インド先住民アートの村へ~ハザリバーグ画について

 去年の11月にインドのジャールカンド州へ先住民の家の土壁に描かれた絵を見にいって、今年の2月から3回、それについてのトークイベントや展示会を重ねてきた。次の5月18日に福岡アジア美術館トークイベントをやり、5月24~26日早稲田奉仕園でシリーズ最後のトークイベントと展覧会を行なう。早稲田奉仕園ではミティラー画、ワルリー画、ゴンド画、そしてハザリバーグ画などおよそ100点の民俗画を展示する予定だ。

 インド先住民の壁画を探して、15年以上前からインド各地の村々を訪ね歩いてきた。10年前それを『わけいっても、わけいっても、インド』という旅行記にまとめたが、残念ながらたいして売れず、読者からはインド先住民の壁画といわれてもピンとこないし、行っている場所もさっぱりわからないといわれた。まあ、その通りだろう。それで、在庫整理で何百冊か廃棄処分する羽目になった。

 昨年、板橋美術館で「世界で最も美しい本 タラブックスの挑戦」という展覧会が行われた。タラブックスはインドの出版社だが、インド先住民の絵画、ゴンド画などを美しいシルクスクリーンで印刷した本を作っている。こんな展覧会に人が入るのだろうかと思ったものだが、その予想をはるかに裏切って、美術館には多くの人がやってきて、インド先住民アートは一気に有名になった(その以前よりはという意味で)

 ちょっと出してみたら? と、親切な申し出を受けて、展覧会のミュージアムショップに『わけいっても、わけいっても、インド』を出したら、これまでの不振がウソのようにというか、羽が生えたようにばんばん売れた。生きているとまったく信じられないことが起きるものだ。

 この企画展は板橋美術館を皮切りに、日本各地や韓国を巡回し、現在は栃木県の足利市立美術館で開催されている。(2019年4月13日~6月2日)

https://bijutsutecho.com/exhibitions/3565

 

 去年訪れたジャールカンド州のハザリバーグ近郊の村々は、それまで見た壁画に比べていろいろな点で際立っていた。これまで見た壁画は、一つの地域でどの村を訪ねても、だいたい同じ様式で描かれていた。有名なミティラー画のあるミティラー地方の村は、どの村に行ってもだいたい同じスタイルの絵が描かれている(ミティラーは地方名で、そこに住む人々は先住民ではないが)ラージャスターン州のミーナー画も、ミーナーという先住民族が住む村で描かれ、同じようなスタイルで描かれている。ワルリー画もやはりそうだ。

 だが、ハザリバーグ近郊の村々に描かれた壁画は、村が異なるとまったく違うスタイルの壁画が描かれているのだ。はじめは村に住む民族(部族)が異なるのかと思ったが、そうではなく、同じ民族でも村が変わると絵のスタイルも変化する。僕が知る限りこういうのは珍しいし、そこを案内してくれた人も、インドでもここだけだという。村中に大きな壁画が描かれ、それはまるで「生きた美術館」だ。

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ハザリバーグ近郊の村ベルワラ

 ジャールカンドのハザリバーグ画は、インドでもまだマイナーな存在だ。今やゴンド画やワルリー画やミティラー画はインドでもニューデリーやムンバイなどの大都市で数多く販売されている。15年前のものと比べると、色彩が豊かになり、技術も向上し、壁に飾ると映えるような絵に「進歩」している。土壁の家に描かれていたものとはだいぶ変容しているが、人々が買い求めて壁に飾るのにふさわしいものになっている。

 それに比べると、ハザリバーグ画は、彼女たちの家に描かれた壁画そのものだ。プリミティブで荒々しく、売れて欲しいのに、売れる描き方をまだ知らない絵だ。いったいそれがいつまで続くのかわからないが、今はまだそのような描き方しかできないのだろう。

 このようなハザリバーグ画は、ずっと昔から伝統的に描かれ続けてきたと思っていたが、実はまったくそんなことはないという。村々を案内してくれたハザリバーグのサンスクリット美術館の人の話によれば、20年前は、村の壁画はほとんど消滅していたそうだ。それをサンスクリット美術館が20年かけて復活させたのだ。

 壁画は顔料で描かれている。昔は村人が山から採ってきて、石で細かく砕き顔料にして絵を描いていた。だが、近年は山に勝手に入って原料の石を持ち出せなくなり、市場で買わなければならなくなった。貧しい人の多い先住民にそんな金はないので、壁画も消滅していった。それを復活させるのに、サンスクリット美術館は顔料を市場で買い、村に配布し、村人に壁画を描くように奨励してきたのだ。

