インド先住民アートの村へ~ハザリバーグ画について

 去年の11月にインドのジャールカンド州へ先住民の家の土壁に描かれた絵を見にいって、今年の2月から3回、それについてのトークイベントや展示会を重ねてきた。次の5月18日に福岡アジア美術館トークイベントをやり、5月24~26日早稲田奉仕園でシリーズ最後のトークイベントと展覧会を行なう。早稲田奉仕園ではミティラー画、ワルリー画、ゴンド画、そしてハザリバーグ画などおよそ100点の民俗画を展示する予定だ。

 インド先住民の壁画を探して、15年以上前からインド各地の村々を訪ね歩いてきた。10年前それを『わけいっても、わけいっても、インド』という旅行記にまとめたが、残念ながらたいして売れず、読者からはインド先住民の壁画といわれてもピンとこないし、行っている場所もさっぱりわからないといわれた。まあ、その通りだろう。それで、在庫整理で何百冊か廃棄処分する羽目になった。

 昨年、板橋美術館で「世界で最も美しい本 タラブックスの挑戦」という展覧会が行われた。タラブックスはインドの出版社だが、インド先住民の絵画、ゴンド画などを美しいシルクスクリーンで印刷した本を作っている。こんな展覧会に人が入るのだろうかと思ったものだが、その予想をはるかに裏切って、美術館には多くの人がやってきて、インド先住民アートは一気に有名になった(その以前よりはという意味で)

 ちょっと出してみたら? と、親切な申し出を受けて、展覧会のミュージアムショップに『わけいっても、わけいっても、インド』を出したら、これまでの不振がウソのようにというか、羽が生えたようにばんばん売れた。生きているとまったく信じられないことが起きるものだ。

 この企画展は板橋美術館を皮切りに、日本各地や韓国を巡回し、現在は栃木県の足利市立美術館で開催されている。(2019年4月13日~6月2日)

https://bijutsutecho.com/exhibitions/3565

 

 去年訪れたジャールカンド州のハザリバーグ近郊の村々は、それまで見た壁画に比べていろいろな点で際立っていた。これまで見た壁画は、一つの地域でどの村を訪ねても、だいたい同じ様式で描かれていた。有名なミティラー画のあるミティラー地方の村は、どの村に行ってもだいたい同じスタイルの絵が描かれている(ミティラーは地方名で、そこに住む人々は先住民ではないが)ラージャスターン州のミーナー画も、ミーナーという先住民族が住む村で描かれ、同じようなスタイルで描かれている。ワルリー画もやはりそうだ。

 だが、ハザリバーグ近郊の村々に描かれた壁画は、村が異なるとまったく違うスタイルの壁画が描かれているのだ。はじめは村に住む民族(部族)が異なるのかと思ったが、そうではなく、同じ民族でも村が変わると絵のスタイルも変化する。僕が知る限りこういうのは珍しいし、そこを案内してくれた人も、インドでもここだけだという。村中に大きな壁画が描かれ、それはまるで「生きた美術館」だ。

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ハザリバーグ近郊の村ベルワラ

 ジャールカンドのハザリバーグ画は、インドでもまだマイナーな存在だ。今やゴンド画やワルリー画やミティラー画はインドでもニューデリーやムンバイなどの大都市で数多く販売されている。15年前のものと比べると、色彩が豊かになり、技術も向上し、壁に飾ると映えるような絵に「進歩」している。土壁の家に描かれていたものとはだいぶ変容しているが、人々が買い求めて壁に飾るのにふさわしいものになっている。

 それに比べると、ハザリバーグ画は、彼女たちの家に描かれた壁画そのものだ。プリミティブで荒々しく、売れて欲しいのに、売れる描き方をまだ知らない絵だ。いったいそれがいつまで続くのかわからないが、今はまだそのような描き方しかできないのだろう。

 このようなハザリバーグ画は、ずっと昔から伝統的に描かれ続けてきたと思っていたが、実はまったくそんなことはないという。村々を案内してくれたハザリバーグのサンスクリット美術館の人の話によれば、20年前は、村の壁画はほとんど消滅していたそうだ。それをサンスクリット美術館が20年かけて復活させたのだ。

