前川健一『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』を読む

 小林真樹さんの『食べ歩くインド』の制作・発送がようやく一段落し、長い間手を付けられなかった本の紹介や他の仕事をぼちぼち始めようとしている。ほんとは何もせずにしばらく休みたいところなんだけど、日程上すぐに休んでいられない。

 さて、ひさびさに出た前川健一さんの新刊プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』だ。内容は前川さんのブログ「アジア雑語林」でだいたい読んでいたのでわかっていたが、やはり紙の本にすると落ち着いて読める。
 この本は、前川さんが一か月プラハに滞在して散歩しまくった滞在記である。僕なんかが一か月滞在しても、たいしたことは起きないし、新書を一冊書くようなことはできないが、前川さんの一か月は実に中身が濃い。歩いて、覗いて、しゃべって、また歩くというタフな行動に加え、プラハで見聞きしたことを調べまくっている。元来、調べることが大好きな人なので、この本だけがそうだというわけではないから、それに驚くことはないのだが、例えばこういうことは普通の人はやらないだろう。
 プラハの地下鉄には改札口がない。多くの市民は定期券を持っているし、旅行者は切符を刻印機に差し込んで利用する。だが無賃乗車がいないわけではないので、たまに検札をやっていることがある。めったにないのでこれを見かけたら「希有な体験だと思い、検札ぶりをしばらく観察」するのだ。時間がたっぷりある滞在だとしても、僕にはそれを観察しようという発想さえ起きない。さすが前川さんである。
 他にもある。ある駅に到着したが、あいにく目的の施設が閉館していて、帰りの電車まで時間があった。「偶然生まれた時間を楽しもうと思った」前川さんは駅周辺を歩きまわってから駅に戻る。すると係員がゴミ箱をからにしてバンにゴミを積み込んでいた。なんと前川さんは「どういうゴミが入っていたか、すでに調査済みだ」というではないか。お菓子の空き箱が入っていたそうだ。ゴミ箱の中を調査した経験は僕にはない。
 前川さんの口癖のようなものだが、彼はよく「自分は野球や自動車のことにはまったく興味がないし、知識もない」という。これは字句通り受け取ることはできない。野球はいざ知らず、自動車についてはこの本でもチェコの自動車シュコダについて詳しく調べて書いている。こういうと、彼は自動車自体に興味があるんじゃなくて産業として興味があるというんだけど、ある写真のキャプションには次のように書いてある。


「会計のとき、男はズボンのポケットからむき出しの札束を取り出し、ゆっくり見せびらかしてから、支払った。フェラーリのような、品のない車が似合いそうな男だった」


 フェラーリに品があるのかないのかはさておき、それなりに興味を持っているからこそこういうフレーズが出てくるのだろう。
 この本には、チェコの基本的な情報や、鉄道、食文化、建築などについて、プラハ散歩の参考になる話が書かれている。前川さんの得意なプラハ雑学滞在記だ。いつものことだが、前川さんがプラハについて調べるのに読むべき本もずらりと示しているので、プラハ旅行をお考えの方が最初に読むにはうってつけだろう。

(そうそう、前川さんの本の読者ならとっくに承知のことだから書き忘れましたが、この本には観光客がよく行く観光名所はほとんど出てきません(ちょっとだけ出てくる)。例によって郊外の団地とか個人住宅を見物に行ってます。普通の観光ガイドに役に立つとはお思いになりませんように。)


 最後に笑ったのが、次の一文。


バンコクのように、24時間いつもどこからでも、エンジン音が鳴り響いている街には、もううんざりしている。しかし、アジアの雑然とした街には、うまいものがいくらでもある。それが、旅行先選びの大問題だ」


 バンコクの好奇心』などの名著を出した前川さんでさえバンコクにはうんざりしているのかと思うと思わず笑った。もちろんそれは僕もよくわかる。インド好きな僕だって、空気が悪くてビービーうるさいデリーにはうんざりしている。僕はそれで田舎へ行くけど、前川さんは人のいない田舎へは行きたくないんだそうだ。散歩するのがつまらないから。自然の美しい景色なんか5分で飽きる。人の営みがおもしろいとよく彼は言う。そういう人の書いた街歩きの本です。

 

プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように (わたしの旅ブックス)

プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように (わたしの旅ブックス)

