僕の高校時代──1971〜1975(4)下宿

 僕の田舎は鹿児島市から車でおよそ1時間半の山間部にある(現在の霧島市)。中学3年の1学期までは地元の学校に通っていたが、そのままだと鹿児島市にある高校へ進学することはできないので、2学期になってから鹿児島市内の中学校へ転校した。いわゆる越境入学組である。
 高校に入学すると、田舎の自宅から通学することは不可能なので、賄い付きの家に間借りして下宿することになった。こういう生徒はかなりの数に上るので、いわゆる下宿屋は市内にたくさんあった。
 下宿生活は、先に兄が体験していた。兄が初めて下宿から帰省したとき、僕にこういった。
「下宿するとすごいよ。なんと晩ご飯におかずが3品も4品も付くんだ」
 僕はそれに驚いた。なにしろ当時のうちの夕食ときたら、おかずはつねに従食(従業員の食事)と同じ1品のみで、おおむね野菜の煮物。それ以外はみそ汁と漬け物しかないのが普通だった。鹿児島市の一般家庭では毎日豪勢な食事が出るという。下宿するときそれがものすごく楽しみだった。
 そして初めての夕食を迎えると、兄のいう通りだった。詳しいメニューは忘れてしまったが、みそ汁の他に3品は並べられていて、その豪華さに胸がときめいた。
 しかし、他の下宿生はまったくちがう感想を抱いていた。みそ汁がまずい、おかずが貧相とさんざんないいようなのだ。うーん、そんなもんかねえ。よその家庭料理ってそんなに豪華なものだったの?
 僕は高校3年間で、下宿を3回変わった。最初の下宿は6畳間をベニヤ板で仕切っただけの縦長の3畳。机と本棚を置くとふとんを敷くスペースもなくなるので、押し入れで寝た。次も3畳だがきちんとした個室。3軒目でようやく4畳半の個室までランクアップし、ベッドを置いた。一般家庭の部屋を間借りするというスタイルなので、普通は部屋に風呂はもちろんトイレも洗面所も付いていない。風呂は銭湯へ行くのが普通だった(内湯の場合もあった)。
 初めて他人の家で、他人とともに寝起きするという生活を体験したわけだが、これはなかなかおもしろいものだった。最初に下宿したところには、同じ高校の新入生が3人、先輩が2人、そして他校の先輩が1人、合計6人が下宿していたが、当然真っ先になかよくなるのが新入生同士である。僕はクラスの中ではこれといって親密な友人はできなかったが、それは文字通り寝食を共にする下宿仲間がいたせいかもしれない。
 最初の下宿のときは、高校へ入学したばかりだったので、新入生たちは3人とも猛烈に勉強した。深夜3時4時まで灯りが消えることはなく、隣りの部屋の灯りが消えるまでは勉強するという意地の張り合いだった。
 テストの前になると、下宿は壮絶な受験体制に突入する。テスト前から終了までのほぼ10日間は徹夜での勉強が続くのである。といっても、10日間まったく眠らないわけにはいかないから、1、2時間の仮眠をとりながら勉強を続けるのだ。
 普段から慢性的な睡眠不足なので、ふとんの中に入ってしまったら1時間で起きることなど不可能である。そこで、新入生同士が、ときには先輩もまじって、順番に仮眠を取り、起きている者がたたき起こしにいくことにした。同学年なら遠慮なくふとんをひっぺがせるが、先輩となるとそうもいかない。気を付けて起こさないと、寝ぼけて「うるさい!」と怒鳴られることもあった。
 下宿仲間の中で、特に気の合った田辺という男がいた。宮崎からやってきた奴で、入学試験の成績はトップクラス。なんと50番だったという。担任の教師からも期待された逸材だった。
 しかし、優等生の割には性格がスキだらけで、激しい競争を生き抜くには純情すぎる人間であった。こちらが一行も解くことのできない数学の難問をすらすらと解き、謎だらけの化学式をさらりと解説する優秀な頭脳を持ちながら、いつの間にか横道へはずれていってしまうのである。
 あるテストの直前に、例によって仮眠していた僕を、田辺が起こしてくれた。ぼ〜っとしながら起きあがった僕に、田辺がにこにこしながらいう。
「あのさ、俳句ができたんだけど、聞いてくれる?」
「俳句? 何をいってんの、おまえ」
「まあまあいいから。いいかい」
 『こおろぎが 鳴く音ばかり 今は2時なり』
「どう?」
「……どうっていわれてもなあ」
「これはどう? 『腹減って時計を見る今は3時なり』」
「おまえ、夜中に時計ばっかり見て何やってんの?」
「いい俳句が浮かんだと思ったんだけどなあ」
 これが上位50番の成績を誇る頭脳が作り出す俳句か?
 田辺の時間シリーズ俳句は1時間ごとにいくつもあったが、どれも笑わせてくれる秀逸な句ばかりであった。
 また、あるテストの夜、田辺の部屋を訪ねていくと、彼がうれしそうな顔をしていうのだった。
「すごいことを発見したぞ」
「なんだよ」
「これこれ」
 そういって田辺が見せてくれたのは、スプレー式の殺虫剤だった。
「これをな、ゴキブリに吹き付けるだけじゃおもしろくないけどさ、こうやるとすごいんだよ」
 そういうと、ノズルの少し先でライターの火を点け、そこへ殺虫剤を噴射した。すると火炎放射器のような炎が飛び出した。
「これでゴキブリを焼き殺すんよ。ほら」
 部屋の片隅には、彼の火炎放射器によって焼き殺されたゴキブリの死体がころがっており、ついでに壁も黒く焼けこげていた。
 高校に入った当時トップクラスだった彼の成績は、多少の上下こそあれ次第に落ちていき、3年になると僕とたいして変わらなくなっていた。本人がそれをどういうふうに考えていたのか僕にはわからないが、傍目にはたいして気に病んでいるようには見えなかった。それよりも、彼は常に女の子に片思いを寄せており、そのどれもが成就しないことにより悩んでいるように思われた。結局、田辺は大学入試にも失敗し、2浪の末ようやくある大学に入学した。