 もちろん民間の小さな美術館にすぎないサンスクリット美術館にも潤沢な資金があるわけではない。そこで、美術館では年に1度か2度、美術館でアートキャンプを開き、村人に紙を与えて絵を描かせ、それを販売して顔料の資金を稼いでいる。インドではまだマイナーなので数多く売れるわけではなく、おもにフランスの団体が大量に買い上げてくれるそうだ。だから、ハザリバーグ画の絵描きたちはごく普通の主婦や女性にすぎず、ミティラー画やゴンド画のように、アーティストとして有名になり、財をなしている人はいない。絵から得られた利潤は村の壁画に使われるだけで、金儲けができるわけではないのだ。

 ある意味で、このような売れ始める前の(今後売れるかどうかはわからないが)壁画を見られるのは珍しいともいえる。なぜなら、インドやヨーロッパで売れはじめてようやく日本にもだんだんと知られるようになってくるのが普通だからだ。ゴンド画やワルリー画は日本で有名とはいえないと思うが、それでも一部の人にはようやく知られるようになってきている。しかし、ハザリバーグ画はたぶん誰も知らないだろう。日本で紹介するのもおそらくこれが初めてのはずだ。

 というわけなので、皆さまにはぜひご覧いただきたいと願っている。収益の一部はサンスクリット美術館の活動に寄贈することにしているので、予算があり、絵を見て気に入ったら買い求めていただければ大変にうれしいが、見るだけなら無料なので、見るだけでも見ていただければと思う。

 2回にわたって行なうトークイベントは、前半がこれまで僕が訪れたインド民俗画の全容について。後半がハザリバーグ画を詳しく画像でご紹介する。2回とも見ると、インド先住民アートの全容がだいたいわかることになっている(もちろんまだ見たことがない知らない民俗画もある)

 そして、一連の展示会に合わせて、これまで撮りためてきた壁画の写真集も製作した。一部にはすでにご購入いただいているが、次の展示会でも販売するので、どうぞよろしくお願いします。遠方で来られない方には、旅行人Webから予約を開始しましたので、こちらからどうぞ。

https://ryokojin.co.jp/product/%e3%80%8e%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88%e3%81%ae%e6%9d%91%e3%81%b8%e3%80%8f/

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写真集『インド先住民アートの村へ』(6月10日発売、税込価格2376円)

 

 このような先住民の壁画は消滅していく趨勢にある。インドでも近代化がどしどし進み、保守派の首相でさえ観光地化推進のために聖地バラナシの古い建物を破壊するありさまだ。このような人々にとって先住民の泥の家など「後進性」の象徴であり、破壊の対象でしかない。現にインド政府は泥の家をやめてレンガの家を作るように多額の補助金を拠出している。これで泥の家はどんどん壊されつつあり、レンガの家には壁画は描かれない。日本人が誰も知らないうちに、こういう壁画が消滅してしまうかもしれないのだ。ハザリバーグ画の残る村々は一種の「奇跡」といっても過言ではないだろう。だから、インドにはまだこのようなアートが残っているのだということを、その目で見ていただければと思う。

 トークイベントのお申し込みはこちらからお願いします。たくさんのご来場をお待ちしています。

 蔵前仁一 インドトークインド先住民アートの村へ4

 イベント日時:2019年5月24日(金)〜26日(日) https://ryokojin.co.jp/2019/04/06/%e8%94%b5%e5%89%8d%e4%bb%81%e4%b8%80-%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%88%e3%83%bc%e3%82%af%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88%e3%81%ae%e6%9d%914/

 

『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』

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 ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』というドキュメント映画を観てきた。

 ユーリー・ノルシュテインはファンの方には言わずと知れたロシアアニメーション界の巨匠だが、そのノルシュテインが取り組んでいるのがゴーゴリの名作『外套』のアニメ化だ。ところが、残念なことにその制作は現在中断していて、なんと中断期間は30年に及ぶ。ノルシュテインの『外套』制作と中断はファンの間ではあまねく知られており、誰もがいったいいつできるのか、完成する前に死んじゃうんじゃないかと皆が心配している。

 それで、本作の才谷遼監督がロシアへ乗り込み、いったいどうなっているのか! とユーリー・ノルシュテインに迫ったのがこのドキュメンタリー映画なのだ。

 だいたい巨匠ユーリー・ノルシュテインに面と向かって「いったい映画制作はどうなっているんですか」などと真正面から詰問できる人間はいない。関係者でさえ『外套』について話すのは「タブー」となっているらしい。それを「(どのような事情があるにせよ)30年も中断するなんて、どういうことですか!」と本人にいえるのは才谷氏ぐらいのものかもしれない。さすがに本人も素面でいうのは無理だったらしく、コニャックをボトル半分あけ、酔っ払った勢いで迫ったと試写会のあとでいっていた。その様子が映画のシーンに出てくるが、説明されなくても酔っ払っていることは見て取れる。