  • 作者:前川 健一
  • 発売日: 2020/06/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

バンコクの好奇心

バンコクの好奇心

 

 

 

タンドゥーリー・チキンはインドの伝統料理ではなかったーー『食から描くインド』を読む

 アジアハンター小林さんのインド料理の本を制作している関係もあって、インドの食に関する本を読んでいる。この連休に読んだのが『食から描くインド』井坂理穂・山根聡編/春風社)。けっこう高くて固い本なのに、数か月で2刷りになっているのに驚いた。
 この本は学者が書いている本なので、インドで何がうまいかが書いてあるわけではなく、インドの食の歴史や、食から見る社会変容を描いたものだ。いかにも固そうなテーマではある。僕は何年インドを旅行しても、インドの食にはほとんど興味を持たなかったが(安く食えればそれでよしというタイプ)、僕のような者でも本書が割と面白かったのは、インドといえば誰でも知っているような食べ物が、まったく伝統的なものではなく、意外に最近できたものだということがわかったり、あるいは社会の都合ででいきなり伝統料理として脚光をあびることになったりする顛末だ。
 例えば、インド料理といえば誰でも知っているのが「タンドゥーリー・チキン」だろう。昔からインドの王族なんかが食べていた伝統料理なのかと思っていたが、実はぜんぜんそんなことはなく、アフガニスタンの田舎の小さな地域で行われていた料理法がインドに広がって有名になったらしい。それもインドに入ってきたのは印パ分離独立後のことだという。インドではわずか70年の歴史しかない。
 インドでは、タンドゥーリー・チキンを作ったのはインド人のクンダン・ラールということになっている。デリーにある有名レストラン「モーティーマハル」の創設者でもある。行ったことがある方も多いだろう。
 クンダン・ラールは印パ分離独立前に西パキスタンに住んでいて、そこのレストランで働いていたときにタンドゥーリー・チキンを「発明」し、分離独立後にインドへやってきてレストランを開業、タンドゥーリー・チキンを一躍有名料理としてインドに広めた、ということになっている。筆者(山田桂子・茨城大学教授)はそれを疑問に思い、調査した結果、タンドゥーリー・チキンのルーツがアフガニスタンであったことをつきとめる。
 クンダン・ラールがつくったレストラン「モーティーマハル」が繁盛したのは1978年までで、その後経営難に陥ったという。彼は1985年に死去し、91年に店は売却されている、という文章を読んで驚いた。実は僕も1984年にモーティーマハルを訪れてタンドゥーリー・チキンを食ったことがあるのだ。クンダン・ラールが死ぬ1年前だ。
 食べることにはほとんど興味がない僕が、なんでこんな有名店を訪れたのかといえば、『地球の歩き方』を読み、せっかくインドに来たんだからタンドゥーリー・チキンでも食ってみるかという観光気分で行ってみたのだ。当時の『歩き方』にはこのように書いてある(抜粋)。

 タンドーリー・チキンならここに決マリ/モーティー・マハール・レストラン
 デリーでタンドーリー・チキンがいちばんおいしい店と聞いていたので、さっそく行ってみた。なんとなく高級レストランっぽいのを想像していたが、入ってみるとぐっと大衆的な感じ。ちらほら見かける外人ツーリストの他は、圧倒的にインド人の家族連れやグループ。(『地球の歩き方 インド/ネパール編’84〜’85版』)

 確かにそんなに高級レストランという雰囲気ではなく、ちょっと薄汚れた中級レストランという雰囲気だった。初めて食べたタンドゥーリー・チキンも、僕にはたいしてうまいものとは思えなかった。かつてはネルーや海外の要人が訪れた高級店だったらしいが、このころは経営難だったことが本書を読んで判明した。
 筆者の山田教授は2010年に初めてこのレストランを訪れたらしいが、できることなら僕が食べたタンドゥーリー・チキンを代わりに食べさせてあげたかった。よほど有意義な研究の足しになったことだろう。僕が食べたって、うまいんだかまずいんだかもよくわからないんだから。
 この他にもいろいろ興味深い話が載っているので、3700円と高い本だけど、インドの食に興味がある方はどうぞご一読を。

 

食から描くインド――近現代の社会変容とアイデンティティ

食から描くインド――近現代の社会変容とアイデンティティ

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 春風社
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

