仕事の相性


 これまでも書いたことだが、私はいろいろなことをやっている。出版社の経営および営業、グラフィックデザイン、取材、イラスト・写真、執筆、編集などだ。自慢したくて書いているのではないが、こういう諸々の仕事は同時にできるものなのか、何と何がやりにくいのかと、ある方に(当欄のネタとして)質問されたので、お答えしたい。


 まず、自他共に認めるのが会社の経営の無能さである。これはもうほとんど何もやっていないといっても過言ではない。だいたい会社を経営するとはどういうことなのかも、今もってわかっていない。会社は勝手に回っており、経営に関しては私は何もやっていない。強いていえば、税理士が持ってくる納税用の書類に署名捺印しているぐらいである。もちろん責任は存在するのだが。


 他の仕事で私が最も好きなのはグラフィックデザインだ。雑誌のレイアウトや単行本の装幀などである。書店用のチラシ、ポスター、ポップなどを作る仕事もなかなか楽しい。めんどくさいのが編集の仕事で、他人の書いた文章を何度も読んでは間違いを探したり、誤字を直したり、文章を手直ししたりするのは、やっていておもしろい作業ではない。これをずっとやっていると、頭の中がその人の文章でいっぱいになり、自分の文章が書けなくなってくる。特に宮田珠己さんの本を作っているときなどは、つい自分の文体までタマキング調になって困ってしまったことがある。


 編集の仕事でおもしろいのは、おもしろそうで売れそうな企画を考えついたときである。これは絶対おもしろいし、売れるぞ。よし、作ろう! と、興奮するのはここまで。あとはそれを実現するためにひたすら地道な作業が続く。著者の手配と執筆依頼、予算の見積、レイアウト・デザイン、素読み、校閲・校正と続き、初校、再校までくるころには見るのも嫌になってきて、初めの興奮はおさまって、本当に売れるのか不安のほうが大きくなってくる。


 誤解されそうなので、書き加えるが、執筆者に原稿を依頼し、その原稿があがったきたときに素読みするのは、編集者にとっては一種の特権でもあり、これは楽しい。素読みの段階では、とりあえず誤字脱字もあまり気にせず、どういうふうに書き上がっているかを知るために読むわけだから、一人の読者の立場に近い。まだ誰も読んでいない原稿をいちばんに読めるのだから、これはたいへん楽しい仕事なのである。


 ただ、こういう作業ばかり続けていると、自分の本はまったくつくれない。私がまだ本格的に「旅行人」を作り出す前に、自著の『ゴーゴー・インド』や『旅で眠りたい』などを書き下ろしたが、本を一冊書くのはかなりのエネルギーと長い期間にわたっての集中力が必要になる。300枚から400枚の原稿を書くには、コンピューターの前でぼーっとして何もしていないようにしかみえない時間を延々とすごし、食事の時も、風呂に入っているときも、頭のどこかでつねに何をどう書くかを考え続けているものだ。それが本を執筆するという作業なのだが、雑誌や他の人の単行本を制作しながら自分の本も書くというのは不可能である、ということが10年やってわかった結論である。とてもじゃないが無理だった。


 しかし、本の執筆とグラフィックデザインの同時進行は可能である。むしろデザインしながら文章を書く方がやりやすいかもしれない。これはあくまで私の場合はということだが、紀行書は地図、写真、あるいは図解・イラストなどが付随する。つねに写真やイラストで紹介することを念頭に置きながら文章を書くことになるので、レイアウトしながら文章を書いていることもあるぐらいだ。最後の装幀は単行本の華であり、これだけは是が非でも自分でやりたい仕事でもある。


 それでも、全編書き下ろしは無理だったものの、月刊時代も何冊かの単行本は出してきた。こういうのはほとんど限界すれすれのところでようやくこなしてきたもので、今はもうとてもできない。月刊時代は、次の号の仕事に追われながら、次の次の号と、そのまた次の号の企画の仕入れも頭に置きつつ、同時にガイドブックや単行本の制作も行っていた。頭がごちゃごちゃにこんがらがっておかしくなりそうだった。編集者は編集だけを、モノカキは文章だけを書いているべきだと何度も思いました。


 などといいながら、今でもあれこれやっているわけだが、これもまあ密度の違いで、現在は今目の前にある仕事にだけ集中していればよいので、非常に楽である。他の本の企画もやりながら自分の文章も書くなんてことはあまりない(少しはあるが)。ようやく現実的に自分の本を作ろうかなという気分になってきた今日この頃である。いまさらではありますが。