「本の雑誌」301号到達と「旅行人」の20年


本の雑誌」は2008年7月号で301号に達した。1976年から2008年まで33年間で301号。創刊当時は隔月刊だったから、1年間あたりおよそ9号を出しつづけたことになる。長い道のりだ。おめでとうございます。



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 読んでいらっしゃる方も多いと思うが、現在の「本の雑誌」は、発行人が目黒考二さんから浜本茂さんへ変わった。編集長はずっと椎名誠さんだが、ときおり椎名さんの書くコラムを読んでいると、編集の一線からは身を引いていらっしゃる、どころか、椎名さんのコラムに、最近、若い奴が「本の雑誌」で書いている書評はさっぱりわからん、と書いてあったのには笑った。普通の編集長はこういうことは書けない。さすがである。


 僕が「遊星通信」(「旅行人」の前身)を創刊するにあたって(実は創刊というほど大げさなものではなく、ちょっとつくってみたんだけど読んでみないと友人に配った程度だったのものだったんだが)、「本の雑誌」と「オデッセイ」をモデルにしたことは前にも書いたが、どこに書いたのかも覚えていないので、もう一度ちょっと書いておく。「本の雑誌」は今でもあるけど、「オデッセイ」はとっくの昔になくなっているので、ご存じない方も多いと思うが、個人旅行者専用の旅行情報誌だった。徹底して貧乏旅行にこだわり、肝炎闘病記とかコアな内容で、前川健一さん、小田空さんなども書いていた雑誌だった。


「オデッセイ」のことはまた別の機会に書くことにして、そういう個人旅行雑誌の先達と、「本の雑誌」をお手本にしたのは、「本の雑誌」が、本好きをさまざまな企画で表現していたことに感動したからだ。たとえば、文藝春秋を表紙から裏表紙まで一字残さずすべて読み通すという企画は実に画期的だった。本文はもちろん、広告から奥付まで目を通し、しかもそれをおもしろい読み物にするのは、企画力も文章力もなければ実現できるものではない。


 なにより編集長の椎名さん、発行人の目黒さんの個性が誌面にもろに出てくるという雑誌は、マスコミではありえなかったし、タテマエではなく本音で、金ではなく企画で勝負という姿勢もすばらしかった。創刊当時、表紙のイラストは椎名さんの筆で手作り感があってよかった(実は椎名さんのイラストはすごく味がある)。こういう雑誌がつくりたいなあと強く思ったのだ。


 予算はないが企画で勝負するという同人誌、ミニコミはもちろん数多くあっただろう。「オデッセイ」もそのひとつだ。だが、ほとんどは長くても数年で消滅する。三号同人誌とよくいわれるが、三冊ぐらいはちょっとした思いつきと企画でつくれるのだが、大変なのはそれを持続することなのである。そういう意味で33年間の道のりというのは、実にエライ!


 と書いたところで、実はわが「旅行人」も、今年で創刊20年を迎えるのである。えへん!なのだ。しかし、20年間で出した号数は次の号まで入れて159号なので、1年あたり約8冊だ。あれ? 意外に出してるんだな。「本の雑誌」とは年1冊しか違わないぞ。実に意外だった。これから1年あたりの号数はどしどし減っていくことになるけど。


 そういうわけで、うちでは創刊20周年記念パーティとかはやらないが、次号ではほんの少し記念小特集を組みたいと考えているが、どういう内容になるかは、今は『シベリア鉄道』の制作で頭がいっぱいなので考えられない。というか、次号のメイン特集の内容も決まってない。お楽しみに、ということでよろしくお願いします。