ベストセラーは危険だ――零細出版社事情

 ええ、またもや当欄をさぼってしまって、申し訳ありません。忘れっぽい私ですが、忘れてたわけではありません。さぼったのです。書くことがあんまりなくてねえ。モノカキのハシクレのくせに書くことがないとは何事か! と、執筆者には常にハッパをかけている私ですが、自分のことになるとなかなかそうもいかないものですね。

 さて、それでは今日はうちの商売の話でも書きましょうか。たいした商売でもないですが、出版社のくせに本を売る気がないんじゃないのか、などと怒られている昨今。売る気がないんじゃなくて、作った本を売るにもそれなりに手間もかかれば金もかかる。中途半端に金をかけたからといって売れるわけじゃないというのが、ここ何年か出版屋をやってきて学んだことの一つです。

 だいたい、大出版社は別として、われわれのような零細出版社は、本がばかすか売れればいいというわけでもない。例えばうちで『ハリーポッター』や『ダヴィンチ・コード』のような何百万部という超ベストセラーが出たら逆に窮地に陥るらしい。

 らしい、というのは、そういう経験がないから伝聞でしかいえないわけだが、実際にある零細出版社が100万部を超えるベストセラーを出して倒産したという話を聞いたことがある。業界ではこれを「ベストセラー倒産」というらしい。

 僕が知っている小出版社でも、あるときベストセラー候補の本を出したことがある。本は実際に出してみないと本当に売れるかどうかはわからないわけで、一種の博打みたいなところがあるが、ベストセラー作家が新刊を出す場合は、それはベストセラー候補になる。その出版社に、そういう本を出すチャンスが巡ってきたのだ。

 そうすると書店から注文が山のようにくる。もちろんこういった注文がたくさんくるというのは出版社にとってありがたいことではある。だが、例えば注文が100万部きたとしたらどうすればよいか。これが問題。それなら100万部作って書店に送っちゃえばいいじゃない、とお考えになる読者もいるだろう。

 100万部の本を作るのには多分億単位の資金が必要になるが、それを何とか工面して本を作ったとしよう。書店に出す。それで本当にその本が何冊売れるのかが問題だ。どんなベストセラーでも2〜3割は返本になるといわれているが、100万部の場合、2割でも20万部だ。それなら80万部売れたことになるから幸運だが、もし20万部しか売れなかったら出版社は終わりである。抱えた借金はとても返せない。それを思うと夜も眠れなかったと、その出版社の社長さんはおっしゃっていた。

 仮に80万部売れたとしても、零細出版社の出版経費といえば印刷コストと著者印税程度なので、残りはがばっと税金で持っていかれる。売れなくても在庫があればそれにも税金がかかり、税金は現金で払わなければならない。在庫の本で支払いできればどんなにいいだろうかと思うんだが、在庫本を税務署が受け取ってくれるわけがないので、泣く泣く断裁処分せざるをえない。倉庫代もかさむし。

 そういうわけで、一度に巨大な数が動くベストセラーというのは暴風雨のようなもので、本当に会社の利益になるのかよくわからないこともあるのである。これが1000部単位の本だったら、刷り部数を多少読み間違えても会社にとって回復可能なダメージですむが、返本が数十万部となったらとても助からない。こういう本を扱うにはノウハウが別にあって、大出版社にはそれがあるということだ。

 というわけで、零細出版社にとって理想的な本というのは、ちょっとずつ長〜く売れてくれる本なのである。うちで売っている本はみんなそういう本ばかり。ありがたいことである。ガイドブックにしても、競争の激しいイタリアとかフランスとかに手を出して、金のかかった本を作っていたら、否応なく部数を増やさねばならず、その結果返本の山になって倒産していたかもしれない。他の出版社が儲からないと思っているようなニッチな地域を出して、多くはない読者の需要に応えるというのが地味ではあるが堅実な方法なのである。バングラデシュやアッサムが数万部売れるガイドブックになるとはどんな人でも考えない。ま、その方が、うちの読者も喜んでくれるということもあるし、作る方もおもしろいのだ。