もしもハザリバーグが観光地になったら

 先日、アフガニスタン中村哲さんがお亡くなりになるという不幸な事件があって、今年の印象はまったくよろしくないが、そのうえ友人がネパールで客死するという悲しい話が舞い込んできた。その前日までフェイスブックでやりとりをしていたのに、悲劇は一瞬で起きる。心からご冥福をお祈りします。

 

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ジャールカンド州ハザリバーグ近郊の村で

 さて、僕にとって今年はインド先住民アートに始まり、それで終わったという感じだ。2月から先住民アートについてトークイベントを数回にわたって行い、展示会も3回やった。とりわけ5月に開催した展示会は、僕にすれば大がかりで、準備も費用もかかって大変だった。6月には写真集も出版し、この11月には再びジャールカンド州のハザリバーグの村々をめぐった。というわけで、今年は先住民アート一色の一年だった。

 先住民アートをめぐる旅については、少しずつ原稿を書いているところだが、今のままではとても一冊になるほどではないので、来年もまたインドへ行き、先住民アートを探すことになるだろう。それを含めて一冊の本になるかもしれないし、ならないかもしれない(探しに行った結果なにも見つからない場合もあるので)。

 僕の希望としては、ジャールカンドに限らず、先住民アートがもう少し日本人にも関心を持ってもらえるようになればと思う。もちろん、以前に比べればゴンド画やワルリー画、あるいは先住民アートではないがミティラー画などは日本人も知るところとなった。あくまで以前と比べればということであって、多くの人が知っているというレベルではない。

 先日インドへ行ってきたが、ニューデリーではミティラー画が大量に売られていた。買う人も多いのだろう。正直言って粗製濫造されたひどい絵がけっこう高い値段だったのでがっかりしたが、それでも粗製濫造されるほど多くの人が描くようになれば、新しい才能が開花するチャンスが増えるのだから、一概に粗製濫造を悪いとも言い切れない。ミティラー画がポピュラーになってきたのは慶賀すべきことだ。

 僕はジャールカンドのハザリバーグ画もミティラー画のようになって欲しいと思っている。たとえ粗製濫造になってもかまわない。どのような絵であれ、その絵を好きかどうかは見る人次第で、僕がひどい絵だと思う絵を好きだと感じる人はいるだろうし、その絵を見たり、飾ったりすることで、その絵がジャールカンドに住む先住民の作品であることを感じてもらいたいのだ。

 インドの先住民はインド全土に住んでいるが、とりわけジャールカンド州、チャッティースガル州、オディーシャ(オリッサ)州は先住民比率が高い。先住民の土地から鉱物資源が発見されたり、ダムが建設されることになると、彼らは土地を奪われ他の土地へ追いやられてきた。そのようなことはインドでは報道されないし、一般のインド人も先住民の文化にはほとんど無関心だ。

 例えばミティラー地方も、ミティラー画が有名になるまでは電気もないような貧困地帯だった。それが絵のおかげで、今や電気もあれば、電化製品も持つ家庭が普通になっているという。僕はハザリバーグの村々が物質的に豊かになってほしいと思うが、それ以前に、彼らがそこで美しいアートと農村生活をしている人々であることを知って欲しいと思う。人々の関心が集まり、そこでそのような生活が営まれていることを多くの人が知るのは、名前もわからないどこかで貧しい先住民がインドにはたくさんいますという漠然とした知識とはまったく違う。多くの外国人がハザリバーグ画に注目し、インド人にも知られるようになれば、そこで土地が奪われたり、貧困であえぐ状況に以前とは異なる意識が向くことになる。

 ただ漠然とインドのどこかの村では意識することもできないが、幸いにもハザリバーグには美しいアートがある。僕はハザリバーグが観光地になればいいと思っている。多くの人がそこを訪れ、絵を眺め、買うようになり、できればホテルができればいいなと夢想する。

 そうすると同時に観光地の弊害も出てくるだろう。写真を撮ったら金をくれといわれたりするようになる。たぶん間違いなくそうなる。それがいいのか? といわれれば、それでもハザリバーグの先住民に人々の注目が集まるのは悪いことではないと考えている。現実的にいって、ハザリバーグがタージマハルのような有名観光地になることは考えにくいし、多くの観光客が続々とやってくるということもイメージできない。僕のイメージが貧困なだけで実際にそうなったら僕は後悔するかもしれない。だが、今は彼らのアートや生活がもう少し多くの人に知られて欲しいと願っている。

