『あの日、僕は旅に出た』もうひとつのあとがき

 幻冬舎から私の新刊が7月13日に出ることが決まった。タイトルは『あの日、僕は旅に出た』。タイトルは紆余曲折あって、最終的に妻の小川京子が考えたものになった。自著でタイトルにこれほど悩んだことはなかった。候補だけで30本ぐらいはあっただろうか。いや、数だけあったって、あげただけで初めからダメタイトルとわかっていたから、30本という数字にほとんど意味はない。最終的には3〜4本に絞られて、そこから2転3転し、ようやく決まったのだ。

 この本は、私が初めてインドに行ってから、旅行人を創刊し、そして休刊するまでのおよそ30年を書き記したものだ(その中には小学生のころや大学生のころの話も織り混じる)。幻冬舎の編集者から、私のこれまでの旅の人生を書かないかというお話をいただいたとき、当初はあまり乗り気ではなかった。これまでの旅はもう書いてしまったし、同じ話をもう一度書くのは、これまで読んで下さった読者を失望させるだろうし、僕も書く気にはなれなかった。

 編集者はこういった。これまでの旅について自分の感じたこと、感動したことを書いて欲しい。
 私はこれまで、できるだけ現地で見たことや経験したことを書くことに努めてきた。もちろんその中には自分の驚きや感動も含まれるが、自分の気持ちを中心に書いたつもりはなかった。それをあえてやろうと編集者は提案したのだ。ずいぶん迷ったが、挑戦してみようと考え直した。

 しかし、そうはいっても、結局それは私の半生記になる。そんなものを誰が読みたいと思うだろう。編集者はもちろん読みたい人はいるという(だから話を持ってきたのだ)。私は半信半疑だった(今でも半信半疑だ)。それでもとにかく書いてみることにした。

 私は、一応モノカキだが、何か訴えたいことや主張したいことがあるわけではない。そのようなために本を書いているのではない。読者に楽しんで欲しい。私の願いはただそれだけだ。もちろん私がこれまで旅行記を書いてきたのは、旅がおもしろかったからであり、そのおもしろさをお伝えしたかったからだ。だから、今度は自分の半生を材料に、読者に楽しんでいただけるような読み物を書こうと考えた。それが可能かどうか、とにかく書いてみないとはじまらない。

 迷いの多いスタートだったので、最初の一行を書き始めるのに1週間かかった。こんなことは初めてのことだ。初稿を書き終えて小川京子や相田さんに見せると、かなりのダメ出しが出て書き足したり削ったりし、それから編集者に見せるとまたダメが出る。書き足したり削ったりを繰り返しながらようやく半年かけて原稿は完成した。

 そういうわけなので、この本には、これまで書いた私の旅がまた出てくる。なるべく重複は避けるようにしたが、やむをえず重なってしまう部分もある。1年半もいたアフリカは、『ゴーゴー・アフリカ』上下巻という2冊の本になったが、ここではわずか5〜6ページだ。

 「旅行人」の前身「遊星通信」を創刊し、出版社旅行人を設立し、ガイドブックや単行本の制作に追われる日々を、初めて通して書いてみた。かなりあからさまに実態を書いたので、それを読者がどのようにお読み下さるかが楽しみでもあり、不安でもある。こういう本を旅行人からは出しにくい。外部の目が入っていないと、自社の事情は書きにくいものだ。だから、幻冬舎からそのチャンスを与えられたことは得難いことだった。

 というわけで、7月13日発売。1500円+税。よろしくお願いします。