 なぜ30年も映画制作が中断されているのかは、様々な要因がある。ソ連の崩壊、現体制、現社会への憤り、あるいはスタッフの死、予算の確保、生活の安定などなど一言で説明できることではないようだ。驚いたのは、ディズニーから予算と設備を提供するというオファーがあったということだ。だが、結局ディズニーはなにもしなかったらしい。いや、できなかったというべきか。完成がいつになるかわからない映画にディズニーは契約など結びようもないのだろうし、ノルシュテインも、ディズニーのために映画を制作することなどできるわけがない。

 ノルシュテイン邸に1週間通い続けて、才谷監督は現在のノルシュテインの心境や状況を聞き出していく。ノルシュテインの答えもわかるようなわからないような問答が続くのだが、それが嘘偽りのない「状況」なのだ。

 78歳になったノルシュテインに残された時間は多くない。才谷監督が「この調子だと、できるまであと30年かかりますね」というと、ノルシュテインは真面目な顔をして、「やろうと思えば私は早いんだ。いつまでできるかなんてことはまったく考えていない」という。とりあえずノルシュテインが現在も元気であることを祝福し、なるべく早いうちに「やる気」を起こしてくれることを祈るばかりである。

(3月下旬、渋谷イメージフォーラムでロードショー)

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インドでスマホを使う

 旅の準備でデジタル機器について書いたので、今回はその結果をご報告したい。

 インドに着いて、すぐにSIMカードを購入した。Vodafonのカードでインド全国をカバーする。28日間有効で、データ通信は1日1GB、会話は無制限で600ルピー(約1000円)だからかなり安い。前回はスマートフォンが旧型だったのでつながらなかったが、今回は(簡単にとまではいかなかったが)きちんとつながって、ちゃんと使えた。

 ホテルのWi-Fiは電波が弱くて、ネットをみたり画像をアップするのに一苦労するが、こうやって自分でテザリングできると、Wi-Fiがないホテルでも簡単に通信できるので楽だ。今回は、ジャールカンドを旅したが、多くの旅行者が行く場所ではないので、ホテルにもほとんどWi-Fiはなかった。田舎町から乗り込んだバスの中から、日本に電話できたり、撮影したばかりの写真をSNSにアップするのも新鮮な体験だった。

 いちばん期待したのはグーグル翻訳だ。ジャールカンドではほとんど英語が通じない。私はヒンディーが話せない。ホテルに泊まったり、バスに乗ったりするのは言葉が通じなくてもなんとかなるが、村へ行って絵の意味を聞こうとすると、通じる言葉が必要になる。それでSIMを入れ、グーグル翻訳が使えるようにしたのだ。

 ところが、そのような場面ではまったく役に立たなかった。そもそもジャールカンドの村ではほとんどが電波の範囲外なのだ。都市にいないと携帯は使えないのだった。たまに電波が入って、スマホを差し出しても、村人はその意味がわからず返事をしてくれない。つまり、スマホが言葉を翻訳してくれる機械であるということを、こちらが理解させられなかった。ある程度こういうことに慣れていないと、この簡単な手順もなかなかわかってもらえない。バススタンドなどでスマホになれた人にそれをやると、素直にやってもらえたので、スマホになれているかどうかがポイントだ。

 たまにそれが成功しても簡単な言葉でない限り翻訳できない。翻訳しやすいように短いセンテンスで話せば機械も追いつくだろうが、普通の調子で長々と話されると無理なのだ。

 そういうわけで田舎の村ではほとんど役に立たなかったが、都市のバススタンドやホテル、レストランではある程度使える。しかし、もともとこのようなところはそんなものがなくてもたいした問題はないので、結局なくてもいいということになる。むしろ、このようなものに頼ると、今までなくてもなんとかなったのに、思わず頼ろうとする「退化」を引き起こすことが判明した。不思議なもんですね。

 田舎にスマホを持っていっていちばんよかった点は、前にも書いた通り、訪れた場所の位置確定だ。これについてはカメラ(オリンパスTG-5)にある追跡ログ機能を期待していたが、やってみた結果、操作が異常に面倒くさく、しかも時間がかかるので、あまり実用的とは思えない。

 もっとも手軽なのはグーグルマップだ。訪れた場所でグーグルマップを開き、現在地をマークするだけで位置が確定する。タイムラインを開けば、その日に移動した軌跡が記録されるのでこれで十分だった。

