『チョンキンマンションのボスは知っている』を読む

 香港のチョンキンマンションを根城にして商売するタンザニア人を調査した文化人類学者のエッセイ。タンザニア人たちがどのようにして商売し、どのような集団関係にあるのかを、彼らと長年ともにして解き明かしていったのが本書だが、論文は別にあって、こちらはあくまでその副産物としてのエッセイだ。素人が読むにはこれでも十分学術的な書き方がしてあるのでややこしい解説もあるが、全体的にはわかりやすく平易に書かれている。

 本書で詳しく書かれているのは、タンザニア人グループの成立の仕方と、そこから生まれるビジネス方法だ。香港にいるタンザニア人は基本的に中国や香港のものを仕入れてタンザニアで売る。あるいは、タンザニア仕入れたものを中国や香港で売ることを生業としている。ビジネス自体はきわめてシンプルだが、チョンキンマンションを根城にするタンザニア人たちの結びつき方が実に独特なのだ。

 香港のタンザニア人には商売で成功している人もいれば、失敗する人もいる。彼らは香港を根城にするタンザニア人グループに属しているが、失敗して一文無しになると、それがどのような理由であれ、基本的に他のタンザニア人が救済する。

 グループに属していると、失敗したタンザニア人を救済しなければならないという義務はない。金がなければ出す必要はない。そして、そのグループそのものも誰がいつ入ったか、いなくなったかも確定しない。なにしろいつふらっとタンザニアへ帰ってしまうかもしれないので、いちいち脱会しますなどと届け出などしないからだ。それに、厳密に入会・退会を管理すると組織運営そのものが負担になる。負担になることはしないというのも彼らの原則なのだという。

 誰かが困ったら、SNSなどで連絡を取り、ビルの裏や公園に集まって、あいつが困ってるんだけど、ちょっと金を出してなんとかしてやるか、みたいな話になり、幾ばくかの金を集めて当座をしのがせるという仕組みになっている。もちろん義務ではないので、出したくない奴は出さないのだが、出さなかった奴が困ったときは救済してもらえない、というのがわれわれ日本人の考え方で、タンザニア人はそれでも、まあ、なんとかしてやるかといって金を出し合うのだ。

 それは不公平ではないのか? とわれわれは考える。自分はぜんぜん金を出さないのに、困ったときだけ金を受け取るなんてことをしたら、救済制度がもたないと考える。非合法なことをして捕まったり金がなくなったら本人の自己責任であると普通の日本人なら考えるだろう。

 だが、彼らはそう考えない。金を出さない奴は、「それなりの事情があるんだからほっとけ。くどくど細かいことをいってるんじゃないよ」となるのだ。「それなりの事情ってなによ」と私なら突っ込むところだが、彼らにとってそれは突っ込んではならないことであり、知らないほうがお互いのためなのだ。

ーー彼らは、個々の実践・行為の帰結を他者の人物評価ーー「努力が足りない」「考えが甘い」「優しさが足りない」等ーーに結びつけて語ること自体をほとんどしない。

 だから原因はともあれ、困っている同胞がそこにいるからとりあえず救済する。これは自分が1万円を寄付したから、自分も1万円助けてもらえるというような互酬性ではないし、助ける相手が援助に値する人間だからというのでもない。自分が今助ける余裕があるから相手を問わず助けるのだ。彼らは「他者を助けることができる者は必ずいる」という。「私があなたを助ければ、誰かが私を助けてくれる」というのが彼らの原則なのだ。

 著者の小川さやかは次のように書く。

ーー私がよく下調べもせずにリスクの高い行動をとったせいで窮地に陥ったと告白したら、「無謀だ」「考えが甘い」などと説教をされそうだ」「投機性の高い商売に挑戦して一文無しになった場合、どれだけの人間が私のピンチに応答してくれるだろうか。まして現地で警察にお世話になったりしたときに、「自業自得」だと私を責めずに受け入れてくれる人はいるだろうか。

 こういう場合、おおかたの日本人は「自己責任だ、自業自得だ」と考えるだろうが、タンザニア人は「まあいろいろ人によって事情があるんだから細かいこと言うな、ちょっと助けてやろうぜ」となるのである。

 この考え方の違いはなんなのか。

 私たちの世界は、来たるべき未来に備えて今を努力するのがよしとされる。今、一生懸命に勉強するのはよい大学に入るためであり、よい大学を卒業するのはよい会社に入るためであり、そこへ入ればよい生活が手に入るからだ。そのために人生はプランニングされる。だから、そのような規範から逸脱すると非難されやすい。

 しかし、香港のタンザニア人はそのような考え方をしない。香港で商売するのは、そこで資金を稼いでタンザニアでよりよい生活をするためというより、香港で商売をする現在の生活を楽しむためなのだ。もちろんタンザニアにいる家族に仕送りもするし、香港で稼いだ資金を元にタンザニアで商売もする。だが、それが目的ではない。それも含めて、現在の香港ライフを楽しむために金を稼いでいるとこの本は書いている。だから、タンザニアの生活を夢見て今は我慢して耐え忍びながら努力するという発想にはならないのだ。

 ほとんどの人の人生には浮き沈みがあり、山もあれば谷もある。何が起きるかは予測できない。誰にも助けてもらえないから、何が起こっても大丈夫なように保険をかけ、金を蓄え、独力で対処しようとするのが今の日本人だとすれば(だから自己責任だという非難が出てくる)、相手のことをよく知りもせず、基本的には信用もしていないのに、誰かが助けてくれることになっているという原則のもとに、今を楽しむ香港タンザニア人の社会は実に好対照だといえる。

 どちらの生き方がいいというわけではない。だが、こういう生き方もあるのだということをこの本は教えてくれる。この本を読んで即座に人生が変わるわけではないが、やれ自己責任だ自業自得だと言いつのる人生だけが世界のすべてではないってことですね。

 

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

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