その言葉がマヌケだ

 ようやく次号(7/25発売)の製作が終わった。特集は「ラサの21世紀」。7月1日に「青蔵鉄道」が開通したことがニュースにもなり、当サイトの掲示板でも話題になったが、残念ながら締め切りの関係で、その乗車記などは掲載できなかった。乗車記やその他の詳細情報はその次の号(10/25発売)でお届けできると思うが、取材に行った長田幸康さんが、建設中のラサ駅を撮影してくれた。これはこれで貴重な記録になるかもしれない(笑)。

 さて、今回は何を書こうか、キーボードを前にしてぼおーっと考え込んでいるんだが、最近、朝日新聞の広告でひんぱんに耳にするのが、「言葉は残酷だ」とかなんとかいうやつ。それはいいんだが、最後のフレーズにがっくりくる。「ジャーナリスト宣言」って何? 今頃ジャーナリストであることを宣言してどうする。いままではそうじゃなかったのかよ、と突っ込みたくなってくる。「言葉がマヌケだ」。

 先日、夜中に仕事をしながらJ-WAVEの番組を聴いていたら、その話題がまるごと『国マニア』だった。先般の当欄で紹介した本だが、ほぼ1時間の番組がまるごと『国マニア』のネタの紹介なのだ。それはいい。だったら礼儀として引用文献を一言ぐらいいうべきじゃないか? もしかしたら著者には断っているのかもしれないが、聴取者にはまるでわからない。こういうのは失礼だろう。吉田一郎さん、どうなんですか。

 どうでもいいことだが、先日テレビで野球を見ていたら、アナウンサーがこういう中継をしていた。
「ピッチャー、大きくふりかぶって、投げました!」
 ラジオじゃあるまいし、テレビで見てるんだから、それぐらいのことはわかってるよ。こういう無駄なことを、のべつまくなししゃべっているから、テレビ中継はうるさいといわれるんじゃないか。解説者も、毎度のことながらアホなことばかりいっている。
「ぜひとも先取点が欲しいところですね」 あたりまえだ。
「なんとしてもリードしたいところです」 だからあたりまえだって。
「ここは逆転したいところです」 こんなことなら私でもいえる。まあ、いつもいわれてることだが、それなのにレベルはまったくあがらない。

 ひさしぶりに「ニューズ・ウィーク」を買ってみた。おもわず笑ったのが副編集長のコラム。4兆円以上も慈善団体に寄付するアメリカ人が登場したが、日本人だって億万長者がたくさんいるんだから、もっとこういう慈善活動を見習うべきだという内容である。それはいい。お金持ちが慈善団体に寄付しようが、ドブに捨てようが勝手である。笑ったのは、このコラムのレイアウトだ。なんと副編集長さんの全身の写真が切り抜きで冒頭に配置されているのである。これってとても恥ずかしくないか? もし僕が「旅行人」でコラムを書いて、そこに自分の全身写真を切り抜きで掲載したら……、おお、考えただけで猛烈に恥ずかしくなってきた!