高校野球

 春の選抜が始まった。高校野球に特に強い興味があるわけではないが、野球を見るのは好きなので、ヒマであれば知らない高校の試合を眺めたりしていた。だが、旅行人を始めてからは、ほとんど見ることもなくなった。

 僕は鹿児島の高校を卒業した。いわゆる進学校だったので、スポーツはからきし弱かったが、僕が高校2年のとき奇跡が起こった。わが高校最初で最後のスーパースターが登場したのだ。そのスーパースター選手は投手で4番打者をつとめ、並みいる強豪校を片っ端から打ち破り、なんと鹿児島県大会で優勝してしまったのである。

 よくもまあ優勝できたものだと今さらながら思う。なにしろ相手チームの打球が外野に飛べば、外野手は打球を追ってさまようようにふらついてようやくキャッチし、内野にゴロが転がれば、大きな弧を描く送球で一塁はきわどくアウトになる。ハラハラドキドキの連続である。

 それでも勝ち抜いたのだから、見る方はこれ以上おもしろいことはない。なにしろ相手チームときたら、例えば定岡で有名な鹿児島実業だの、杉内のいた樟南高校(当時は鹿児島商工)だったりするのだ。外野フライは素早く落下点に入って確実に捕球し、送球は矢のように早く、ランニングひとつにも切れがあり、いかにも鍛えられているのが素人目にも明らかだった。

 そんな高校に、よれよれのチームが勝つんだからたまらない。鹿実も鹿商工もなんでうちの高校に負けたのか理解するのには相当な心の整理が必要だったに違いない。もちろんそれはスーパースターのおかげであり、よれよれでありつつも肝心なところではエラーしなかったバックのおかげである。僕も当然、授業を休んで応援に駆けつけたが、教師からえらく叱られた。わが高校史上最初で最後の栄光の時がきたというのに、そんなことを気にしてはいられなかった。

 決勝戦で、確か鹿商工を破ったとき、優勝旗を授けたのが鹿児島県高野連の会長である鹿実の校長だった。その方は、表彰状を読み上げたあと、「まさかこの高校が優勝しようとはまったく想像できませんでした。おめでとう!」と異例のコメントを付け加え、わが高校応援団から万雷の喝采を浴びた。

 鹿児島県大会で優勝したわが高校は九州大会へ進出した。だが、スーパースターが試合前の練習で打球を顔に受け、メガネが破壊されて、裸眼のまま試合に臨み惨敗を期した。予備のメガネがなかったのである。今では考えられない話だが、当時は予備のメガネなんて持っている高校生などまわりには誰もいなかった。それでわが高校野球史の栄光は終わりを告げた。

 この話はもう少し続きがある。かのスーパースター選手は、わが高校最初で最後のドラフト指名選手となり、3位指名で南海ホークスに入団した。野村克也選手兼任監督の時代だ。そこで当時の1イニング最多失点記録をつくり、投手をあきらめて野手に転向し、しぶいプレイをする選手として活躍した。池之上格というわれらのスーパースターは、今も僕の数少ない晴れやかな高校時代の思い出である。