永嶋慎二さんのこと

 ようやく次号の制作が終了。次の特集は「シベリア鉄道」だ。ウラジオストクからモスクワまでの全線を、ハバロフスクイルクーツクと立ち寄りながら紹介していく。ご期待下さい。

 ロシアからの帰りにロンドンに立ち寄った。キングスクロス駅近くのB&Bに宿泊したが、テロ事件でキングスクロス駅がテレビの画面に頻繁に登場してくるのを見ると、なんともいえない気分。

 6月に入ってから季節の変わり目のせいか訃報が相次いで舞い込んできた。以前『旅行人ノート・アフリカ』で映画や音楽のことをお書きいただいた白石顕二さんが亡くなった。

 続いて、漫画家の永嶋慎二さんの訃報。身体の調子が悪いことは漏れ伝わっていたが、新聞のコラムに永嶋さんのことが書かれたばかりだったので、もしかしたらよくなったのかと思っていたら、いきなりの訃報で驚いた。

 永嶋慎二さんの最大のヒット作は「柔道一直線」(梶原一騎原作)で、桜木健一吉沢京子主演でテレビドラマにもなった。だが、「柔道一直線」の永嶋慎二、と書かれると、往年の永嶋ファンとしては強い違和感を覚える。「柔道一直線」はヒット作ではあるが代表作ではない。

 例えば、手塚治虫が日本の漫画を形作り、作風が多くの漫画家に影響を与えたように、あるいは近年では大友克洋が、これまた多くの漫画家に多大な影響を及ぼして、一時期多くの漫画家およびその予備軍が「大友克洋風」の絵柄になったように、実は永嶋慎二の絵も、当時多くの漫画家およびその予備軍に多大な影響を及ぼした。それは「永嶋慎二病」とも呼ばれたものだ。永嶋慎二風の漫画を描くことは、漫画家志望なら誰でも一度はかかる麻疹のようなものだった。

 それほど永嶋慎二の存在は大きかったにもかかわらず、いわゆる「巨匠」ではなかった。巨匠になる前に、彼は描かなくなってしまったのだ。新聞の村上知彦さんの文章によれば、ニューヨークに逃げてしまったらしい。描けない、ということを最初に描いた漫画家でもあった。

 親しい人からは「ダンさん」と呼ばれ、飄々と人生を送っているように、こちらからは見えた。5年ぐらい前、一度だけ阿佐ヶ谷でお会いし、少しだけ言葉を交わしたことがある。そのとき僕はもう永嶋さんの漫画を読んでいなかったので、残念ながら話は弾まなかったが、僕にすれば、永嶋さんが元気でやってるということだけでもうれしかった。最後までよいファンでなかったことをお詫びしつつ、心からご冥福をお祈りしたい