ジャールカンドへ壁画を探しに

 今回旅したのは、インドのジャールカンド州だ。そういっても、有名な観光地など何一つなく、ガイドブックにもまったく情報がないので、ほとんどの人はどこだかわからないだろうが、インド北部のビハール州から2000年に独立した比較的新しい州である。

 なぜこのジャールカンド州にいったのかというと、アーディバシー(先住民、部族民)の住民比率が高く、Wikiでは28%となっている。地元の人には半分以上がアーディバシーだといわれた)、こういうところは泥の壁に絵を描いているアーディバシーの家があるだろうと考えたからだ。

 もちろんネットでいろいろ探して、ジャールカンドにはどうもおもしろい壁画がありそうだという見当は付いていた。あとはまあ行ってみて探すだけ。巡りあえるかどうかは運次第だ。なんとかなるだろう、とりあえず行ってみよう! と飛行機に乗り込んだわけ。

 日本から北京経由でデリーへ飛び、そこからジャールカンド州の州都ラーンチーへ飛んだ。ラーンチーへ泊まらずに、そのままバスに乗り換えてハザリバーグという街へ。ここには周辺の村の壁画の収集、保全活動をしているプライベート美術館があるのをネットでチェックしてあったので、情報収集のためにまずここへ向かった。

 そうしたら、ここの人がわれわれを車に乗せて周辺の村々を巡ってくれ、何の苦労もなく様々な壁画を見ることができた(もちろん金は払いますけど)。これまでアーディバシーの壁画に出会うには、とにかく壁画がありそうな地域の、ホテルのありそうな都市に宿を取って、それからぼちぼち情報を集め、絵を探しまわるというのが常だったが、他の地域よりも情報の少ないジャールカンドで、あっけないぐらい簡単に壁画に出会えたのは幸運だった。

 村々を巡ってみて驚いたのは、これまで僕が見てきたマディア・プラデーシュ州、チャティースガル州、ラージャスターン州などより、はるかにバラエティに富んでおり、量が多いということだった。

 他の州ではアーディバシーの家の壁画は、だいたい一つの地域に一つのスタイルしかない。例えばラージャスターンのミーナー画にしろ、マディア・プラデーシュ州のゴンド画にしろ、マハーラシュトラ州のワルリー画にしろ、一つに地域ではその名を冠した同一のスタイルで描かれている。これまで僕はそれが当然だと思っていた。だが、ここでは村が異なると、まったく別のスタイルで壁画が描かれているのだ。僕の経験では、このようなことは非常に珍しく、美術館の人も「インドでもここだけだ」といっていた。

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ハザリバーグ周辺の村々の壁画。村によってこんなに絵のスタイルが変わる。

 インドに着いていきなり次々とすばらしい壁画に出会えて、もうこれ以上の壁画を見るのは無理だろうと思ったが、その後、あちこちまわった結果、予感通りハザリバーグ周辺の村々以上のものはジャールカンドで見つけることはできなかった。

 なぜそうなるのかといえば、このような村の壁画は、ただ伝統だからといって描き続けられるとは限らないからだ。このハザリバーグ周辺の村々は、美術館の保全活動によって支えられている。美術館の方が初めて村々に壁画があることを「発見」したのがおよそ20年前。たまたま通りかかった奥地の村でほんの数軒の家に描かれた壁画を「発見」した。それから美術館が村人を援助し、徐々に壁画が復活していったのだという。それらはほとんどすべて海外の援助によってまかなわれている(インド政府はまったく援助しないどころか、壁画が描かれる泥の家そのものを消滅させることに資金をつぎ込んでいる)

 日本人は誰もジャールカンドのことなど知らないけれど(まったく情報がないんだからしょうがないですけど)、こんなにすばらしい壁画あるところは世界でも珍しいと僕は断言しよう。世界遺産になってもおかしくないぐらいだ(が、ならないで欲しい)

 この詳しい話は、どこかでお話しする機会を設けたいと思う。いろいろ準備が必要なので、来春なるべく早くトークイベントや絵の展示を行いたいと思いますので、その節はよろしくお願いします。