インドの民家風建築

 先日インドへ行ったとき、ある陶芸家に会った。インドでは陶芸家は成立しにくい職業である。素焼きの陶器をつくるカーストはある。よく知られているように、インドの陶器はチャイカップのように使い捨てされたり、水瓶などに使用されるだけで、一般の食卓に恒久的に使用される陶器は、そのようなカーストによって制作されることはないようだ。浄・不浄の概念が強いインドでは、誰が使ったかわからない食器を忌避する傾向がある。だから、日本にいるような陶芸家はインドでは多くない。

 その陶芸家はタイで2年訓練し、インドに帰ってきて制作しているという。「インドで陶芸するのは難しいんじゃないですか?」というと、彼女は、確かにその通りだが、徐々にこういった「普通の」陶器を使う人が増えているという。

 その陶芸家は、夫がイラストレーターだそうだ。たぶん経済的にも恵まれているのだと思うが、その夫婦の家がなかなか変わっていた。インドの普通の家はさまざまだが、貧乏人なら藁葺き屋根に土壁が多いし、金持ちになるとコンクリートになったりタイル張りになったりするのが普通である。もっと金持ちは宮殿のような屋敷に住むが、この夫婦は民家風の家なのである

 民家風とはどういう意味かというと、日本で民家風といえば、昔の農家や庄屋風の家だったりするわけだが、この家の場合も土壁と土間を取り入れた農家風なのだ。こんな家をインドで見たのは初めてなので、民家風といっていいのかどうかもわからないのだが、仮にこういっておこう。当然、農家ではない。農家であった家を改造したのでもない。彼女によれば、夫が設計し、大工に建てさせ、夫婦もそれに参加したとのことである。

 広さはだいたい50〜60平方メートルといったところで、間取りは2DKか。他に倉庫と陶芸用のアトリエがある。台所は今の日本にあるようなシステムキッチン風で、数段の階段を下りるとそこにリビングがあって、リビングの片隅には友人の芸術家がつくった巨大なオブジェが置いてある。そのリビングから階段を数段あがると大きなベッドがある。ベッドの脇にはクロゼットがあって、その戸には地元の少数民族の絵が描かれている。内壁はすべて土壁だ。

 リビングに座って、出されたお茶を飲んでみると、チャイではなくカモミール・ティーだった。夫の描いたイラストを見せてくれたが、テーマはヒンドゥー神話だったが、タッチはピカソ風でもあり、モダンアート風でもあった。感想を聞かれたのでそういうと、この絵はピカソを意識したようだという。それからモダンアートの話をしたり、少数民族の話をしたり。こういう家を建てたのも、彼女自身が地元の少数民族の文化に強く惹かれているからだという。

 そういった家にいて、そういった話をしていると、そこがインドであることを忘れそうになる。その家は、インドの少数民族の絵を取り入れ、インドの農家風に建てているにもかかわらずだ。何故なら、そういった装飾なら、わが家だって同じだし、インドの農家風の家の土壁は限りなく無国籍に近いからだ。これだったら、小金持ちのインド人が建てたコンクリートとタイルの家のほうが、よほどインドらしさを感じるかもしれないとさえ思う。

 前川健一さんから教えてもらったことだが、近代化が進み、伝統的な生活から切り離されてみると、またそっちへ回帰しようとするという。日本の民家風建築がそうだし、東南アジアでもそういった傾向が見られるそうだ。それはヨーロッパ経由の「伝統回帰」らしいけれど、最近は中国でもそうだと池彼方さんが教えてくれた。最近急増している中国の中産階級は、名所・旧跡の観光旅行ではなく、古鎮観光がブームだという。

 そういった波はインドにも確実に訪れていて、これは松本栄一さんに教えてもらったことだが、デリーには「原インド料理レストラン」があるという。つまり、トウガラシがインドにやってくる以前のインド料理を食べさせるレストランであるらしい。日本で流行しているエスニックブームも、あるいはこういった伝統文化回帰現象も、日本だけの現象ではなく、実はヨーロッパ発世界行きのひとつであるらしいのだが、それにしても、とインドの農家風建築のなかで思うのは、隣りの州では貧困でぼろぼろの農家が無数にあって、中世さながらの武装強盗がそこへやってきては人殺しをやっているのだ。日本のように「失われつつある伝統への回帰」というのではぜんぜんないのである。もちろん彼女もそのことはよく知っているわけなんだけれど。