 オーバーツーリズムが問題になる昨今だが、誰もが知る有名観光地ではなく、あまり知られていないけれど、美しいアートや景色があり、一見平和なようで問題を抱える場所がある。そういうところを訪れてみるのはけっこうおもしろいものですよ。

 本年もありがとうございました。よい年末年始をお迎え下さい。

ryokojin.co.jp

 

『チョンキンマンションのボスは知っている』を読む

 香港のチョンキンマンションを根城にして商売するタンザニア人を調査した文化人類学者のエッセイ。タンザニア人たちがどのようにして商売し、どのような集団関係にあるのかを、彼らと長年ともにして解き明かしていったのが本書だが、論文は別にあって、こちらはあくまでその副産物としてのエッセイだ。素人が読むにはこれでも十分学術的な書き方がしてあるのでややこしい解説もあるが、全体的にはわかりやすく平易に書かれている。

 本書で詳しく書かれているのは、タンザニア人グループの成立の仕方と、そこから生まれるビジネス方法だ。香港にいるタンザニア人は基本的に中国や香港のものを仕入れてタンザニアで売る。あるいは、タンザニア仕入れたものを中国や香港で売ることを生業としている。ビジネス自体はきわめてシンプルだが、チョンキンマンションを根城にするタンザニア人たちの結びつき方が実に独特なのだ。

 香港のタンザニア人には商売で成功している人もいれば、失敗する人もいる。彼らは香港を根城にするタンザニア人グループに属しているが、失敗して一文無しになると、それがどのような理由であれ、基本的に他のタンザニア人が救済する。

 グループに属していると、失敗したタンザニア人を救済しなければならないという義務はない。金がなければ出す必要はない。そして、そのグループそのものも誰がいつ入ったか、いなくなったかも確定しない。なにしろいつふらっとタンザニアへ帰ってしまうかもしれないので、いちいち脱会しますなどと届け出などしないからだ。それに、厳密に入会・退会を管理すると組織運営そのものが負担になる。負担になることはしないというのも彼らの原則なのだという。

 誰かが困ったら、SNSなどで連絡を取り、ビルの裏や公園に集まって、あいつが困ってるんだけど、ちょっと金を出してなんとかしてやるか、みたいな話になり、幾ばくかの金を集めて当座をしのがせるという仕組みになっている。もちろん義務ではないので、出したくない奴は出さないのだが、出さなかった奴が困ったときは救済してもらえない、というのがわれわれ日本人の考え方で、タンザニア人はそれでも、まあ、なんとかしてやるかといって金を出し合うのだ。

 それは不公平ではないのか? とわれわれは考える。自分はぜんぜん金を出さないのに、困ったときだけ金を受け取るなんてことをしたら、救済制度がもたないと考える。非合法なことをして捕まったり金がなくなったら本人の自己責任であると普通の日本人なら考えるだろう。

 だが、彼らはそう考えない。金を出さない奴は、「それなりの事情があるんだからほっとけ。くどくど細かいことをいってるんじゃないよ」となるのだ。「それなりの事情ってなによ」と私なら突っ込むところだが、彼らにとってそれは突っ込んではならないことであり、知らないほうがお互いのためなのだ。

ーー彼らは、個々の実践・行為の帰結を他者の人物評価ーー「努力が足りない」「考えが甘い」「優しさが足りない」等ーーに結びつけて語ること自体をほとんどしない。

 だから原因はともあれ、困っている同胞がそこにいるからとりあえず救済する。これは自分が1万円を寄付したから、自分も1万円助けてもらえるというような互酬性ではないし、助ける相手が援助に値する人間だからというのでもない。自分が今助ける余裕があるから相手を問わず助けるのだ。彼らは「他者を助けることができる者は必ずいる」という。「私があなたを助ければ、誰かが私を助けてくれる」というのが彼らの原則なのだ。

 著者の小川さやかは次のように書く。

ーー私がよく下調べもせずにリスクの高い行動をとったせいで窮地に陥ったと告白したら、「無謀だ」「考えが甘い」などと説教をされそうだ」「投機性の高い商売に挑戦して一文無しになった場合、どれだけの人間が私のピンチに応答してくれるだろうか。まして現地で警察にお世話になったりしたときに、「自業自得」だと私を責めずに受け入れてくれる人はいるだろうか。

