さよなら、イトヒロ

 昨日、次号の本誌を入稿した。次号の特集はルーマニアである。12月1日発売ですので、よろしくお願いします。それから、次号では「旅行人」創刊20周年記念特集もあわせて掲載した。岡崎大五、宮田珠己、田中真知各氏に、「旅行人との20年」というテーマでエッセイをお書きいただき、グレゴリ青山、さいとう夫婦両氏にも、同じテーマで1ページ漫画を描いていただいた。さらに、私が「出版社・旅行人ができるまで」というエッセイを書き、前川健一さんには、この20年の個人旅行の変遷を書いていただいた。初めの予定より大がかりな特集になった。

 20年前の創刊は、僕と小川京子の一種の遊びだった。コンピューターを買ったので、それで何かやってみたいと思い、同人誌でもつくってみるかと、かなり軽い気持ちで作ったのだ。それがどんどんひろがっていき、自分一人ではやりきれないようになると、友人たちが記事の執筆や発送作業など、いろいろなことを手伝ってくれるようになった。

 「遊星通信」(「旅行人の前身」)は創刊当初から冗談半分に月刊を謳っていたので、本当に月刊で出すとなると、私が旅行に出ることはできなくなる。最初は、旅先で手書きでつくって、それをコピーして読者に送ったこともあったが、そんなことを毎月やるわけにはいかない。だから、旅先から原稿を送る約束で、制作を友人たちに託して長い旅に出た。

 そのときのメンバーは、『地球の歩き方』をやっていた伊藤伸平さん、学生で、のちに同じく『歩き方』をやるようになる水野純、『別冊宝島』の編集者だった西川潤さん、コピーライターの向山昌子さん、そしてイラストレーターのイトヒロこと伊藤博幸さんだった。水野以外は全員がほぼ同じ年代だったから、そのころ30代初めだったのだ。あれから20年がたち、こうやって創刊20周年記念の特集を出そうというときに、イトヒロの訃報が舞い込んできた。

 人の死の知らせはいつも突然だが、イトヒロはここ4、5年というもの、難病といわれる脳性グリオーマと闘っていた。絶望的に復帰の難しい闘病生活にも、イトヒロはつねにおだやかで、見舞いに訪れるわれわれと淡々と世間話につきあってくれた。イトヒロは本誌の創刊当時を支えてくれたばかりでなく、「旅行人」になってからも「月刊イトヒロ」を本誌に連載してくれ、そしてそれは『旅の虫眼鏡〜アジア・アフリカ路上観察ノート』という本にもなった。

 イトヒロとは、学生時代からの知り合いだった。イトヒロは早稲田大学漫画研究会で学生当時から活躍していたから、僕も漫研同士の交流で知り合ったのだ。イトヒロも僕も大学を出たあとフリーのイラストレーターになったので、仕事仲間としてつきあいが始まった。イトヒロの絵は几帳面な、いかにもプロフェッショナルの精度の高いイラストで、僕はそれにいつも感心していた。手書きの文字などを書かせるとイトヒロの右に出る者はいなかった。だから、本誌でイトヒロに書いてもらうときは、いつも手書きを要求した。彼の原稿は本当に美しかった。

 彼の訃報が舞い込んだのは、折しも次号の入稿前日だった。もちろん目が回るぐらい忙しい作業の最中に、僕は彼の通夜と告別式に列席し、そこから帰っては制作の作業を行った。作業をしながら、イトヒロのことが頭の中をぐるぐると駆けめぐる。思い出とかそういうことではない。イトヒロの死を現実的に受けとめることができないまま、今に至っている。悲しみすらわいてこない。もうイトヒロは去ってしまったのだと自分に言い聞かせるが、やはり自分が本当にまだ理解しているようには思えない。忙しい最中に、やってくれるぜ、イトヒロよ。

 友人が去ってしまうのは、この上もなくつらい。数年前に、やはり大学時代に同級生だった友人が50歳にも届かないのに亡くなってしまった。彼もイトヒロも残念だったことだろう。これからまだいっしょに楽しい人生を送れたはずなのに。旅の話もできたはずなのに。仕事もいっしょにできたはずなのに。本当に本当に残念だよ。イトヒロよ、病気は大変だったな。これまで助けてくれて本当にありがとう。さようなら。