最近読んだインドの本


──過酷な労働や人間関係のこじれなどからくるストレスに悩まされている者が多い。彼らは高収入を維持するためにも、次々と与えられる仕事をこなさなければならない。朝早くから渋滞の中を通勤し、会社では対人関係や書類の整理で疲れ、夜遅くに帰宅する。/そのような生活からくるストレスを解消するため、彼らの多くは物質的な豊かさを求め……

 などという文章を読むと、また日本のサラリーマンのことかいなと思われる方も多いと思うが、これは最近読んだインドの本の一節である。ヒンドゥーナショナリズムの研究で注目を浴びている若手・中島岳志が書いた『インドの時代 豊かさと苦悩の幕開け』(新潮社/本体1500円)という本だ。経済発展著しいインドでは、いわゆる富裕層は日本の都市生活者とほとんど同じ境遇で働いているというお話である。

 本書は、こういった最近のインド社会を概観したもので、インドの富裕層の暮らしぶりから、健康ブーム(ヨーガやアーユルヴェーダ)、癒しブームとニューエージ(新興宗教)などについて書かれている。これだけ見ると最近の日本とあまり変わらない気もしてくる。

 先述したように中島はヒンドゥーナショナリズムの研究者であるので、こういった現代のインド社会とヒンドゥーナショナリズムがどのようにかかわっているかを書いているのだが、それがなければテレビや雑誌などで盛んにやっている「インドの時代」と大差ないかもしれない。というのも、もともと本書が都会の生活者だけにしぼって、農村部を取り上げていないので、自然とテレビや雑誌のインド特集と似た色合いになってしまうのである。この本はよく売れているそうだが、その意味ではこういう取り上げ方がよかったからだともいえる。

 しかし、これはあくまで概観である。200ページ程度の本なので、これで詳しい話を書けという方が無理かもしれないとは思うが、最近のインドの都会をざっと見てみましょうという企画なら、雑誌やビジネス書がたくさん出ている。そこにヒンドゥーナショナリズムが加わったことが著者の特色であるといえばいえるが、それだって概説だから欲求不満は残る。農村を書かなくちゃいけないとは言わないが、同じテーマにしたって少なくともこの倍のページがなければ雑誌の特集と大差ない。同時代のインドを描くという意味では、インド専門家ではない小熊英二の『インド日記』(新曜社)のほうがはるかに迫力があった。

 そういうわけなので、この本はちょっとがっかりだったのだが、中島はこのなかで、ヒンドゥーナショナリズムはいかに克服されるべきかを少し書いている。その方法とは「多一論的宗教」であるという。こう書くと難しいけど、要するに「神様(真理)はひとつだが、信じ方はいろいろでよい」ということである。アッラーこそ唯一無二の存在だとか、キリストこそ真理だとか堅いこといわないで、どういうふうに信じても到達する真理は同じであるというようなことだ。彼は、街なかのインド人に「神は一つだが宗教なんてなんでもいい」というようなことを言われてほっとするという場面が描かれているが、私だって何度もそういうことは言われたことがある。だけど、神を信じないのはいけないと怒られたこともあるが。

 まったく同じセリフが登場するのが、皆様も多分ご存知の中谷美紀の『インド旅行記1』(幻冬舎文庫)である。旅で出会ったインド人に「神は一つであり、キリスト教でもイスラム教でもかまわない」というようなことをいわれたと書いている。私が思うに、インド人はこのセリフが好きなのであり、得意でもある。外国人の異教徒にいうとウケがいいということも知っているのではないだろうか。

 ところでこの『インド旅行記1』。女優の旅行記というのは初めて読んでみたが、どうしても女優が書いたものであるという意識から脱却できない。著者が女優であるかどうか関係なく楽しみたいと思うのだが、中谷美紀さんのお姿を頭から消し去ることができないのだ。だから、中谷美紀がリキシャに乗った、とか、中谷美紀が日本人旅行者と話をしたというだけで、へえーと思ってしまうので、果たしてこれが公平な意味でおもしろい旅行記であるかどうかは判別しがたい。

 少なくとも言えることは、食べたものや見たものがかなり克明に記録されていることと、彼女はヨーガが大好きであるということである。解説もなしにヨーガのポーズや用語がどしどし出てくるので、ヨーガに無知な私には分からないことが多かった。それ以外は、まあ金のある普通の個人旅行者と大きな違いはないのだが、ムッとすることも努めて冷静を装いながら書いていることに笑いを誘われる。売れているそうなので、続編もその続編も近いうちに出ることだろう。


インドの時代 豊かさと苦悩の幕開け
中島 岳志
新潮社 (2006/07/22)


インド日記―牛とコンピュータの国から
小熊 英二
新曜社 (2000/07)
売り上げランキング: 48,753