 多くの人が感じていらっしゃることだろうが、今やグーグルマップさえあれば、旅はなんとかなるのではないかと思う。

 今回行ったジャールカンドは、1250ページを超えるロンリープラネットのガイドブックさえ、州全体でわずか4ページしか情報がなく、掲載されている都市は州都のラーンチーのみ。それも極めておざなりな情報しかないような場所だ。それでもグーグルマップさえあればなんとかなるというのが今回の旅の実感だ。

 ホテルやレストランはマップ上で検索すれば、かなり細かく安い宿から高級ホテルが価格まで出てくる。地図上でホテルがたくさんありそうな場所に行けば、他にもいろいろ見つかるのでホテル探しは容易にできる。

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グーグルマップで出てくるラーンチーの一画。かなり多くのホテルが出てくる。

 おもしろかったのは店探しだ。僕は今回ジャールカンドの民俗画を見に行ったが、できれば紙に描かれた絵や、ジャールカンドの布を買いたかった。村には壁画はあっても、紙に描いた絵は売っていないのだ。紙の絵があることは知っていたのだが、それはどこに売っているのか。ジャールカンド独特の布はあるのか。

 というわけで、ラーンチーでグーグルマップに「Jahrkand tribe art textile」といった単語で検索すると、いろいろと地図上に出てくる。それを見て、ここと思ったところを数カ所訪ねてみることにしたのだが、行ってみると店ではなく、州政府の事務所だったりした。そこで店の場所を教えてもらってたどり着いたこともあった。行ってみないと、どういうところかまったくわからないというのも、なかなかおもしろいものだ。

 ラーンチーにはたいした見どころはないが、それでも検索すると、ロンリープラネットよりよほど多くの「見どころ情報」が出てくるし、それはたぶん他の都市でも同じだろう。旅行の一般情報では、もはや紙のガイドブックはネットには太刀打ちできない。紙のガイドブックなら、よほど特別な情報やネットにはない独自性がないと買う人はいなくなるかもしれない。

ジャールカンドへ壁画を探しに

 今回旅したのは、インドのジャールカンド州だ。そういっても、有名な観光地など何一つなく、ガイドブックにもまったく情報がないので、ほとんどの人はどこだかわからないだろうが、インド北部のビハール州から2000年に独立した比較的新しい州である。

 なぜこのジャールカンド州にいったのかというと、アーディバシー(先住民、部族民)の住民比率が高く、Wikiでは28%となっている。地元の人には半分以上がアーディバシーだといわれた)、こういうところは泥の壁に絵を描いているアーディバシーの家があるだろうと考えたからだ。

 もちろんネットでいろいろ探して、ジャールカンドにはどうもおもしろい壁画がありそうだという見当は付いていた。あとはまあ行ってみて探すだけ。巡りあえるかどうかは運次第だ。なんとかなるだろう、とりあえず行ってみよう! と飛行機に乗り込んだわけ。

 日本から北京経由でデリーへ飛び、そこからジャールカンド州の州都ラーンチーへ飛んだ。ラーンチーへ泊まらずに、そのままバスに乗り換えてハザリバーグという街へ。ここには周辺の村の壁画の収集、保全活動をしているプライベート美術館があるのをネットでチェックしてあったので、情報収集のためにまずここへ向かった。

 そうしたら、ここの人がわれわれを車に乗せて周辺の村々を巡ってくれ、何の苦労もなく様々な壁画を見ることができた(もちろん金は払いますけど)。これまでアーディバシーの壁画に出会うには、とにかく壁画がありそうな地域の、ホテルのありそうな都市に宿を取って、それからぼちぼち情報を集め、絵を探しまわるというのが常だったが、他の地域よりも情報の少ないジャールカンドで、あっけないぐらい簡単に壁画に出会えたのは幸運だった。

 村々を巡ってみて驚いたのは、これまで僕が見てきたマディア・プラデーシュ州、チャティースガル州、ラージャスターン州などより、はるかにバラエティに富んでおり、量が多いということだった。

 他の州ではアーディバシーの家の壁画は、だいたい一つの地域に一つのスタイルしかない。例えばラージャスターンのミーナー画にしろ、マディア・プラデーシュ州のゴンド画にしろ、マハーラシュトラ州のワルリー画にしろ、一つに地域ではその名を冠した同一のスタイルで描かれている。これまで僕はそれが当然だと思っていた。だが、ここでは村が異なると、まったく別のスタイルで壁画が描かれているのだ。僕の経験では、このようなことは非常に珍しく、美術館の人も「インドでもここだけだ」といっていた。

