中沢新一先生の妄想『アースダイバー』

 友人から「おもしろいよ」といわれて、これまでまったく読んだことのなかった中沢新一の本を読んだ。『アースダイバー』(講談社/1800円)という本である。これが実によく売れているらしく、僕が買った本も、14刷になっている。さらに、この本は桑原武夫賞という賞も受賞し、中沢新一自身、過去、小林秀雄賞、サントリー学芸賞読売文学賞伊藤整文学賞斎藤緑雨賞などなど様々な賞を授けられ、思想家、人類学者として名高いことは読者もよくご存知のことであろう。

 そういうアカデミックというか、名高い学者の本であるという先入観でこの本を読んだ僕は、あぜんとなった。開いた口がふさがらないとでもいえばいいか。僕が読む限り、この本に書いてあることは、ほとんど中沢新一先生の妄想に近い。一種のトンデモ本ともいえる。

 僕がこういうことを言っても、おそらく信じていただけないだろうし、僕自身も信じられないほどの気持ちなのだが、しかし、書いてあることが書いてあることだから、そう言うしかない。その根拠を具体的に挙げれば、あるいは同感していただけるかもしれない。

 その具体例は、この本には山ほどあるというか、ほとんど最初から最後までそうなんだが、まずこの本は、縄文時代の地図を元に、縄文の東京と現在の東京を比較して、現在の東京を歩いてみるという趣向になっている。江戸時代の古地図を元に現在をたどるという本はいくつか出されているが、それを縄文時代までさかのぼってみたというわけである。

では、いよいよ問題の記述だ。
「(半島や岬は)古代人の感覚では、死の領域への入口にほかならなかった。そのために、そういう場所には、死の領域へのアンテナの働きをする、墓地や聖地が設けられた。(中略)権力を手に入れた人たちは、生きている者たちのつくるふつうの世界から超越していなければならない、と感じるものである。そのためにどうしても、生をこえた領域である死に触れていくことになる。(中略)メディアの権力もそうである。(中略)こうしてメディア権力の象徴たるテレビ塔は、(そういった墓地や聖地に)そろいもそろって建てられてきたのだった」

 省略が多いのでわかりづらいかもしれないが、要するにテレビ塔は墓地や聖地だった場所を選んで建てられており、それはメディア権力が「ふつうの世界から超越する」ためだという趣旨なのだ。
 そして、東京タワーこそ、「天と地のあいだにかけられた鉄の橋」であり、「そこにこめられた神話的思考の豊かさにおいて、まさに世界の水準を超えるものだった」らしい。だから「モスラ芝公園に呼び寄せたのだ」(笑)。「この鉄塔にはエッフェル塔にはない、神話の磁力がひそんでいる」

 これが妄想でなくて何なのだ。東京タワーが神話的思想で建てられたなんていう話は、普通の常識では語れない。普通の人は、東京タワーは経済理論と科学技術によって建てられたと考えるだろう。しかし、中沢は電波塔が建てられる場所は、「古くから古墳や埋葬地として知られるところ」「すべからくそのような場所でなければならない。無意識がそう命じたのであろう」という。なぜなら「地下界にあると考えられた死霊の王国に向かって突き出されたアンテナとしての橋」だからだと。これって「電波系」?

 常識的に考えれば、世界中に無数に建てられている電波塔は、受信者が受信しやすい場所に優先的に建てるものだろう。携帯電話の電波塔なんかは聖地やら墓地だけ選んでいたら建てるに建てられない。言うのもばかばかしいほど当たり前の話だと僕は思うんだが。

 たったひとつ例証を挙げただけでこんなに長くなってしまったが、中沢新一さんという人はちょっと変わっている。なにしろ、その東京タワーのエレベーターに乗るたびに「死霊の風に巻き上げられて上昇」すると感じ、足下で地下鉄の振動を感じるたびに、「東京が性的な快感に震えているように思」い、「女たちの太股に地下の秘め事の余韻を伝えていく」などと感じるらしく、さすがに「そんなばかげたことを考えているのは、たぶんぼく一人なのだろう」と自覚している。もちろん感じるのは勝手だが、事実として検証されるようなものではない。

 そういうわけで、この本を、おもしろいといった友人に、なんだこれはというと、彼は言った。
中沢新一って、もともとそういう人なんだよ」
 ああ、そうですか。失礼しました。これが学者の本なのかい。まったくもう。