前川健一『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』を読む

 小林真樹さんの『食べ歩くインド』の制作・発送がようやく一段落し、長い間手を付けられなかった本の紹介や他の仕事をぼちぼち始めようとしている。ほんとは何もせずにしばらく休みたいところなんだけど、日程上すぐに休んでいられない。

 さて、ひさびさに出た前川健一さんの新刊プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』だ。内容は前川さんのブログ「アジア雑語林」でだいたい読んでいたのでわかっていたが、やはり紙の本にすると落ち着いて読める。
 この本は、前川さんが一か月プラハに滞在して散歩しまくった滞在記である。僕なんかが一か月滞在しても、たいしたことは起きないし、新書を一冊書くようなことはできないが、前川さんの一か月は実に中身が濃い。歩いて、覗いて、しゃべって、また歩くというタフな行動に加え、プラハで見聞きしたことを調べまくっている。元来、調べることが大好きな人なので、この本だけがそうだというわけではないから、それに驚くことはないのだが、例えばこういうことは普通の人はやらないだろう。
 プラハの地下鉄には改札口がない。多くの市民は定期券を持っているし、旅行者は切符を刻印機に差し込んで利用する。だが無賃乗車がいないわけではないので、たまに検札をやっていることがある。めったにないのでこれを見かけたら「希有な体験だと思い、検札ぶりをしばらく観察」するのだ。時間がたっぷりある滞在だとしても、僕にはそれを観察しようという発想さえ起きない。さすが前川さんである。
 他にもある。ある駅に到着したが、あいにく目的の施設が閉館していて、帰りの電車まで時間があった。「偶然生まれた時間を楽しもうと思った」前川さんは駅周辺を歩きまわってから駅に戻る。すると係員がゴミ箱をからにしてバンにゴミを積み込んでいた。なんと前川さんは「どういうゴミが入っていたか、すでに調査済みだ」というではないか。お菓子の空き箱が入っていたそうだ。ゴミ箱の中を調査した経験は僕にはない。
 前川さんの口癖のようなものだが、彼はよく「自分は野球や自動車のことにはまったく興味がないし、知識もない」という。これは字句通り受け取ることはできない。野球はいざ知らず、自動車についてはこの本でもチェコの自動車シュコダについて詳しく調べて書いている。こういうと、彼は自動車自体に興味があるんじゃなくて産業として興味があるというんだけど、ある写真のキャプションには次のように書いてある。


「会計のとき、男はズボンのポケットからむき出しの札束を取り出し、ゆっくり見せびらかしてから、支払った。フェラーリのような、品のない車が似合いそうな男だった」


 フェラーリに品があるのかないのかはさておき、それなりに興味を持っているからこそこういうフレーズが出てくるのだろう。
 この本には、チェコの基本的な情報や、鉄道、食文化、建築などについて、プラハ散歩の参考になる話が書かれている。前川さんの得意なプラハ雑学滞在記だ。いつものことだが、前川さんがプラハについて調べるのに読むべき本もずらりと示しているので、プラハ旅行をお考えの方が最初に読むにはうってつけだろう。

(そうそう、前川さんの本の読者ならとっくに承知のことだから書き忘れましたが、この本には観光客がよく行く観光名所はほとんど出てきません(ちょっとだけ出てくる)。例によって郊外の団地とか個人住宅を見物に行ってます。普通の観光ガイドに役に立つとはお思いになりませんように。)


 最後に笑ったのが、次の一文。


バンコクのように、24時間いつもどこからでも、エンジン音が鳴り響いている街には、もううんざりしている。しかし、アジアの雑然とした街には、うまいものがいくらでもある。それが、旅行先選びの大問題だ」


 バンコクの好奇心』などの名著を出した前川さんでさえバンコクにはうんざりしているのかと思うと思わず笑った。もちろんそれは僕もよくわかる。インド好きな僕だって、空気が悪くてビービーうるさいデリーにはうんざりしている。僕はそれで田舎へ行くけど、前川さんは人のいない田舎へは行きたくないんだそうだ。散歩するのがつまらないから。自然の美しい景色なんか5分で飽きる。人の営みがおもしろいとよく彼は言う。そういう人の書いた街歩きの本です。

 

プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように (わたしの旅ブックス)

プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように (わたしの旅ブックス)

  • 作者:前川 健一
  • 発売日: 2020/06/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

バンコクの好奇心

バンコクの好奇心