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ハザリバーグ周辺の村々の壁画。村によってこんなに絵のスタイルが変わる。

 インドに着いていきなり次々とすばらしい壁画に出会えて、もうこれ以上の壁画を見るのは無理だろうと思ったが、その後、あちこちまわった結果、予感通りハザリバーグ周辺の村々以上のものはジャールカンドで見つけることはできなかった。

 なぜそうなるのかといえば、このような村の壁画は、ただ伝統だからといって描き続けられるとは限らないからだ。このハザリバーグ周辺の村々は、美術館の保全活動によって支えられている。美術館の方が初めて村々に壁画があることを「発見」したのがおよそ20年前。たまたま通りかかった奥地の村でほんの数軒の家に描かれた壁画を「発見」した。それから美術館が村人を援助し、徐々に壁画が復活していったのだという。それらはほとんどすべて海外の援助によってまかなわれている(インド政府はまったく援助しないどころか、壁画が描かれる泥の家そのものを消滅させることに資金をつぎ込んでいる)

 日本人は誰もジャールカンドのことなど知らないけれど(まったく情報がないんだからしょうがないですけど)、こんなにすばらしい壁画あるところは世界でも珍しいと僕は断言しよう。世界遺産になってもおかしくないぐらいだ(が、ならないで欲しい)

 この詳しい話は、どこかでお話しする機会を設けたいと思う。いろいろ準備が必要なので、来春なるべく早くトークイベントや絵の展示を行いたいと思いますので、その節はよろしくお願いします。

旅の準備

 ひさしぶりに旅に出るので、ここ数日はその準備に追われていた。そんなにたいしたことじゃないんだけど、カメラ、コンピュータ、スマホなどのセッティングが慣れていないのでちょっと厄介だった。

 まずカメラ。

 新しく買ったコンパクトカメラがあって(前のが壊れたから仕方なく)、操作方法がなるべく同じであるように前のと同じメーカーを選んだのだが、やっぱり多少は違っていて、いちいち説明書を読まなくてはならずそれが面倒くさい。今度のカメラは、GPSで移動した軌跡のログを取ることができる。どんな田舎に行っても、GPSで測定した位置をカメラが記録してくれるというわけだ。

 とはいっても、実際にそれを試してみて、本当に自分がちゃんと操作して記録に取れるかどうかを確認しなければならない。というわけで、カメラを持って近所を歩きまわり、数カ所で撮影し、それが記録されているかを実験した。

これがカメラが記録したログ画像。緑色のピンが撮影場所。同時に、高度や距離、気温まで記録されている。

 問題ない。操作といってもログボタンを押すだけなので簡単なのだが、それできちんと記録は残っていた。

 もともと使っていたカメラも、予備の電池を探して充電したり、USBコードとハードディスクがちゃんとつながるか確認したり(その前にUSBコードを探し出さなくてはならない)、SDカードを買いに行ったり(これは妻が行った)、説明書を探したり(これはまだ見つかっていない)。つまり捜索が主体だったわけだ。

 デジタル機器の準備もそれなりに必要だ。

 持って行きたい資料やガイドブックがある。重いので紙の本ではなくPDFだ。これをiPadに入れるのがまた大変。こんなのは簡単にできそうなものだが、常日頃からこういう作業をやりつけていないので、どうしていいかさっぱりわからず、結局Facebookで詳しい方々に相談してなんとか解決。

 スマホにグーグル翻訳のヒンディー語ベンガル語などをダウンロードする。それから目的地であるインド各州の地図もダウンロードする。これはまあ簡単だが(とはいってもネットでやり方を見ながら行なった)、がっかりしたのはグーグル翻訳で、オフラインでは音声通訳ができないのだ。考えてみればそれも無理ないのだが、はたして本番でどれほど使えるものか。

 スマホを片手に歩きまわるとなると、問題になるのはバッテリーだ。今は日本でも多くの人が予備バッテリーを持ち歩くらしい(とテレビでいっていた)。それで買おうと思ったが、なにしろものすごく多種多様なバッテリーが販売されていて、何がいいのかさっぱりわからない。これもFacebookでご相談したら、これでいいのではないかというお答えがあってそれを買った。2000円ちょいなのでたいした買い物じゃないが、これで充電実験をしてOKだったので、しばらくそれを忘れていたら、バッテリーに再充電しようとしてUSBコードがどこかにいって、探すのに一苦労した。

 カメラもコンピュータもスマホも何もかもUSBコードを使うので、いったいどれがどのUSBコードなのか識別しにくいことはなはだしい。USB部分は同じだが、機械に接続する部分はほんのちょっとしか大きさが違わないものが多いので、差し込んでみるまでわからない。なんでコードのどこかにカメラやスマホの名前を書いておいてくれないのか。しょうがないから自分でガムテープや紙に書いてコードに巻き付けたが、これは非常にかっこ悪い(が、しょうがないのでこれでOK)。怖いのは、USBコード一本忘れるか、どこかでなくしただけで機械の方が使い物にならないことがあるということだ。充電ができなくなったらパーである。どこかに置き忘れそうで、それが何よりも怖い。

 旅の準備ってこういうことだったか?

