僕の高校時代──1971〜1975(3)教師たち

 それだけ勉強に励んだにもかかわらず、テストの席次はいっこうに上がらなかった。
 何故席次が上がらないのかはすぐに理解できた。つまり全員が同じように勉強したからである。正確に書くと、僕のように勉強しなくても、僕より頭のいい生徒が大勢いたし、そういう生徒がきちんと勉強すると、僕のような劣等生がかなうわけがないのであった。
 同じクラスに伊藤という男がいた。常にトップクラスの成績を保っている優秀な生徒だった。初めてクラスの全員が自己紹介をしたとき、彼は自分の趣味を「勉強することです」とのたまった。クラス中がどよめき、笑いが漏れたが、しかし、それは冗談ではなかった。学校のすぐそばに下宿していた彼の部屋は、クラスの窓からも見えたが、彼が「必勝」と書いた鉢巻きをして勉学にいそしんでいる姿をよく見かけた。まったく、頭がいい上に趣味で勉強されたのではかなうわけがない。そいつは3年後東大へ行った。
 ガリ勉してよい成績を残すタイプは、ある意味でたいして驚きもしない。かなわないと思うのは、常に成績を全校ベストスリーに保ちながら、部活動もし、生徒会長もこなし、なおかつ休み時間には僕のような劣等生の質問に親切丁寧に教えてくれる亀山君のようなお方であった(この人だけ敬意を表して君付けだ)。世の中には本当に頭のいい人間がいるものだと彼を見て思った。頭がいいだけでなく人格者であり、気取ったところもなく、まるで「タッチ」に出てくる上杉弟のような人だった。彼は九州大学の医学部にいったという話を聞いたが、彼のような人が医療現場を支えるようなら、日本もまだまだ安心である。
 わが高校の教師たちは、その働きぶりにおいて極めて熱心かつ情熱的であった。どの教師も、質問があったらいつでも職員室へ来なさいと常にいい続け、昼休みなどに質問を抱えて行くと、大喜びして、食事もそっちのけで教えてくれるのであった。放課後に居残ることもまったくいとわない様子で、質問に行かないと、なんで質問に来ないんだと不満を漏らすのである。
 生徒である僕はテストが多いのに疲れ、不満だったが、本当は教師のほうがもっと大変だっただろう。ひっきりなしにテストの採点に追われ、成績の整理に追われ、授業の予習に追われ、はたまた生徒の質問にも応じなければならないのだから、あんなによく働く教師というのは、それまでお目にかかったことがなかった。
 鹿児島県有数の進学校であったわが高校は、県下から選りすぐりの教師が集められているというウワサがあった。そんなことが可能なのか、真偽のほどは不明だが、確かにそう信じられるほど経験豊かで熱心な教師が多かった。しかし、生徒の指導に業績が残せないと(つまり担任クラスの生徒が国立大学に現役で合格しないと)、他の高校に転任させられるというウワサもあった。ノイローゼで辞めていく教師もあったという。生徒のほうにもノイローゼになってやめる者もいたらしいが、どっちの立場になってもきびしい高校だったわけだ。
 1年のときの僕のクラスの担任も、熱心さでは他の教師に決して負けなかった。成績は上がらなくても、僕が毎日きちんといわれたことをやってくるのを見ていて、わざわざ下宿までやってきて励ましてくれるのである。そして、部屋の壁にはってある蒸気機関車のポスターを見て、英単語表に貼り替えるようにアドバイスをくれ、ごみ箱を覗いて、チョコレートの空き箱ではなく計算用紙のクズでいつぱいになるように祈ってくれた。情熱的なのも、ここまでくると偏執的である。
 今でもよく覚えているのが物理の老教師である。僕は物理はまったく不得手で、テストの点数はほとんど50点を超えたことはなかった。それで教師の授業もほとんど理解できなかった。
 その教師は60歳をとっくに超え、がらがらの声で、いっていることがよくわからないという欠点があった。しかも、恐ろしく短気だった。
「君たちはお湯を冷ますのに手を突っ込んでかきまわすだろう。そういうことは物理がわかっていないバカがやることだ。お湯をかきまわすとだな、水の運動量が上がって水温は上がるんだ。わかったか」
 その乱暴な言い方におもわず生徒が苦笑すると、
「何がおかしい!」と怒り出す始末。
 そして、水に突っ込んで濡れた手を、カーテンで拭いた。生徒は大爆笑。すると、「おかしくもないことで笑うのはバカだ!」と、さらに怒り出すのである。
 先生、それを笑わなかったらかえっておかしいでしょ。
 3年のとき、風邪を引いて熱が出て寝込んだことがあった。学校を休むむね電話すると、しばらくして担任の教師から下宿に電話がかかってきた。その3年の担任はきびしいことで有名だったので、ゆっくり休めなどとやさしいことをいうような教師でないことは承知していた。また怒られるのかと思って電話に出ると、不機嫌そうな教師の声が聞こえてきた。
「熱があるだと? 下宿なんかで寝てたって治らないぞ。学校に来て保健室で休め」
 ええ? 何をいってるんだ、この男は。
 熱で頭痛がするのに、ますます頭が痛くなってきた。
 僕はがちゃんと電話を切り、部屋に戻って布団に潜り込んだ。本当に頭が痛かったのだ。
 すると、また教師から電話がかかってきた。
「俺が電話を切る前に電話を切るとは何事だ! さっさと学校に来い!」
 がちゃん!
 しょうがない。冷たい風が吹き付けるなか、僕はのろのろと学校へ歩いていった。