カスミを食う

「霞を食って生きている」という言葉がある。仙人が霞を食って長生きすることから、働きもせず収入もないのに、なぜか生活できている人のこという(と思う)が、私の周囲にはこういう人が多い。

 最もはなはだしい仙人は、30代半ばで仕事を辞めて以来24年間無職を通している。これからも多分働くつもりはないだろうから、死ぬまで記録を伸ばし続けることだろう。この仙人はわずか10数年働いて、その後の人生の必要経費を蓄えてしまった実力派仙人である。

 以前知り合ったカメラマンにも仙人がいた。この人は実に不思議な写真を撮る人で、その作品を見せてもらったときに、出版社などに売り込んだりはしないのかと尋ねると、使ってくれるところがあればやぶさかではないが、そのために写真を撮ることはないという。

 では、どうやって生活するのか。その人がいうには、自分のその作品をプリンターでプリントアウトしたものを路上で売るという。それで売れるだろうか? すると、売れただけで生活するという。できるだけお金を使わないで生活する方が、できるだけお金を稼ぐ生活より自分に合っているから、それでいいというのである。芸術派仙人とでも呼ぶべきか。

 最近ある取材で会った人も同じようなことをいっていた。その人は、なるべく現金を稼がない生活、あるいは現金を介在させない生活を営んでいるという。なぜ現金があるとよくないかというと、現金を稼ぐと税金やら年金やら支払わなくてはならないし、それに関わる手続きだけでさまざまなことをやらなければならないからだという。自分で野菜をつくり、それを食べ、あるいは野菜と米を交換するようなバーター経済なら、税金はかからないし、公的な手続きもあまり必要ないというわけである。

 別のある人は養鶏をやっている人だったが、もし自分で作った卵を売るとすれば、どんなに安くても1個200円以上はするという。毎日卵を産んでくれるニワトリだったとしても、エサ代その他の経費でその値段以下では売れないというのだ。スーパーの卵が1個20円で売っているのはそれなりのカラクリがあるからだそうだが、それはともかく、だから野菜にしても卵にしても、売って商売する気にはなれない(商売にならない)から自分で食べるという。

 世間では、貧富の二極化が進み、それは小泉改革のせいだとかなんとかいっているが、金がないとやってられない、金はできるだけたくさんあったほうがベストである、という考えの人にはこの図式も(もしかしたら)成立するのかも知れないが、初めから稼がないで生きたいと考える人々にはまったく関係のない話であるともいえる。現金がない方が暮らしやすいという人が世間にはいるのだからねえ。