 どこに行こうかわくわくしながら考える、なんてことはない。すでに行き先は決まっていたから航空券を買ったのだ。航空券は検索するとすぐにその時点での最安チケットが出てくるので、とくに迷うこともなくポチッとするだけだし。

 インドのビザをネットで申請するのが大変と言えば大変だった。ビザなしで行っても、空港でアライバルビザを取得することもできるが、夜中の3時に到着するのに係員がいるとはとても思えないし、たとえいたとしても3時間かかるといわれたので、普通のビザを取っていくことにした。ネットで申請フォームに何カ所も何カ所も記入し、最後は写真までスキャンして登録しなければならない。近所の証明写真ブースで800円のパスポート用写真を撮り、これを使おうと思ったら、背景が青くなっていて使用不可でがっくりきたことも今はいまいましい思い出だ。あの証明写真ブースはパスポート用などとうたいながら国際情勢にうといのはまことに遺憾だ。

 これでまあだいたい旅の準備は整った。デジタル機器が不要なら、チケットを買ってビザを取ればOKだったのだが、まあしょうがない。

 てなわけで、もうすぐインドへ出発です。行き先はメインがジャールカンド州というところ。そのあと西ベンガル州やオデーシャ(オリッサ)州もまわることになるのではないかと思いますが、行ってみないとわかりません。

『ガンジスに還る』

 17:44 『ガンジスに還る』を含むブックマーク 『ガンジスに還る』のブックマークコメントCommentsAdd Star

 試写の案内が来てタイトルを見たとき、深刻で重そうな映画かなと思って試写室に足を運んだ。たぶんバラナシで死を迎え、ガンジス川に遺灰が流されていく宗教的なテーマの映画かも、とかなんとか思いつつ映画を見始めたのだが、これはいい方に見当外れだった。

 バラナシで死んで、火葬された遺灰がガンジス川に流されるというのはその通りなのだが、深刻で重い雰囲気の宗教的物語というわけではなく、極めて現代的で日常的な一人の老人の死と、その家族の物語だった。

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 ある日、老人は夢で自分の死が近いことを悟る。そして、家族に向かって、自分はバラナシに行って、そこで死ぬと唐突に宣言する。ご存知のことだろうが、ヒンドゥー教徒にとって聖地バラナシで死を迎えることは、この世からの解脱を意味する。この上ない喜びなのだ。現在、バラナシで死ぬために年間数万人もの人が集まってくるそうで、まさにバラナシは死者の都市といってもいい。そういった人々が死ぬまで滞在する施設は、俗に「死を待つ人の家」と呼ばれており、この映画の原題HOTEL SALVATION 」はまさにその「死を待つ人の家」のことだ。老人は、そこで死を迎えることを強く希望する。

 ヒンドゥー教における聖地バラナシとはそのような場所であり、インドではそれがまったく異常なことではないとわれわれは考えがちだ。もちろんそれはまちがっていない。だが、自分はもうすぐ死ぬからバラナシに行くんだと祖父宣言された家族は、ごく普通の生活を送っている人々だ。死にに行く祖父を一人でバラナシへ追い払うわけにいかない息子は会社を休まなくてはならず、そこで非現代的なヒンドゥー死生観と、現代のインド社会の折り合いが付かなくなる。

 中年の息子は、おそらくわれわれとたいした違いのない極めて普通の現代人だ。祖父を連れて「死を待つ人の家」にたどり着くと、そこにいるサドゥーたちの姿を見ておびえ、こんなところに滞在するのは無理ですと祖父に泣き言をこぼす。汚い安宿のような部屋を見て、こんなところはいやだとまたごねる。それは初めてインドに行ったバックパッカーと大きな違いはないかもしれない。

 祖父と息子はその「家」で、長いあいだ死ねずにいる老女と出会う。「なかなか死ねなくてねえ」と笑うその女性から食事をごちそうになり、息子が「サンキュウ」とお礼をいうと、老女は「近頃の人はすぐお礼をいうのね」と笑う。息子はあわてて「ソーリー」というと、老女は「今どきの人ねえ」とさらに笑う。

