なぜクリップは磁石に吸い上げられてしまうのか。『ワープする宇宙』を読む(ふりをする)。

 僕には寝付きの悪い夜というのが近頃まったくない。もともと寝付きはいいのだが、以前は年に2、3日は寝付けない夜があった。それがまったくなくなったのは、抜群の効き目を持つ“睡眠薬”があるからだ。
 それは量子物理学の本だ。読んでもさっぱりわからないので、ひどいときは1ページ文字をなぞっただけで眠くなる。
 自分でも不思議なのは、以前の自分なら理解不能な本なら読むのをやめてしまうのに、それでも読み続けているということだ。これが哲学だったら躊躇なくやめていただろう。それは哲学にまったく興味がないからなのだが、理解することができないのに、量子物理学の話は心が引かれる。ちなみに、高校時代、僕は物理のテストで5点(100点満点)を取るほどのインテリである。
 これまで何冊もの量子物理学の一般書(専門書ではない)を読んできた、というか、文字をなぞってきたが、最近読み終えたリサ・ランドールの『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』(NHK出版)はとりわけ理解不能だった。およそ600ページの本をまる2カ月かかっているので、1日平均10ページだ。
 理解不能な本なので、何がおもしろかったかを書くのは大変むずかしい。たとえば、とりわけ難解な後半のどこでもいいのだが、その一文をとりあげてみよう。
「隔離が重要なものになりうる理由は、これによって無政府主義原理の引き起こす問題が防げるからだ。無政府主義原理は、四次元の場の量子論では起こりうることがすべて起こるという不文律である」
 こうなると、物理学だか政治理論の話かもわからなくなる。もちろん僕にも意味はさっぱりわからない。とにかく何でもありは理論が成立しないから、それはまずいので隔離してしまおうということだと勝手に解釈する。
 僕にとって量子物理学のおもしろいところは、これまで考えたことのないスケールの世界であるということだ。考えたこともないほど微少なスケールの世界。世界で最も小さいスケールをプランクスケールというそうだが、それがどれぐらい小さいかというと、10のマイナス33乗センチ!
 『ミクロの決死圏』のように、そういうスケールの世界に入り込んでいく姿を想像してみる。そこでは重力や弱い力、強い力、電磁力がまったく異なっていて、違う次元の世界が見えるのだ。それがわれわれが住むのとは別の世界ではなく、スケールが違うだけで同じ世界だということに驚く。そこでは様々な粒子が飛び交っている。重力も粒子であり「グラビトン」と命名されているが、これは理論上の粒子でまだ発見されてはいない。つい最近まで、ヒッグス粒子も理論上の粒子だったが、これは発見されたので、グラビトンだって発見されるかもしれないのだ。
 この本の著者のランドール博士は、重力がなぜこれほど小さいかという謎を解き明かすために、余剰次元説を唱えている。重力は弱すぎるといわれてもピンとこないが、ランドール博士がこれを説明するのによく使うのが、床に置いたクリップを磁石で持ち上げる実験だ。ほら、こんなに小さな磁力でさえ重力より強いでしょ? うーん、そういえばそうだけど、あたりまえじゃん。でも、これが物理学者にとっては大きな謎なのだ。なんで小さな磁石の磁力(電磁力と同じ)よりも重力は弱いのか。
 ランドール博士の唱える余剰次元説では、重力だけは他の次元にも作用していて、われわれの住む3次元(または時間を加えた4次元)世界には、重力の一部しか作用していないから弱くなっているらしい。その余剰次元が、もしかしたらプランクスケールのような極小世界にあるかもしれないのだと(誤読の可能性が高いけどそれはご勘弁を)。
 そんなことをどうやって実証するの? と思うでしょう。プランクスケールなんか絶対に観測できないのだし(そもそもよくこういうことを考えつくもんだ)。ランドール博士は次のように書く。
「いくらコンパクト化された次元が小さくて、この世界を四次元のように信じ込ませているとしても、ここが高次元世界であれば、本当の四次元世界ではないことを示す何らかの新しい要素が含まれているはずだ。もし余剰次元があるのなら、その余剰次元の指紋はきっと存在する。そうした指紋が、カルツァークライン(KK)粒子だ。KK粒子は余剰次元宇宙を構成する追加要素で、高次元世界を四次元で表したしるしである」
 意味はわからないが、このKK粒子が発見できれば、余剰次元があるという証拠になるらしい。このKK粒子が提唱されたのは1921年。もう90年も前のことなのだ。
 余剰次元プランクスケールより大きい可能性はないと考えられてきたが、もしもうちょっと大きければ(大きければ大きいほど)KK粒子は質量が小さくなる(そうだ)。質量とはエネルギーのことなので、質量が小さければ、現在ある加速器で発見できる可能性が高まる。今のところ発見されていないので、加速器の性能を考えると、余剰次元が10のマイナス17乗センチ以上の大きさであることはないという結論になっている。加速器の性能が高くなれば、このKK粒子が発見できる!かもしれない。そうすると、余剰次元があることが証明され、なぜ磁石がクリップを吸い上げられるのかという謎が解き明かされるのだ。
 その新しい高性能の加速器を、日本に建設しようという計画がある。もちろん僕は大賛成。ぜひ日本に新型加速器を建設し、この壮大な謎を解き明かして欲しいと願う。ついにクリップが磁石に吸い上げられる理由がわかったぞ! といえるわけですね。

ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く

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