学歴社会

 友人の息子はただいま大学生である。有名国立大学に現役で入学した親孝行な息子だったが、ある日突然、学校をやめるといいだした。その理由は? と聞くと、「何の苦労もせず有名国立大学に入って、このまま卒業して学歴社会に参加することに納得できない」というようなものらしい。

 ため息が出るような話である。有名国立大学に、何の苦労もせずに合格できたのは、単に成績が優秀だったからであって、ほとんどすべての高校生が彼のように「何の苦労もせずに合格したい」と願っているだろう。それのどこがいけない? 少なくとも僕はそう願っていたにもかかわらず、浪人までしてえらい苦労した。

 親である友人にいわせると、「何の苦労もなく」といっているが、受験のときはそれなりに努力したそうだが、ま、本人は、たいしたことがなかったと感じているのだろう。それよりも学歴社会がよくないということらしい。いまどき生真面目というか、上にバカが付きそうだが、この息子はバカじゃないのである。

 そうやって考えると、昔々、自分の若い頃も「学歴社会は悪だ」と、なんとなく考えていたような気がする。なんでそんなことを考えたのかといえば、自分の頭が悪いせいで目指す大学に不合格になったのに、なんだなんだこのヤロー、いい大学だけが優遇される学歴社会なんて間違っている! と、自分の出来の悪さを社会のせいにしていただけなのである。できのいい彼とは逆だよ。

 私の場合、せっかく入った大学でろくに勉強もせず、挙げ句の果ては就職もせず、ちょっと働いて旅に出てしまうというパターンを繰り返し、今はこうなっているのだから、親は苦労が絶えないまま亡くなってしまった。すいません。知人も心配のタネは尽きないことであろう。

 ま、それはともかく、そうやってあちこち旅行してみると、学歴社会でないところなんかないのであった。そのありようは国によって違うけれど、どこの国でも高度な教育を受けた者ほど、より高収入な生活を得るチャンスが大きいというのは同じである。

 学歴なんか働くのに関係ありませんというのであれば、どうやって会社は社員を雇えばいいのか、という問題に突き当たる。もちろん学歴なしで入社試験の成績だけで雇えばよいのだ。理科系だろうが、文化系だろうが、独学で勉強した者の機会を奪うべきではない。学歴に関係なく入社のチャンスを与えるべきだ。

 そういう会社も日本にはたくさんある。うちもそうだった。学歴を重視するたいていの会社は、学歴のない個人としての知識や技術を、たった一度の試験や面接で計ることは不可能だと考えているからであり、また、学歴に付く権威や、人間関係をも欲しているからである。ホリエモンは、東大に入ることで欲したのは、東大で知り合うことのできる人間とのコネだったと堂々といっていたが、会社だってそこのところは同じなのだ。それに、学歴社会にしなければ機会均等の平等社会になるかというと、そうはならず、縁故・世襲の雇用により陥りやすいというのが実状なのである。

 ということから考えると、学歴社会というのは、ベストではないかもしれないが、これしかないでしょうという妥協の制度である。大手自動車会社の技術部にいた人の本などを読むと、大学生の研究など会社ではまったく使い物にならないというし、多くの大企業では新入社員の再教育を行っている。うちの入社面接でさえ「勉強させてください」という人がいたので、「うちは学校じゃなくて会社です」と申し上げた。

 たとえそれが幻だとしても、大学は高度な教育を行っているという前提があり、その通りに高度な技術や知識を学んでいる者もいるわけで、その知識と技術は、有名な(偏差値の高い)大学であればあるほどそれが達成されているという解釈が成立している。というわけで、他の方法も併用しながら、人々は学歴社会を採用しているのだ。もちろん弊害もあるだろう。だが唯一無二の制度などこの世にはありはしない。それがなかなか理解できないのは、理想に燃える若者の特権でもあるのだけれど。