 こういう場合、おおかたの日本人は「自己責任だ、自業自得だ」と考えるだろうが、タンザニア人は「まあいろいろ人によって事情があるんだから細かいこと言うな、ちょっと助けてやろうぜ」となるのである。

 この考え方の違いはなんなのか。

 私たちの世界は、来たるべき未来に備えて今を努力するのがよしとされる。今、一生懸命に勉強するのはよい大学に入るためであり、よい大学を卒業するのはよい会社に入るためであり、そこへ入ればよい生活が手に入るからだ。そのために人生はプランニングされる。だから、そのような規範から逸脱すると非難されやすい。

 しかし、香港のタンザニア人はそのような考え方をしない。香港で商売するのは、そこで資金を稼いでタンザニアでよりよい生活をするためというより、香港で商売をする現在の生活を楽しむためなのだ。もちろんタンザニアにいる家族に仕送りもするし、香港で稼いだ資金を元にタンザニアで商売もする。だが、それが目的ではない。それも含めて、現在の香港ライフを楽しむために金を稼いでいるとこの本は書いている。だから、タンザニアの生活を夢見て今は我慢して耐え忍びながら努力するという発想にはならないのだ。

 ほとんどの人の人生には浮き沈みがあり、山もあれば谷もある。何が起きるかは予測できない。誰にも助けてもらえないから、何が起こっても大丈夫なように保険をかけ、金を蓄え、独力で対処しようとするのが今の日本人だとすれば(だから自己責任だという非難が出てくる)、相手のことをよく知りもせず、基本的には信用もしていないのに、誰かが助けてくれることになっているという原則のもとに、今を楽しむ香港タンザニア人の社会は実に好対照だといえる。

 どちらの生き方がいいというわけではない。だが、こういう生き方もあるのだということをこの本は教えてくれる。この本を読んで即座に人生が変わるわけではないが、やれ自己責任だ自業自得だと言いつのる人生だけが世界のすべてではないってことですね。

 

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

 

 

ミュージシャンのサクセスストーリー映画『ガリー・ボーイ』

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  インド、ムンバイのスラム街の青年がラップミュージックに目覚め、やがてコンテストに優勝して成長していくストーリーは、アメリカ映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』とほとんど同じといっていい。『ストレイト・アウタ・コンプトン』は実在の人気ラップグループN.W.Aの物語を映画化したものだが、ガリー・ボーイ』もまた実在のラップミュージシャンNaezyをモデルにした映画で、どちらも貧困の中から這い出してラップで成功していく物語だ。

 インド映画は歌って踊る華やかな映画であるというイメージを、まだ日本人の多くが持ち続けているのかどうかわからないが、この作品はそこから遠い。いや、昔からインド映画は突然歌い出すような映画ばかりじゃなかったし、近年公開されたインド映画にもそうじゃない映画は数多いので、今さらこういう説明をするのも遅れてるんだけど、『ガリー・ボーイ』にはインドの強烈なラップが流れ、一部にはブレークダンス的な「踊り」も加わる。それがスラム街の中で撮影されたネット動画という現代的なシークエンスになっている。つまり、歌って踊るインド映画のラップバージョンにもなっているというわけだ。
 それにしても、ラップがインドとこれほどぴったり合うとは予想外だった。アメリカの貧民街から広まったラップは、攻撃的で反権力的だ。『ストレイト・アウタ・コンプトン』に出てくるラップの歌詞は「Fuck the Police」のように攻撃的かつ過激で、警察やFBIの監視対象となったが、『ガリー・ボーイ』のラップもインド社会の差別、格差、抑圧に反抗する青年の叫びが歌詞となって現れる。もともとラップとはそのようなものであり、インドの社会状況はラップにぴったりだったといえる。今まであったインドの「なんちゃってラップ」じゃなく、「魂のラップ」(松岡環)だ。
 この映画の舞台となったムンバイのスラム「ダラヴィ」は、最近のニュースによると、住民の反対を押し切って再開発の計画が進行中だという。スラムを壊して中東産油国の資本で高層ビルを建設するらしい。本作のラップで歌われる世界がまさに進行中であることをまざまざと示している。