 壁画は顔料で描かれている。昔は村人が山から採ってきて、石で細かく砕き顔料にして絵を描いていた。だが、近年は山に勝手に入って原料の石を持ち出せなくなり、市場で買わなければならなくなった。貧しい人の多い先住民にそんな金はないので、壁画も消滅していった。それを復活させるのに、サンスクリット美術館は顔料を市場で買い、村に配布し、村人に壁画を描くように奨励してきたのだ。

 もちろん民間の小さな美術館にすぎないサンスクリット美術館にも潤沢な資金があるわけではない。そこで、美術館では年に1度か2度、美術館でアートキャンプを開き、村人に紙を与えて絵を描かせ、それを販売して顔料の資金を稼いでいる。インドではまだマイナーなので数多く売れるわけではなく、おもにフランスの団体が大量に買い上げてくれるそうだ。だから、ハザリバーグ画の絵描きたちはごく普通の主婦や女性にすぎず、ミティラー画やゴンド画のように、アーティストとして有名になり、財をなしている人はいない。絵から得られた利潤は村の壁画に使われるだけで、金儲けができるわけではないのだ。

 ある意味で、このような売れ始める前の(今後売れるかどうかはわからないが)壁画を見られるのは珍しいともいえる。なぜなら、インドやヨーロッパで売れはじめてようやく日本にもだんだんと知られるようになってくるのが普通だからだ。ゴンド画やワルリー画は日本で有名とはいえないと思うが、それでも一部の人にはようやく知られるようになってきている。しかし、ハザリバーグ画はたぶん誰も知らないだろう。日本で紹介するのもおそらくこれが初めてのはずだ。

 というわけなので、皆さまにはぜひご覧いただきたいと願っている。収益の一部はサンスクリット美術館の活動に寄贈することにしているので、予算があり、絵を見て気に入ったら買い求めていただければ大変にうれしいが、見るだけなら無料なので、見るだけでも見ていただければと思う。

 2回にわたって行なうトークイベントは、前半がこれまで僕が訪れたインド民俗画の全容について。後半がハザリバーグ画を詳しく画像でご紹介する。2回とも見ると、インド先住民アートの全容がだいたいわかることになっている(もちろんまだ見たことがない知らない民俗画もある)

 そして、一連の展示会に合わせて、これまで撮りためてきた壁画の写真集も製作した。一部にはすでにご購入いただいているが、次の展示会でも販売するので、どうぞよろしくお願いします。遠方で来られない方には、旅行人Webから予約を開始しましたので、こちらからどうぞ。

https://ryokojin.co.jp/product/%e3%80%8e%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88%e3%81%ae%e6%9d%91%e3%81%b8%e3%80%8f/

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写真集『インド先住民アートの村へ』(6月10日発売、税込価格2376円)

 

 このような先住民の壁画は消滅していく趨勢にある。インドでも近代化がどしどし進み、保守派の首相でさえ観光地化推進のために聖地バラナシの古い建物を破壊するありさまだ。このような人々にとって先住民の泥の家など「後進性」の象徴であり、破壊の対象でしかない。現にインド政府は泥の家をやめてレンガの家を作るように多額の補助金を拠出している。これで泥の家はどんどん壊されつつあり、レンガの家には壁画は描かれない。日本人が誰も知らないうちに、こういう壁画が消滅してしまうかもしれないのだ。ハザリバーグ画の残る村々は一種の「奇跡」といっても過言ではないだろう。だから、インドにはまだこのようなアートが残っているのだということを、その目で見ていただければと思う。

 トークイベントのお申し込みはこちらからお願いします。たくさんのご来場をお待ちしています。

 蔵前仁一 インドトークインド先住民アートの村へ4

 イベント日時:2019年5月24日(金)〜26日(日) https://ryokojin.co.jp/2019/04/06/%e8%94%b5%e5%89%8d%e4%bb%81%e4%b8%80-%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%88%e3%83%bc%e3%82%af%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88%e3%81%ae%e6%9d%914/