたんです。こっちはそんなもの全然知らないから、それを見たら本当に同じなんだ。ほんのちょっとの差で、同じデザインのものが販売されてたんだねえ」