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10月18日から、新宿ピカデリーなど全国でロードショー

 これは本物のNaezyの動画です。

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『ストレイト・アウタ・コンプトン』もおすすめです。

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場末感漂う成田空港第3ターミナル

 今回初めて成田空港第3ターミナルを使用した。2015年4月に開業したそうだが、いやびっくりしましたねえ。何がって、その場末感いっぱいな雰囲気に。これが天下の成田空港のターミナルなの?って感じ。
 LCC専用ターミナルだからこんなもんでいいんじゃないの? という感じで作られたのがありありです。そりゃまあLCCなのだから発着料を安くするには設備を落とすしかないと言わればその通りでしょうが、まず電車が着くターミナル2からターミナル3へ向かう通路がすごいよ。2から3へは650メートルの表記があるのだが、これ全部建物の外。屋根と壁は付いているが、壁は透明ポリカの波板みたいなもので囲われているだけで、夏は暑くて冬は寒いこと間違いない。
 空港の連絡通路って、建物の中で「動く通路」が設置されているのが普通だが(成田だけじゃなくて今はどこでもそれが普通だ)、もちろん屋外にそのようなものはなく、まるで陸上競技場のトラックのようなペイントで「↑500m」と描かれているだけだ。
 こんなところを650メートルも歩くのはつらいだろうということで、途中に何カ所か休憩所がある。休憩所がある連絡通路って初めて見た。もちろんここも半屋外なので冬は寒いし夏は暑いことに変わりはない。
 もちろん連絡バスも走っていて、3〜6分おきに運行されているが、6分待つぐらいなら歩くよという判断が間違いだったかもしれない。
 ようやくターミナルに到着すると、内装もほとんどおざなり。低い天井はむき出しのままで配管が見えている。もちろんおしゃれでやりましたという感じはまったくなし。オープンして4年半。まだ新しさがあるけど、10年たったら悲惨だぜ。

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おしゃれ感とはほど遠い剥き出しの天井

 さて、今度は帰国して、チェックインバゲージを受け取りに回転台へ行く。何台かの回転台があるが、どの回転台がどこからの便のものかわからない。普通は一つの回転台に便名と出発地が書かれたモニターが設置されているものだが、それさえない。それで係員に聞くと「ありますよ」と少々むっとした声で指さされた方を見ると、おお、確かに一台のモニターがあった。そのモニターにはどの回転台がどの便かを示すリストがまとめて表示されていた。
 荷物を受け取り、バス乗り場へ行く。ここもまたかなりテキトーにつくられたバス乗り場で、なんと壁は工事現場で仮に使われる単管パイプで支えてあるではないか。そこらへんの月極駐車場だよ、これじゃ。

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バス乗り場

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上の写真の拡大。紛う事なき単管パイプのつっかい棒。これで完成なの?

 こんな設備で、他のターミナルと同じ設備使用料を徴収するとはずいぶんじゃないか? と思ったら、ターミナル3は1、2の半額なんだな(1、2が2090円、3が1020円)。だから文句言うな! ってことですか。へ〜い、わかりましたよ〜。

【追記】バス乗り場の単管パイプはさすがに仮設だったようで、2022年ごろに隣接する貨物ビルを撤去してターミナル3の拡張工事が完成するらしいです。今後、ターミナル1も2も続々と増築されるようです。

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アジアハンター小林真樹『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院)を読む

  希有な本が小さな出版社から刊行された。日本でインド亜大陸の食文化を追求しようという本だ。それだけ書くと、日本にあるインドレストランのガイドブックかと思ってしまうが、この本に書かれているのは、一般的なレストランに加え、普通の日本人ではまず発見できない(看板さえない)レストランであったり、モスクやグルドアラ(シク寺院)の礼拝後に供される食事だったり、日本に住むインド人などの家庭で招かれて食べる食事だったりする。

 この本はいわゆる一般的なレストランガイドではなく、いろいろな読み方ができる珍しい本だ。一つは、最初に書いたような日本にあるインドレストランの案内書として。これほど多くの、多種多様な南アジア(インド、ネパール、パキスタンバングラデシュスリランカなどのインド亜大陸地域)料理を、日本各地で味わうことができるということに驚かされる。南アジアの食で使用される食材、スパイス、器具についても、図鑑のようなコラムが設けられ、写真付きで説明されている。

