「世界環境デイ」だったんだって?

 この前、ラジオを聴きながら仕事をしていたら、一日中エコ話ばかりだった。やれ、ゴミを分別しろだの、レジ袋をひかえろだの、自前の箸をつかえだの、そういうことばかりいわれてうんざりしていた。すると、その日は6月5日で「世界環境デイ」だったそうで、そういう日があったなんて全然知らなかった。

 僕は、ゴミを分別することにも、レジ袋を使わないことにも特に反対はしないが、したからといって世界の環境が劇的によくなるとは思っていない。ある意味では無駄じゃないのかと思うこともしばしばだが、好きでやっていることに反対はしない。

 だが、こういうラジオ放送のように、マイ箸を使うのがいかにも「地球にやさしいロハスな生活」なんですよといわれると、ばかやろうと思う。逆に絶対にマイ箸なんか使うかと反発する。大人げないが。

 だいたい、こういう連中が、なにかにつけて「地球にやさしい」というのは、単に商売のための聞こえのいいキャッチフレーズに過ぎないのであり、「地球にやさしい石油製品」「地球にやさしい電化製品」が世の中にあふれればあふれるほど「地球に厳しい」ことは誰でも知っている。知っているが、使わないわけにはいかないから、せめて「地球にやさしい」といわれているものを買うという一種の免罪符を手に入れているだけだろう。

 まず「地球にやさしい」って何なのだ? 僕の近年嫌いな言葉5つの中に入るが、それはどうでもいいとして、だいたい意味がわからない。もっとも単純にイメージできるのは、自然環境を大切にしようという程度のものだが、それでいいのだろうか。

 もちろん僕だって自然を大切にすることは賛成である。賛成だが、それは「地球にやさしい」ことにはぜんぜんならない。なぜなら、自然を大切にするのは、あくまで人間が健康で、楽しい生活を送るために必要であると考えるからだ。だから、自然を大切にするのは、地球にやさしくするためではなく、人間の生活、人間の生存する環境を守るためである。人間の生活を快適に送れないような原初的な地球環境を守りたいわけではない。

 人間の生活にとって害を及ぼすような地球環境は改造されつづけている。結果的に間違いもあったが(たとえば杉ばっかり植えちゃったのは、当時は正しかったのだろうが、今は厄介なものになっている)、基本的には人間のために自然はあると人間は考え、害を及ぼす病原菌を抹殺し、ゴキブリを叩き殺すのだ。妄想がふくらんで、害でもないのに、虫が嫌いだといって殺している奴が、地球に優しい洗剤を使っていることも多いだろう。

 マスコミで「ロハス」という言葉を商標登録し、流行させて金儲けしようという奴は、アフリカのケニアにある動物保護区の近隣に、豪華な会員制のホテルを建てている。アフリカを愛する人のためのロハスなホテルなんだそうだ。そこでは、動物が走りまわるサバンナを見渡せるジャグジー付きの風呂があり、レストランではミクニとかいう有名コックの料理が食えることを謳っている。これのどこが自然保護で、これのどこがアフリカを愛することになり、これのどこがエコロジーなのか、僕にはさっぱり理解できない。