ポルトガルの旅(5)リスボン

 ポルトガルの旅も終盤を迎え、首都のリスボンに再び帰ってきた。小さな町が多いポルトガルを旅してくると、リスボンはまるで別世界だ。まさしく大都会である。昨日は近郊にあるシントラという町へ日帰りで行った。そこにある要塞の城壁に登って下界を見渡すと、リスボン近郊の平野部にはたくさんの町が点在し、町の規模もそこそこ大きいことに気がつく。

 とはいえ、それはこの東にあるアレンテージョ地方と較べてみるとという話で、ポルトガルに着いて早々にアレンテージョの山から見下ろした下界は、小さな村がぽつんぽつんとあるだけで、あとは牧草地や葡萄畑ばかりだったことを思い出した。アレンテージョポルトガルの国土の三分の一を占め、人口は十分の一しかいない地方なので、ほんとうに人が少ないのだ。

 これまでポルトガルを旅していて、交通機関に乗って座席がいっぱいで座れなかったことは一度もなかった。だが、リスボンでは、市電でもバスでも地下鉄でも、かなりの数の乗客なので、座れないことは珍しくない。もちろん東京と較べれば、まだまだ空いている方だが、ポルトガルの中ではこの密集度は群を抜く。それだけでも都会に来たんだなと実感する。

 さて、今日は土曜日で、リスボンに泥棒市が立った。毎週、火曜と土曜に開かれるらしい。そこでは実に様々なものが売られているが、アズレージョと呼ばれる装飾タイルもたくさん並んでいた。ポルトガルに興味のある方ならどなたもご存知だと思うが、ポルトガルを歩いていてこのアズレージョを見ない日はないほど、あちこちに使われている。観光客にも人気が高いので、専門店から土産物屋まで、古いものから新作まで、あちこちでこのアズレージョが売られているのだ。

 市に並んだアズレージョは古いものが多く、あちこち欠けたり割れたりしているのだが、値段を聞くと高いもので、一枚30ユーロぐらいで、安いものになると2.5ユーロだ。古そうなので、いつ頃のものか聞くと、だいたいみんな18世紀ごろだという。18世紀って1700年代? すると200〜300年も前? そんなものを、いくら欠けているとはいえ、2.5ユーロで売るのか?

 どうも信じられない。それらは古いことは古い。決して最近のものではないことは私でもわかる。だが18世紀のものなのかは、にわかに信じがたい。というわけで、市のさらに北東にあるアズレージョ美術館へ行ってみた。ここには本物の古いアズレージョが数多く展示されているから、本物をよく見てみようと思ったのだ。

 すると、驚いたことに、市で売っているようなアズレージョと、ほとんど同じものがここに展示されていて、それには18世紀であると書かれていたのである。もちろん美術館の展示品は、もっと立派で大きなものがたくさんあるが、展示品のほんの一部には、市で売っている物と同じだが、欠損の少ないものがちゃんと展示されていたのだ。

 やはり、市で売っているアズレージョは18世紀のもののようだ。リスボンは18世紀中頃に大地震にあって、町のほとんどが灰燼と帰している。したがって、18世紀以前のものは少ないだろうが、大地震以降に建設された建築物を、それ以降に取り壊したりたり改築したりすれば、古いアズレージョは市場に流されることだろう。そしてそれらはおそらく無数といってもいいほどの数になるのかもしれない。だから欠損のあるものは、たいした値段もつかずに売られているのかもしれないと思う。

 というわけで、美術館のあと再び市に舞い戻り、数枚のアズレージョを買ってみた。果たして18世紀のものかどうか真偽の程はわからないが、とにかく100年以上の時を経た一枚の陶板が300円もしないのは感動的である。安物の図柄は圧倒的に植物(の断片)が多く、動物は値段がぐっと高くなる。どうしてだと聞くと、植物は数が多く(葉っぱの一部のみといった断片はもっと多い)、動物は数が少ないからだそうで、単純に稀少性の問題らしい。美術館で見るような名工の描く風景画などは市には並ばない。そういうものはおそらくかなり高価なのだろう(あくまで想像ですけど)。

 中国で生まれた陶芸が、ヨーロッパに伝わり、ポルトガルではそれをさらにイスラームの文化とミックスしてアズレージョ文化の花を開かせた。わずか数百円で、その歴史を感じられるものを手に持てるのだといえば少し大げさか。

 当欄のポルトガルの旅はこれで終わる。それではまた日本から。