 インドでは親切な行為に対して「ありがとう」といわないといわれていた。ヒンディー語では「ダンニャバード」だが、僕も人々の日常的な会話の中で日本人のようにいちいちありがとうといわないことは感じていた。だが、今ではヒンディー語ではいわなくても、英語でなら気軽にいうようになっている。それを老女は「今どき」と笑ったのだが、息子の日常感覚はわれわれと少しも違わない。そういう人間が、祖父の死を迎えるために聖地バラナシで滞在することになるのだ。

 宗教的であろうが、現代的であろうが、すべての人に死は訪れる。われわれ日本人は、インドのような「死を待つ人の家」を持たないかわりに、「死を待つ病院のベッド」を与えられる。バラナシでも自殺するわけではなく、自然に訪れる死を待たなくてはならない。死を待ちながら生きる残りの人生を、バラナシという聖地で過ごすか、病院のベッドで過ごすかの違いだ。

 祖父は息子にこういう。

「私はゾウだ」

 ゾウは死期を迎えると群を離れ一人どこかで死を迎えるといわれることにたとえたのだろう。先日なくなった樹木希林さんは、「死ぬときぐらい勝手にさせて」とおっしゃったそうだが、このインドの老人も、ゾウのように死なせろと息子にいったのだ。そこに大きな違いがあるようには思えないが、それを受け止める社会が大きく違うのだろう。

 この映画にお涙ちょうだいのような悲哀や、死を演出する暗さは微塵もない。ただ「人は死ぬ」という誰もが知っているはずの事実を、ときにユーモラスに、淡々と描いているだけだ。そこにこの映画の美しさがある。

 バラナシを訪れたことがある旅行者は、この映画を見れば懐かしさでいっぱいになるだろう。路地を歩くと、「ラーマ・ナーム・サッチャー・ヘーイ」と唱和しながらオレンジ色の布に覆われた遺体を運ぶ人々、焼き場の煙、ガンジス川のプージャ、異様な姿のサドゥー。旅行者がバラナシで初めて見る光景がスクリーンに映し出され、バラナシにいるような気分になれる。バラナシの好きな人には特におすすめだが、旅行者に限らず、どなたにもおすすめできるおもしろく優れた映画だ。

 10月27日から岩波ホールほか全国順次公開。

ポジフィルムのデジタル化に挑む(2)



レンズの前にスライドアダプターを装着


 買いそろえたマクロレンズとスライドアダプターをカメラに装着し、いよいよ撮影を開始する。今度はちゃんとピントが合って、ファインダーにはっきりと画像が見える。よしよし。
 普通はオートモードにしてシャッターを押すだけだ。試しにそれで撮影する。
 これがその結果。ぜんぜん写り具合が違う。2万6590円を投じた甲斐があった!


左がスキャナーでスキャンした画像、右がカメラの複写


 で、ここからがまた問題。一筋縄ではいきません。
 日頃はまったく気にしたことはないが、カメラにはホワイトバランスというものがある。有賀さんによれば、これをスライドの撮影のために最適化しなければならないらしい。そもそもホワイトバランスとは何か、何のためにやるのかも知らない僕にとって、こんなこともいちいち調べなくてはならないのだ。なんでオートじゃダメなんだ。ホワイトバランスとは、「さまざまな色あいの光源のもとで、望んだ色調の写真を得るための補正のこと」(Wiki)だそうです。

 カメラのスイッチをいじってみると、確かにありますね、ホワイトバランスというのが。何種類かあって、晴天、曇り空、蛍光灯と、光源によって変えるものらしい。試しに各モードで撮影してみた。


どのモードがどの写真なのか忘れたが、色合いはモードによって変わるようだ


 おお、確かに色の出具合が違う。元の色に近いものを選べばいいのかと思ったら、そうではなくて、撮影時の光源で計測して適切値を設定するらしい。有賀さんは、その光源としてLEDのライトを勧めてくれたが、ケチな僕はまた買い足すのがいやで、太陽の光じゃダメなんですかと聞くと、太陽の光でもいいけれど、太陽光は時間によって光量も色も変化するという。そりゃそうだ。時間によっていちいちホワイトバランスを設定し直さなくてはならないのはかえって面倒くさい。
 というわけで、おすすめのLEDライトを追加購入。2500円なり。


