ミティラー美術館

 猛暑が続く日本だが、台風10号はようやく低気圧に変わった。先日は、新潟、福井の豪雨で現地では大変な被害を被ったが、その新潟へクルマで行ってきた。被災地よりずいぶん南だったので、豪雨のあとは感じられなかった。

 新潟県に足を踏み入れたのは、これが初めてだった。関越自動車道に乗ってしまえばすぐなのはわかっているが、それだとせっかくの旅がもったいない。それで埼玉を抜けるまでは関越を使い、高崎で降りて、新潟までは下の国道を走った。

 目的地は群馬県から新潟県に入ってすぐのところにある。付近までたどりついて、例によってまたキャンプ場でテントを張って宿泊した。夏休みに入った最初の週末だったせいか、キャンプ場は珍しく客が多く、「勝手にキャンプ大会」以外で、にぎやかなキャンプ場というのを初めて体験した。キャンプは一時のブームが過ぎ、かなり下火になってきたと聞いていたが、さすがに夏休みは子どもとアウトドアを楽しむのが安上がりなんだろう。

 新潟での目的地は「ミティラー美術館」というところである。「ミティラー」というのはインドの民俗画の一つだ(次号の本誌で特集する予定)。北インドのビハール州からネパールにかけての地域にミティラー地方というところがあり、その地域の住民が壁や床に描いていた絵がそもそもの「ミティラー画」である。その専門の美術館が、何と日本の新潟県にあるのだ。いったい、なんでそんなものが新潟にあるのか。

 それについてのレポートは次号で書くつもりだが、このミティラー美術館の館長さんは、長谷川時夫さんという。この名前を見て「え?」と思う人は、相当の音楽通である。そう、この人は、1970年代、前衛音楽集団として伝説的な存在となった「タージマハール旅行団」の一員だった人なのである。

 で、美術館で長谷川さんにお会いして、ミティラー画についていろいろ教わるつもりだったのに、まずこのタージマハール旅行団で話が盛り上がってしまい、延々と5時間もその周辺の話を聞いた。おもしろかったけど、話した本人も話し疲れたといっていた。すいませんでした。

 本誌の書評で前川健一さんが『つい昨日のインド』(木犀舎)を取り上げたが、この本に登場してくる人々は1970年代の日本とインドをつなぐ旅行者やインド・フリークだが、この本には登場しないものの、長谷川時夫さんもまたこの時代から前衛音楽を通してインドと関わった人であった。彼は今でもインドの古典舞踊や芸術を日本に紹介する活動を行っている。

 ミティラー美術館は、廃校になった山間の小学校を借り受けて美術館にしたものだ。だから建物は古い木造で、雨漏りがするという。ここにインドから舞踊公演や絵を描きに、数人のインド人が滞在していた。ヒンディー語や英語が飛び交う新潟の山間の小学校というのは、実に奇妙ではあるが、あまり違和感がない気がしたのは、インド人たちが楽しそうにしていたからかもしれない。

ミティラー美術館
http://www.bekkoame.ne.jp/~mithila/