受験シーズン(下)


 このお題は今回で最後です。いよいよ大学受験へと向かう私であったが、さて、どの大学を受けるかが問題だ。普通、志望校というのは受験生自身の意思が尊重されるべきものだが、我が家では教育パパの父親がすべてを決定した。私にどこの大学に行きたいかなどと聞かれたことは一度もない。私はほとんど読んだことはなかったが、父は自分が読むために「蛍雪時代」を定期購読していたほど受験については熱中していた。


 話はちょっと横道にそれるが、私の父は普通の教育パパとは少し違っていた。大学に対する執着が異常なほど強かったのだ。それは息子の大学受験に対してもそうだったし、自分が卒業した母校に対しても強く関わりを持ちたがっていた。自分が卒業した母校のOB団体に所属することはもちろん、OB理事にも就任し、上京するたびに母校キャンパスを訪問していた。


 私が子どもの頃は、毎日のように旧制高校の校歌や寮歌を聴かされていたので、私は私の年代にしては珍しく一高寮歌(「ああ、玉杯に花うけて」という歌ですね)だの、北大寮歌(「都ぞ弥生の雲紫に」という歌だ)なんてのを口ずさむことができるのである。父にとって大学時代というのはよほどすばらしかったのであろう。そのために、大学に関する知識は私よりよほど深く、当然私が行くべき学校も父が決定した。


 それが私の学力に見合っていれば私もそれほど異存はないのだが、高校受験の時もそうだったように、現実より理想を追うタイプなので、受ける方の身にもなってくれと私は言いたかったが、もちろん言うだけ無駄なのはわかっていた。おもに父の希望で私立大学としては偏差値が最も高い早稲田、慶応だけを受験した。もちろん高校の教師は無理だといって反対したが、父は一顧だにしなかった。そしてすべて落ちた。


 たぶんダメだろうと思っていたが、全部落ちてしまうとつらくて、私は東京の宿泊先でおいおい泣いた。情けない話だ。落ちたのがつらかったというよりも、また1年受験勉強しなければならないのがつらかったのだ。しかも、父の管理下で受験勉強するのかと思うと、想像するだけでおそろしかった。田舎に帰るのをやめて東京で就職しようかと思ったほどだ。


 それを救ってくれたのが兄だった。私には四歳上の兄がいるが、父の教育癖に私より先に悩まされていた。兄の場合は私立だけでなく受験科目も多い国立大学まで受験させられ、そのうえ東大か九大か、兄ではなく父が迷ったせいで、受験勉強にずいぶんと支障をきたしたようだ。したがって、これ以上、父の野望につきあっているととんでもないことになることを兄は承知していて、僕が浪人するのは鹿児島ではなく東京の方がいいと父を説得してくれたのだ。おかげで僕はようやく父の管理から脱却することができた。


 今考えると、父の管理下から脱したことは人生の最初の転換点だった。両親から高額の仕送りをしてもらったのに、こんなことを書くのは申し訳ないと思うが、父の目がなくなって僕はようやく解放された気がしたのだ。そんな気分になったのは人生で初めてのことだった。解放感でいっぱいになり、僕は東京ライフを満喫した。満喫しすぎて勉強するのをすっかり忘れてしまったぐらいである。


 はっと気がつくと、すでに11月になっていた。ここまで僕はまったく受験勉強をやっていなかった。予備校も全部さぼった。さて、あと3カ月しかない。さすがに勉強しないとまずい、ってんで、それからは本気で必死になってやった。今度合格しないと、また1年受験勉強だ。それだけは避けなければならない。


 しかし、たった3カ月しかないのに、いくら必死でやっても普通にやっても追いつかないだろう。そこで僕は慶応の法学部政治学科(当時は早慶では最も難易度が低かった)の一本に絞り、「傾向と対策」を徹底的に行い、それ用の勉強を寝ても覚めてもやった。このときばかりは1日15時間から18時間ぐらいやった。結果的に言えば、私はかろうじてこの第1志望に補欠合格した。滑り止めのはずだったR大学も落ち、早稲田も全部落ちたが、一つ受かれば十分である。


 そうやってあとでふりかえると、教師も私も無理だと考えていたのが、結局のところ父の思惑通りになってしまったのだった。父よ、あなたは正しかった。だが、私は本当に苦労した。その父も、息子どもをさんざん困らせて10年前に他界した。


 このとき以来、受験はもう二度とごめんだ、人にテストされるのもまっぴらだと思うようになり、それからの人生では、避けられるテストを極力避けて生きてきた。おかげで自動車の免許でさえ40代半ばになるまで取得しなかったほどである。ろくに就職試験を受けなかったのも、このときのトラウマのせいかもしれない。


 余談であるが、私が学生の頃、T高校は九州大学への合格率が非常に高い高校として知られていた。だが、九州大学でT高校の評判はあまりよくなかったという。なぜなら、T高校から九州大学に入学した学生は、異常に落第率が高かったのだという。きびしい高校生活から解放されたT高校生は大学に入るとぜんぜん勉強しなくなっちゃうんですね。だからぼろぼろと落第した。もちろん僕もぜんぜん勉強しないアホ学生でした。