『煙る鯨影』


 クジラ問題というと、西洋人は「クジラを絶滅から救え」といい、それに対して日本人は「日本の食文化に対する冒瀆だ」などと反論する。お互いに、このままだとクジラが絶滅するぞというデータと、捕っても大丈夫だというデータを持ち合って言い争っているので、素人にはどっちが正しいのかもさっぱりわからない。


 個人的にいえば「クジラは日本の食文化だ」というのは、あまり説得力がないと思っている。日本の食文化なんか、どんどん変わっている。僕が子どもの頃は、給食でよくクジラの竜田揚げなんかが出たが、特にうまいものでもなかった(もちろんあれがうまいのだという方には反論しませんが)。安い鯨肉か皮しか食べたことがないので、刺身になるようないい肉を食ってたら、もう少し食文化論に与したかもしれないが。


 先日、『煙る鯨影』(小学館/1400円)という本を読んだ。著者は本誌でもエッセイを書いてくださった駒村吉重さんである。この本を読んで驚いたのは、なんと今でも日本では商業捕鯨が行われているということである。調査捕鯨ではない。商業捕鯨である。このまえグリーンピースが調査捕鯨の船員が送った荷物を宅配業者から盗んで、船員はこんなことをやっていると暴露した。あれは調査捕鯨だったが、ちゃんと売るために捕獲している捕鯨が今でもあるなんて思いもよらなかった。


煙る鯨影
煙る鯨影
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駒村 吉重
小学館
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 この本は、その数少ない商業捕鯨船に同乗して、日本の商業捕鯨がどうやって行われているかをレポートしたものだ。商業捕鯨が行われていることさえ知らなかった僕には、いちいち驚くことばかりである。捕鯨問題は複雑怪奇で、単に文化論や自然保護論だけで割り切れるものではないらしい。


 日本の商業捕鯨は実に細々と行われているにすぎず、捕獲規模でいえば、調査捕鯨のほうが圧倒的に多いという。平成18年では、ミンククジラ100頭、ニタリクジラ50頭、イワシクジラ100頭、マッコウクジラ10頭が捕獲目標であるのに比べ、商業捕鯨マゴンドウなどの小型クジラ100頭に満たない。採算点ぎりぎりのところでまさに細々と営まれてきたわけだが、調査捕鯨は調査のために上記のような頭数を捕獲しているので、鯨肉の国内在庫が急増しているそうである。


 なぜ急増しているのかというと、食べなくなった割に、捕獲数は増えているからだ。そう、すでに日本人は、クジラの肉など食べなくなっているのである(値段も高い)。スーパーなどで手軽に売っているわけではないので、探してまだ食べようと思っている人は少ないだろう。なんと在庫4800トン(2005年8月末)だそうだ。反捕鯨派は、食べないんだから捕るなと攻撃しているわけだが、ネットで検索すると、クジラ肉はいくらでも取り寄せられるようだ。売っているところには売っているのですね。4800トンも在庫があるんだから、当然のことだが。


 この本によれば、日本が主張している捕鯨とは、沿岸の小型捕鯨業者が小規模のミンククジラを捕るだけであるという。捕鯨派はこれぐらいは認めてもいいじゃないかと怒っている。南氷洋マッコウクジラをばんばん捕らせろというのではない。それぐらいなら捕ったってたいした問題はないのだろうが、もしそれが認められたらはたして調査捕鯨のほうはなくなるのか? 上に書いたように、小規模な商業捕鯨より調査捕鯨のほうがよほど規模が大きい。その着地点は見えないと駒村さんは書いている。どうも捕鯨問題というのは、魑魅魍魎の世界であるようだ。