 二つ目は、日本にある南インド系レストランの実態だ。これらのレストランがいかに日本に広がり、そしてどのように経営されているのか、レストランのオーナーのインタビューを交えて取材されている。老舗といわれるレストランがいかにしてここまでやってこられたか簡単な歴史もあきらかにされ、どのような人々がレストランに集まってくるかなども描かれている。極めつきは北関東にあるナーン製造工場の話だが、それはぜひ本書をお読みいただきたい。

 三つ目は、食文化から入っていく日本の南アジア系移住者の世界だ。著者の小林さんは、アジアハンターという南アジアの食器・雑貨などを輸入販売する会社が本業だ。その営業で日本全国の南アジア系レストランをまわって、食器その他の備品を販売している。小林さんは仕事で知り合った南アジア系の人々の伝手で販路を広げていくので、彼らとの付き合いは一般の日本人とは比較にならないほど濃密だ。日本にいながら、明日はネパール人、明後日はパキスタン人、その次の日はインド人のレストランと、仕事のある日は常にそういう世界をまわり歩いている。そこから見えてくるのは、日本に移住してきた南アジア系の人々の生活そのものだ。

 例えば、ネパール人が日本にやってきてレストランを開業しようとすると、ネパール人の不動産業者がレストラン物件を斡旋してくれ、ネパール人の改装業者がレストランに仕立ててくれるので、今や日本語が一言も話せなくてもレストランの開業が可能になっているという。

 小林さん自身が南アジアの食事が偏執的ともいえるほど好きなので(小林さん、すみません)、仕事じゃなくても、南アジア系の人がいそうなところをつねに訪れている。サッカーにはぜんぜん興味がないのに南アジア人のサッカー大会まで見にいくぐらいだ。

 去年小林さんがインドに行き、その様子をFacebookにアップしていたが、あるとき「さすがにインド料理に食傷気味なので、パキスタン料理を食べに行く」という。インド料理に食傷してパキスタン料理を食べに行く人が世界のどこにいる? 「あれはウソですよ」と彼をよく知る人がいったが、あとでそれはウソで「たまには言ってみたかった」ということだったらしい。

 そういう人でなければ、こんな本を書くことはとてもできなかっただろうし、阿佐ヶ谷書院のような出版社でなければ、本になることもなかったかもしれない(もちろんうちでも本にしますけど)。日本にある美味しいインドレストランガイドなら他の出版社でも出しただろうが、これはそうじゃないし、そもそもうまいかまずいかもあまり書かれていない。というか、往々にして説明もなく料理名が書かれているので、僕もそれがなんの料理かはネットで調べないとわからないほどだ。

 こんな希有な、そして貴重な本は、南アジアの物品を日本在住の南アジア人に売り歩くという商売をやっていて、自分も南アジアの食事や文化が好きで、それに加えて文章も書けるという人間でなければできないし、それを書けと勧め、儲からなくても本にするという出版社がなければできない本だ。

 2200円という価格は、もしかしたら1冊の本としては高いと感じる方がいるかもしれない。だが、そうではないのだ。これだけは読者に理解していただきたい。2200円で出しても、実は著者も出版社もほとんど儲からないのだ。これがベストセラーになって数万部売れれば話は別だ。めっちゃ儲かる。だが、こんなニッチな本が数万部売れるとは著者も出版社もまったく考えていない(と思う)。数千部売れれば、ばんざ~い! とよろこぶ規模なのだ。業界的な常識として「万の位」の刷り部数であるとは考えられない。だから、この2200円は本当に本当に安い。著者と出版社の大サービス特別価格なのだ。そして、小林さんが書かない限り二度とこのような本が出ることはないだろう。なぜなら誰もこんな本は書けないからだ。

 それにしても、すばらしい本であるではあるけれど、こんな渋い本がいったい何部売れるのか、僕は自分の本のように気がかりだったが、なんと昨日SNSで阿佐ヶ谷書院から重版報告があった。すばらしい! みなさん、ありがとう。もっと買って下さい! この本がたくさん売れ、小林さんの健康が損なわれないことを祈るばかりである(いくらなんでも食べ過ぎでしょ!)。

日本の中のインド亜大陸食紀行

日本の中のインド亜大陸食紀行