横谷宣、個展「黙想録」

  横谷宣さんの初の個展「黙想録」へ行ってきた。作品については、田中真知さんが自身のブログでも詳しく紹介なさっているので、そちらもごらんいただきたいが、私自身は以前、横谷さんの家へ押しかけて作品を拝見したことがあった。そのときに衝撃を受けた経験があるので、今回の個展はどうかなと思ったのだが、おしゃれなコンクリート打ちっ放しのギャラリーに展示された写真は実にかっこいい。よく似合うなあと感心した。

  横谷さんの写真は、旅先の風景であり、作品の下に貼り付けられたプレートにも、撮影された場所が記されている。書いてあるから一応それを見て、これはインドなのかと思うんだけれど、しかしそれはほとんど意味をなさない。例えば私が撮影する取材先の写真は、読者にそこがどういうところなのかを伝えるためのものだが、横谷さんの写真に現れている映像は、彼の心の中にある風景なので、それがインドでもエチオピアでもあまり意味はないのだ。

  このブログで、グレゴリー・コルベールという写真家のことを書いたが、ある意味で、横谷さんの写真はグレゴリー・コルベールと対極にあるかもしれない。グレゴリー・コルベールは、彼が旅をして出会った人々と自然、動物をモチーフにして、その世界がいかに美しく、神秘に満ちているかを表現しているように思える。美しい自然と動物、エスニックな民俗衣装をまとった女性や子どもたち。オリエンタリズムを織り交ぜつつ、叙情的に華麗に表現している。この人の写真がポスターになったら、ちょっと部屋にはっておきたい気がしてくる。

  だが、横谷さんの写真は、まるで彼の心の中をのぞき見るような風景だ。おそらく横谷さんは、美しく撮影しようという意識とはまったく無縁なのだろう。朦朧とした意識に差し込むぼんやりとした光が映し出した風景といえばよいだろうか。横谷さんの頭に、彼の思い描くイメージを取り出す装置をくっつけて映し出したら、こういう映像がゆらゆらと浮かび上がってきたという感じなのですね。

  写真の下のプレートには、この写真がどういうふう処理をされた写真なのかが添えてあるが、素人の私にはさっぱり理解できない。ギャラリーの方や田中真知さんの話によれば、今は作られていないフランス製の印画紙を彼がストックしており、その最後の印画紙に焼いたものであるという。表面がざらざらしているので、この写真を撮影すると光が反射して非常に撮影しにくかったそうだ。そういう印画紙に、これまた彼自身が調合した現像液などを使用しているので、これを印刷あるいは撮影したものを見ても、その質感を体感することはほとんど不可能なのである。実物を見るしかないのだ。真知さんが、一品ものの陶芸作品のようだといっているのは、そのせいである。

  かなり特異な写真家であることは間違いないので、彼が認められるかどうか、もちろん私のような素人にわかる術はないが、一人でも多くの方に見ていただきたい。別に知り合いだから勧めているわけではなく(一度お会いしただけだから、非常に知り合いというほどでもないし)、こんな写真はこれまで見たことないし、見るんだったら、もしかしたらこれが最後のチャンスになるかもしれないので(そうであって欲しくはないんですけど)書いているのだが、もし数万円の金が財布に入れてあったら、ぜひ作品を買おう!

個展の詳細情報は、ここ