ざかざんざかざんの山松ゆうきちがインドへ


 山松ゆうきちという漫画家がいる。『くそばばの詩』などの作品で知られるが、かなりマイナーな漫画家だ。僕が大学生の頃は、漫研内ではそれなりに評価があった人で、雨の描写に「ざかざんざかざん」という擬音を書き入れたことがバカウケした。一風変わった変な漫画を描く人だった。


 その山松さんの名前を久しぶりに新聞広告で見かけたかと思ったら、なんとインド本を出したというではないか。驚いてさっそく購入して読んだのが、この『インドへ馬鹿がやって来た』(日本文芸社)である。いったいなんで山松ゆうきちがインドなんぞへ行ったのか。読んでみて、さらに驚きが増した。なんと、日本の時代劇漫画を、インドでヒンディー語に翻訳し、インドで印刷して、インド人に売ろうとしたのである。う〜ん、なんというか、変なのは作品だけじゃなかったのだ。


インドへ馬鹿がやって来た
山松 ゆうきち
日本文芸社
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 インドで日本の漫画を印刷して売るというだけでも十分に「おかしい」と思うが、この人のすごいところは、それまでインドはおろか海外旅行の経験も皆無で、ヒンディー語はおろか、英語も話せず、さらに、ビザとパスポートの違いさえわからないのに、インドで漫画を売ったら儲かるに違いないと思いこむところである。普通の人は、儲かるかどうか以前に、そもそもインド人に日本の時代劇が理解できるのかどうかを疑うところだが、山松さんは「インドには漫画がないから、ないものを売ったら売れる」と信じて疑わないのだ。ないものは売れないからないのだとは思わないんだな(私も同じ経験を持っている)。


 しかし、山松さんは行動力の人で、インドに向かう1年前からヒンディー語を学習し、知人友人にアドバイスを仰ぐ。もちろん知人友人たちは「アホなことはやめろ」というのだが、本人はまったくひるまない。プロフィールによれば、70年代初頭に突然漫画家をやめて競輪選手になるといって地元に帰ったこともあるお人らしいので、そもそも人のアドバイスぐらいで決意の揺らぐ人ではないのだろう。インドへ向かったそのとき、山松さんは57歳だった。


 インドへ渡った彼が、それからどうやって日本の漫画を翻訳し、印刷し、そして売ろうとし、果たしてそれが売れたのかは(って売れるわけないんだけど)、本書をぜひお読みいただきたいが、この本があくまでインドでビジネスを起こそうとした顛末記であるという点が、普通の旅行記と異なったインド社会をかいま見せてくれる。インドで印刷しようとしたらどうなるのかは、個人的には非常に興味深いものがあった。


 漫画家のノンフィクションものといえば、花輪和一の『刑務所の中』や、吾妻ひでおの『失踪日記』と、このところ当たりが多い。この『インドへ馬鹿がやって来た』もおもしろいので、せめてこの本が売れることで山松さんに印税が入ればと願うばかりだ(私は売れるのではないかと予想しているが)。


刑務所の中 (講談社漫画文庫 (は8-1))
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 ところで、おまけ話。山松さんはインドへ行く前にインド本を読んで学習するというくだりがある。そこで描かれたコマがこれ(p6)。よーく見ると、そこに描かれたインド本は、なんと仲能健児さんの『インドにて』(幻冬舎文庫)と、私の『旅ときどき沈没』(本の雑誌社版)ではないか。まさかこれだけ読んでインドへいらっしゃったんじゃないですよね(笑)。

 補足:このコマに登場する編集者、穂原氏によれば、10キロで言語が変わるといった覚えはなく、200キロと言ったはずなんだけどとのことで、さすがにインドでも10キロで言語が変わってしまうことはないですね。