ガラパゴス化するニッポン?

 今朝(12月25日)の朝日新聞をぺらぺらめくっていたら、気分の悪い記事に出くわした。田中和彦という男の書いた「はたらく気持ち」というコラムがそれだ。タイトルは「ガラパゴス化するニッポン」
http://www.asahi.com/business/topics/hataraku/
(このコラムのバックナンバーはここで見られます)

 このコラムの主旨を要約すると、ドイツから10年ぶりに日本に帰ってきた人が語ったこととして書かれているのだが、日本の携帯電話は何故かくも複雑怪奇なのか、コンビニやファミレスは24時間営業である必要があるのか、テレビ番組はなぜこんなに騒がしいのか、こんなのは考えなおす必要があるのではないかというものだ。

 おっしゃるとおりである。そのことに異論はないし、私も同感である。それなのになぜ気分が悪くなるのかというと、こんなことをいうのに、いちいちドイツではこうじゃないとか、ヨーロッパの常識とは違うなどというから気に障るのだ。たとえば、
「携帯電話は通話ができれば十分。それが欧州の常識でもある」
 だから日本の高機能携帯など奇怪きわまるらしい。「絵文字を使ったメールやカメラ、GPS機能は使いたいとも思わ」ないという。そのことじたいは個人の自由だし、私も一部同感だが、それがまるで欧州の常識であるかのように書くのはおかしいんじゃないの。

 ためしにイギリスやドイツのアマゾンを覗いてみるがいい。携帯電話にはカメラどころかラジオまで付いているのが売られている。そもそも今流行のスマートフォンは通話機能よりもネット機能を重視したものではないか。スマートフォンガラパゴス携帯だというのだろうか。

 さらにこのようなこともいう。
「さらに信じ難かったのが、国を挙げての地デジ対応機器の普及キャンペーンだ。ヨーロッパの人々は、モノが壊れれば、何でも自分で修理して長く使い続けようとする。壊れてもいないテレビを一斉に買い替えるなどありえないことだった」
 何を言っているのだ、きみは。アナログテレビを修理してデジタルテレビにできるわけないでしょ。ヨーロッパでも当然デジタル放送は一部では開始され、これから徐々にデジタル化されていく。世界のテレビ放送はアナログからデジタルへ向かっていくのだ。それがいいか悪いかはともかく、デジタル放送に切り替えられたら、デジタルチューナーを設置するか、壊れてもないアナログテレビを買い替えるしかないのだ。そんなのは日本だけの現象ではない。
 もちろんテレビ放送のデジタル化に反対するのは、それはそれでひとつの考え方だが、それはガラパゴス化したニッポンとは無関係の話だ。

 いまだにこういうヨーロッパ基準がいいというような文章を臆面もなく書く奴がいるんだねえ。ヨーロッパの常識などと書くが、ヨーロッパといっても広うござんす。ノルウェイポルトガルギリシャの常識が同じわけではないし、ましてやそこにロシアの常識が加わったら何の統一感もないだろう。日本の「周囲に合わせる風潮や有無を言わせぬ集団主義」を嘆き「ガラパゴス化しているのは携帯電話だけではないと、重い気分になる」などとわかったようなことを書いて締めくくっているが、ヨーロッパだって深刻な問題はあるに決まっている。文化も事情も違う他国の、一見よさそうな部分だけを恣意的に取り上げて日本を批判してなんになるのだ(しかももとのデータが間違っている)。