 で、このライトを設置する小さな三脚も必要だという。
 うーん、また買うのはいやだなあ。それじゃ今持ってる大きな三脚にLEDライトを付けて、カメラは手持ちで撮影すればいいのではないかと勝手に判断し、それでやってみる。
 だが、さすがプロのいうことに無駄はなかった。
 数枚撮影して、それではダメだということがすぐにわかった。手持ちのカメラをLEDライトに向けて撮影すると、ライトとレンズの距離や角度が一定しない。写すたびにちょっと近くなったり遠くなったりするわけだ。もちろん角度も変わる。光の入射角が変わるので、光量も変化する。これではせっかく測定したホワイトバランスが無効になってしまうのだ。
 やっぱりもうひとつ三脚が必要だ。
 ここまできて、そういえば昔980円で買ったコンパクトデジカメ用のちゃちな三脚があったのを思いだし、それを探し出した。おお、あったあった。それにLEDライトをねじこんだら、プラスチックの部品がぱかんと外れた。
 それでまた思い出した。そうだ、これってここが外れるので使うのをやめたんだった。やっぱり安物だよなあ。
 しかし、そこを接着剤でひっつけて強引に使用する。とにかくライトを固定できればいいのだから、これで十分だろう。
 というわけで、ようやく本格的な撮影にこぎつけることができたのだった。


 ここまで僕にとっては大変な道のりだったが、有賀さんの適切なアドバイスのおかげでなんとか設定できた。さあ、撮影だ! というところで、また問題が。ポジフィルムにゴミがいっぱいひっついていて、これが映り込んでしまうのだ。
 実はこの問題は、スキャナーでやっていたときからわかっていたことで、古いポジにはホコリやゴミや、ひどいものになるとカビまで生えている。これをどうしたら除去できるかが問題だった。
 最初はフィルムを洗うことを考えた。ネットで調べると、できることはできるが、素人がやるにはけっこうリスクが大きい。ポジの色が落ちてしまう危険が高い。それにかなり面倒くさい。もちろん金を出して業者に頼むこともできるが、金は出したくないので論外である。
 Facebookで、これはどうですかとアドバイスしてくれた人がいて、それはプラモデル用の静電気防止ブラシだった。

 ただのブラシではない。「静電気を取り除いてホコリなどの再付着を防ぐ除電ブラシと、彫刻線などの細い溝のクリーニングに便利なミニブラシを装備」という優れもので、ブラシにしては1286円もする高級品だ。
 洗浄がいやならとにかくやってみるしかない。ということで、これを購入してやってみた。その結果がこれ。


小さな画像ではちょっとわかりにくいが、左が掃除前の画像で細かいホコリが付いている。画像左上の点はカビなのでブラシでは取れない。画像をクリックしてオリジナル画像で見ると、ゴミの取れ具合がよくわかります


 見事にホコリが除去されている。すばらしい!
 さすがにこれでカビは除去できないが、そこまで劣化したポジはほとんどないので、もしカビがある場合は、Photoshopの修正ツールで加工する。どの画像も印刷に使用する場合は、最終的にPhotoshopで修正をかけるのだが(どうしても微細なゴミは残るので)、ゴミの大きさと量によって修正時間が大幅に変わる。元データは一見するとゴミのない画像でないとあとが大変なのだ。印刷しないのならPhotoshopによる修正は必要ない。
 というわけで、ここまで大変だったけれど、ゴミも取れ、撮影が始まると、スキャナーと違って、バシャバシャとどんどん複写できる。スキャナーだと4、5時間かけてやってもせいぜい50〜80枚だったが(それ以上スキャナーを動かすと過熱で動作がおかしくなる)、カメラでやれば1時間でそれぐらいは軽く複写できる。とにかくいったん設備を整えるまでが辛抱ということですね。
 ここまでの費用は、
 NEEWER CN-160 LED ビデオライト 2500円
 モデルクリーニングブラシ 1286円
 前回分 2万6590円 合計3万376円

 100枚以下のスキャンならこういうことはしなかったと思うが、500〜1000枚、あるいはそれ以上のスキャンが必要なので、あえてやった。1000枚やれば1枚あたりのコストは30円ですむ(ライトの電池代除く)。

 最後に、有賀さんのアドバイスを書き添えておく。
 1)ホワイトバランスはAUTOではなくマニュアル取得
 2)感度はISO100
 3)絞りF10
 4)クリエイティブスタイルはニュートラルがいいと思います。試し撮りして比較して決めて下さい。決める際はカメラの液晶モニタではなくパソコンの画面で見て。


 有賀さんのお名前を出して書いてきたが、素人の判断でやったこともあり、有賀さんの言葉を正確に理解できているとはいいがたい。間違っていることを書いている場合は、有賀さんではなく僕のせいです。みなさんも間違いながら自分の方法を確立していこう!