アメリカ映画にうんざり


 ここ何年も流行のアメリカ映画にうんざりして、映画にはすっかりご無沙汰していたが、最近たてつづけに中国や韓国の映画を貸しビデオで見ている。ようやくその時間が作れるようになってきたのと、貸しビデオ屋にアジア映画が置かれるようになってきたおかげである。

 1、2年前まではうちの近所の貸しビデオ屋にあるのはほとんどが邦画(その7割はポルノ)とアメリカ映画で、他は香港の空手映画ぐらいという情けないラインナップだったが、近頃は中国、韓国ものが「アジア」という棚に並ぶようになったのだ。ありがたいことである。最も数の多い韓流ドラマには興味はないが。

 当サイトの「旅シネ」では韓国映画が絶賛されている。僕もテレビから録画した韓国映画を数本見ていたが、どうも韓国の戦争映画は好きになれない。「八月のクリスマス」や「ほえる犬は噛まない」といった現代劇(というのか?)のほうに静かな共感を覚える。こういう映画を見て思うのは、同質感と同時に細かな差違感である。

 同質感というのは、描かれる人々──特に若者の言葉や感覚に、ほとんどいまの日本人と同じであると感じることで、日本語の吹き替えで見ると、それが日本映画であるといわれても違和感はない。例えば「猟奇的な彼女」に出てくる女の子が地下鉄の車内で暴れるシーン、「吠える犬は噛まない」で、団地の犬がうるさいといって怒る主人公だけ見ると、日本と変わらないなと思う。

 それなのに、細かく見ていくと、地下鉄の乗客に物乞いする女性が自分の窮状を訴える文書を配ることは日本にはないし、あるいは、死んだ犬を鍋にして食うこと、また目上の人の前でタバコを吸うときに横を向くというのも韓国ならではなのだろう。そういうところを見て初めて韓国らしいなと思うのだ。「ほえる犬は噛まない」では、団地で眠る主人公の夫婦が、冬なのに布団を掛けていなかったが、韓国では布団なしで眠るのだろうか(僕が韓国で泊まったときには布団はあったんだが)。

 アジアの映画を安心して見ていられる最大の理由は、あるいはアメリカ映画を見たくなくなる最大の理由は、暴力シーンにある。アメリカ映画がすべてそうではないとしても、暴力シーンが登場する場合、アメリカ映画の暴力シーンは、どこまでもリアルで克明で残酷で、これでもかというぐらい残忍である。僕にはああいうのはもう耐えられない。なにがおもしろくてあんな残忍なものを見るために金と時間を使わなくちゃならないのか。

 以前は好きだったマーチン・スコセッシの「ギャング・オブ・ニューヨーク」を見た。僕は「タクシー・ドライバー」は好きだし、「レイジング・ブル」は僕のベスト3に入る傑作だと思っている。しかし、この映画を見て失望した。南北戦争時代のアメリカに流れ込んでくるヨーロッパ移民の物語だが、これもまあひたすら暴力暴力暴力。ナイフでぐさぐさ刺し、ぶんなぐり、挙げ句の果てに大砲でぶっ飛ばす。それでニューヨークのギャング。バカじゃないのかとしか思えない実に退屈でひどい映画だった。もう当分アメリカ映画を見ることはないだろう。


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