『インパラの朝』

 バックパッカー旅行記がメジャーな文芸賞を受賞し、しかもよく売れている、なんてことは、ここ10年以上なかったことではないか。2009年度の「開高健ノンフィクション賞」を受賞した『インパラの朝〜ユーラシア・アフリカ大陸684日』(中村安希集英社)を書店で見かけて、これは読まないわけにはいかないと思い、買い求めた。

 著者が無名のバックパッカー旅行記は、現在ではまあほとんど売れないといっていい。たまに売れているものもないわけではないが、この『インパラの朝』のような長期旅行記の世界旅行は、地域的に漠然としているので、あまり売れないと思っていた。それが売れたのにはいろいろな理由があるだろう。もちろん開高健賞を取ったことが大きいだろうし、著者がすてきな女性だったことや、タイトルや装幀がよかったこともあるのかもしれない。それでも、やはりおもしろくないと売れっこないと私は思っているので、読んでみようと思ったのだ。

 長期世界旅行のバックパッカー旅行記がおもしろいといわれるには、これまでにない旅行のテーマがあるか、テーマは凡庸でも文章が非常におもしろいかしかないだろうと私は思っていた。そのどっちなのか、興味津々で読み始めたのだが、私の予想は見事に外れた。旅行のテーマとしては、特に変わったものではないし、文章だって、それ自体がとてもおもしろいというわけでもない。それでもこの本は、文芸賞を受賞し、よく売れているのだ。

 読み終わっても、なんだか旅行記を読んだ気がしない不思議な旅行記だ。少なくとも、ユーラシア・アフリカ大陸を2年もの長きにわたって旅したという感覚を味わうことはできなかった。それは、この旅行記が、各地で会った人々、起こった出来事を断片的につなげた構成になっているからだ。2年の旅行コースが世界地図で雑に示されているが、これを見ないとどこへ行ったのかもよくわからない。断片と断片のあいだにある移動課程がほとんど省略されているのだ(わずか2回の移動が語られるにすぎない)。語られているのは点で、移動という線はほとんど書かれていないので、長い旅だという距離や時間を味わえないのだ。

 もっとも、2年の旅をあますところなく書いていたら、こんな300ページ足らずの本ではとても書ききれなかっただろう。意図的に省略したのだろうし、長い期間の旅という実感が味わえないのが、必ずしも欠点というわけではない。ただまあ、私のイメージとは異なっていたというだけだ。この人は、旅行中にずっとブログで旅の報告を書いていて、それをざっと見る限り、実はチケットをどう買ったかとか、トイレが臭かったとか、旅に付き物の話も山ほど書いている。しかも、文体がかなり異なっている。本書の文体は、選考委員が「クール」と評するような冷静な文体なのだが、ブログは「ですます調」で丁寧である。ということは、やはり本書を書くにあたっては、かなり練り直して書きあげたものなのだ。
安希のレポート −現地の生活に密着した旅−
http://asiapacific.blog79.fc2.com/

 例えば、本書で2回しか語られない移動の旅のひとつは、ケニアのかなり壮絶なトラック移動だったが、本書ではこう書かれている。
「手のひらのマメがいくつか潰れ、パイプで擦れたお尻の皮がついに破れて血が出始めた。黒い雲が張り出してきて雨粒が激しく頬を打ち、それから衣服の汚れを流して大地の緑に息をつかせた。(中略)誰も何も語らなかった。圧倒的な自然を前に、人も草木も動物たちも、それから地中の虫たちも、すべてを受け入れ分け合って、喉の渇きを潤していた。言語や示威的行動はあらゆる意味で力を失い、連帯感を意図的に確かめる必要は一切なかった」

 ここの部分は、ブログではこんな調子で報告されている。
「乗車中もっとも痛かったのは、お尻でした。おばちゃんとしてもコレを話すのはちょっと恥ずかしいのですが、なんと尻の皮が、むっ、む・け・た。長時間パイプの上に座り、擦りに擦られた皮膚がむけて、お尻も出血大サービスでした。痛かった〜。ナイロビ到着後も10日間ほど治らなくて、座ったり横になったりするたびに、「痛っ!」・・・悲しいのでございます。」

 同じ人とは思えない文章だが、もちろんこれは本とブログの違いでもあるし、文章を著者がいかに練り直したかの証左でもある。ブログのような旅行記だったら私は読まなかっただろうし、むろん賞も取れなかっただろう。

 この旅行記は、前半のアジアでは、本人があまり気乗りがしなかったかのように、ただ淡々と語り合った人々の話が断片的に綴られている。チベットではヒッチするために何時間もトラックを待ちながら、そこで描かれているのはチベット人の子どもの話だけで、結局トラックやバスが来たのかも語らないうちに話が終わってしまうのだ(次の町の話が書いてあるから乗れたのだろうが)。素っ気ないのだ(クールという人もいるが)。それがアフリカを旅するにつれて、彼女のボルテージはどしどしとあがっていき、これまでのクールさが嘘のように熱く語りだす。

 私は、彼女がアフリカで語っていることはまっとうなことだと思うし、共感もする。私自身がアフリカで感じたことでもあるからだ。世間が言っているアフリカなんてみんな嘘だ、なにが「アフリカ・エイド」だ! と思ったのは当時の私だが、彼女もそういうことを叫びたかったのだ。実は、もっともっと書きたいことがあったのではないかと思うが、たぶんそれを書いたら一冊の旅行におさまらないから、こういうスタイルにおさめ、最後の方で爆発させたのだろうと思う。

 あっぱれな旅であったと思う。アジアからアフリカへわたるこの距離を2年でまわるのはけっこう大変なことだ。(少なくとも文章上では)いじいじとせず、妙な甘えも見せず、颯爽と旅しているところがあっぱれだと思う。そのように書き上げて評価を得たこともまた立派だったと思う。アフリカ旅行だけでも立派な一冊になったんじゃないかと思うのだが、それだと出してもらえなかったかもしれませんね。